この日は味スタ。東京と広島のマッチアップ、誰がなんといおうと城福浩ダービーですよ、そりゃもう。城福さんって、少し不思議なところがあって、なんとなく「FC東京の監督」って印象が強烈なんですけど、城福さん個人の因縁をさておけば、だからといってそれに付随した選手移動が多くあるわけではなく、監督の因縁がクラブ全体の因縁にならない。むしろ広島と因縁深いのはペトロビッチ繋がりでの浦和だったりする。
で、ペトロビッチ繋がりみたいな城福繋がりの相手は、FC東京ではなく甲府であって、FC東京にも広島にも、さほど「元広島」とか「元FC東京」って多くないですよね。高萩がいますけど、彼は韓国経由ですし、森重とか稲垣なんかは、育成年代をカウントすれば、関わりがないわけでもないんでしょうけど、ライトなもの。まぁ、城福浩個人に注目したいと思います。
なんてことを考えながら新宿駅で京王線に乗り込む。なんだか、ここ数年で京王線の運行体系が随分と変わりましたね。ワタクシは1995年から2008年(だったと思う)まで京王線沿線に住んでいたのですが、1995年頃は京王本線と相模原線に特急、京王本線に急行と快速があって、相模原線は特急と各停のイメージしかない(よく覚えてない)。で、やたらと急行が相模原線に目立つようになったり、それから、準特急ってのができたのですね。ワタクシ個人に関わる範囲でいうと、特急と準特急の違いは分倍河原に止まるか止まらないかの違いだけだったはず。
それが、いまの準特急って、笹塚やら千歳烏山にまで止まるんですね。そんなん、ほぼ急行やん。でも急行は急行で仙川とかに止まるようになった。じゃあ快速はというと、これは昔と変わらないのかな。京王線沿線に住んでた末期は三軒茶屋で仕事をしていて、自宅のあった聖蹟桜ヶ丘に帰る際に世田谷線を使っていたので、下高井戸に止まる快速をよく利用していた記憶があります。ともあれ、準特急と特急がここまで違うようになると、おいそれと「10分に1本は特急か準特急に来る」って把握の仕方だけでは済まなくなりますね(所要時間が4分ほど異なるらしい)。
とにもかくにも、試合開始。FC東京は、いつものケンタスタイル。とりあえず前線の個をゴリゴリに生かして、アタッカー(この場合ツートップの2人)だけでシュートを撃つまで持っていけ!そして中盤の選手は常に守備のツーブロックを意識しながら、ネガティブトランジションではガツンと削りにいけ! っていうサッカー。例えるなら、ブンデスリーガの中位によくあるスタイルですね。
対する広島はポゼッションスタイル。いつもこれくらいショートパスを繋いでいるのかどうかはわかりませんが、この灼熱地獄、しかも構えて守るFC東京が相手なんで、ボールが持てる。特に5枚いる中盤では枚数で優位に立てる分、ひとり遊びのできる両ワイドを巧みに絡ませてパスを回していましたね。それができる前提としてシャドーとボランチがボールを失わない、というのもあったかと思います。
展開は典型的なパターン。広島がボールを繋ぎ倒すのですが、カウンター主義のFC東京の方がエリア内に迫力を持って飛び込んでいく回数が多い、みたいな。FC東京はハーフラインより高い位置では奪いにいかないし、リトリートしたらバイタルで持たせるのもO.K.って雰囲気なんで、まあ、支配率なら広島が優位。前半でもう一つ特筆しておくなら、少し審判のジャッジがナーバスだったかもしれませんね。特にFC東京にフラストレーションが溜まる感じでありました。
後半に入ってもしばらくは同じ構図で進む。そして、真夏の消耗戦という雰囲気が、よりいっそう濃厚になる。そんななか、一人だけ真夏の消耗戦モードじゃない選手がいて、その選手が後半の主役になります。それが柏好文。必殺のカットインから決勝ゴールを決めただけでなく、試合最終盤になっても、カウンターのチャンスで単騎ドリブルを発動させて相手エリア内まで陣地回復するなど、驚異的な運動量でした。おみそれしました。広島が勝ちました。
さて、先にもふれたのですが、ケンタスタイルはどこかブンデス中位のチームのサッカーを彷彿とさせる。興味深いのがブンデスの場合、「ロングキックをベースに、少しでも少ない手数、少ない人数でシュートまで持っていくのが正義!」ってチームは3バックを採用することが多い。それに対して、Jリーグは真逆だったりしますよね。
トルシエ時代の3バックから半周回って日本に定着したミシャ-森保流3バックのミソは2シャドーが守備ではサイドハーフになるところ(WBも割り切って5バック化する)。一方、攻撃ではバイタル中央でのパス崩しの主役になるわけですので、2シャドーに求められるのは技術・勤勉さ・走力(マラソン的能力)の3点となる。……ね、日本人の特性を最も生かせるスタイルでしょ。しかも、『キャプテン翼』の影響が今なお残っているのかどうか、日本サッカー界の育成年代では、やっぱり「スター=中盤のアタッカー」なわけで、2シャドーをミソとする3バックなるガラパゴス化は日本文化の必然だったと言えるのかもしれません。