ゴールデンウィーク3連戦の最終日は、U23チーム同士の対決。ホームのFC東京U23は最下位みたいですね。それまでU23の主力だった小川とかがトップチームに定着したことの、ポジティブな影響もあるのでしょうが、どちらかというと、「かつてU23で試合に出ていたユースっ子を、うまく特別指定で組み込められず頭数不足」って印象がありますねえ。内定しないと強化指定できないとなると、さらに厳しい。
対照的なのはC大阪U23。2位ですって、奥さん。そこにはいろいろな背景があるんだとは思いますが、なんとなくの印象として、ガンバやFC東京のU23チームにくらべて、より「トップチームと直結した予備軍です!」感を強めに感じるのは、順位を知ってしまっているからこその先入観でしょうか。もう数年もすれば、「大学に行くのと、U23要因としてプロの端くれになるの、どっちが良い?」に一定の答えなり見通しもハッキリするのでしょうが、まだ、この制度をあれこれ言うのは時期尚早ですかね。
■前半
西が丘に行くとき、普段は赤羽から徒歩かバスなのですが、この日は久々に三田線の本蓮沼から向かうことに。ということで、お昼ご飯は三田線沿線の巣鴨にしてみた。巣鴨に来るのって、ひょっとしたら、15年ぶりくらいではあるまいか。折しも10連休の真っ只中ですからね、そりゃもう、人混みがものすごい。どれくらいものすごいかというと、「ときわ食堂」に行列が出来るくらい。いやですね、ときわ食堂、かつては赤羽にもあったんですけど、あのね、大衆食堂ですよ、大衆食堂。大衆食堂って、行列してまで食べる店のことでしたっけ? 知らないうちに「昭和」が観光地化していく。これも令和効果か? ともあれ、そんなもんスルーですよ。そして、商店街の奥の方にある「亀川」というトンカツの名店へ。貫禄ある佇まいながらリーズナブルな鹿児島黒豚屋さん。そこで食べた豚カルビ定食的な名前の角煮定食。頭が狂うほどに美味しかったです。何度でも言おう、「脂は正義!」だと。
さて、試合。FC東京U23で効果的だったのは右サイドからの崩しでしたね。右SB中村拓海のオーバーラップがなかなか強烈でした(イケメンなのが気に入らないが)。22番という比較的若い番号を付けていて、でも去年までのU23の試合で見た記憶もない。スポーツナビのアプリで調べたところ東福岡高校出身でした。プロ契約なわけね。室屋を脅かせるよう頑張ってくれ(イケメンなのが気に入らないが。大切なことなので2回言いました)。
C大阪U23で良かったのは山根と丸岡でしょうか。特に山根が前を向いてボールを持てれば、一気に攻撃のスイッチが入る感じ。その合図のもと、ドルトムント帰りの丸岡がスパイスを効かせていくのですが、逆に2人へのパスを切られると、途端に厳しくなって、藤本のロングフィード頼りになってしまう。藤本康太、なんか数年前の梶山の扱いらしい。
■後半
前半と後半で1点ずつ、それぞれツインタワーが決めてFC東京U23が先行する展開。それ以外にも圧倒的にFC東京U23が攻めていて、決定機を何度も迎えたのですが、C大阪U23もどうにかしのぐ。中でも後半開始間もなく訪れたツイン顔面ブロックは、C大阪U23に石崎君の魂と血が流れていることを思わせます。プレーが切れた後に2人の選手が並んでもんどり打っている光景は、失礼ながらコミカルでさえあった。
しかし、それで試合の大勢が変わるわけでは決してなく、攻撃的に行くべく安藤を投入したりしつつも、相変わらずFC東京U23が攻めたてまくる。終盤は、ようやく一日中晴れた五月晴れによる灼熱に、少しずつ集中力を奪われ凡ミスも増える。見ている我々の集中力は、もっと低下する。最終盤には再びゴール前での熱が帯びたものの、わりと安泰に最下位FC東京U23が2位のC大阪U23をしのぎきりました。
この試合、FC東京U23は矢島輝一と原大智のツインタワーで挑んでおりました。狙いがあって、この組み合わせにしたというよりも、与えられた資源を最大限に活用しようとした結果なのでしょうが、矢島輝一が存在感を示しました。なんか矢島、どことなくキャラが林容平とカブってしまうような。ユースから大卒を経ての出戻りで、CF属性。U23では確実に違いを生み出せるし、たぶん、J2ならばそれなりに戦力となりそう。でも、FC東京のトップチームではブレイクスルーできない、みたいな。
そんか矢島なんですが、キックオフ前の自らへのコールとか、ゴールを決めたときの態度など、大学を卒業した大人としての雰囲気がにじみ出ているような。もちろん大学在学年齢、あるいは高校生な他のU23戦士も、プロの空間での立ち居振る舞いは身についているんですよ。なんですけど、大学という空間、大学の体育会という空間で四年間を過ごすと、あっちゃこっちゃ向いた価値観の坩堝に揉まれて、確実に大人になりますよね。U23が大人としての行動様式を身につけさせるとすれば、大学は人間としての中身を大人にするのかもしれません。