松田直樹を追悼する時代を映す鏡の周辺をウロウロと…

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本シリーズは、2011年10月に書き散らしたものです。そういうものとしてお読みくださいませ。

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松田直樹さんが逝去して早くも四十九日が済みました。そろそろ個人を偲ぶとともに、「松田直樹」という存在の良いところばかりを回顧する以外の角度から振り返っても許される時期になったと思いますので、本シリーズでは、「松田直樹」という存在を素材に、日本サッカー界の課題や現在地、今後への期待などについて語っていこうと思います。

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なんて大上段な導入部を構えたわけですが、松田直樹さん(以下、全体的に敬称略。次エントリー以降も同じ)って、時代を映す鏡的な部分があると思うのですね。例えば、松田が国際舞台で最も輝いたのはトルシエ時代だと思います。今さら申し上げるまでもなく、トルシエと言えば3バック。つまり松田選手って3バックへの親和性に優れた選手だったと思うのです。

オーバーラップが大好きなところもそうですが、何より彼はストッパーとリベロの両方ともを高いレベルでこなすことができた。言い方を換えれば、一対一にも強く、かつ、空間を認識し、攻撃を組み立て参加することもできた、ということです。当時は(スイーパーではなく)リベロができるかどうかがDFにとって1つの試金石になっていたように思います。

と言いますのも、当時はCBと言えばクラッシャー系の巨漢プレイヤーと相場が決まっていたのですね。『キャプテン翼』の次藤君が最もイメージしやすいと思いますが、近年では岩政あたりが古式ゆかしきクラシカルなCBですね。

それがJリーグ開幕後における日本サッカー界のレベルアップに伴い、CBにも俊敏性や足元のテクニックが求められるようになっていきます。ちょうど、一昔前はドカベン香川よろしく、「キャッチャーといえば太っちょ」だったのが、古田敦也の登場で、体格とキャッチャー適性が完全に切り離さたように、小学校とかでも「お前デカいからCBな」みたいな発想が薄れつつある時期でした。

で、3バックのリベロは、そういう当時の最先端をいくCB像が求められた。要するに、トルシエ時代前後からCBにも足技が本格的に求められるようになり、松田はその旗手的存在だったわけです。松田直樹を「時代を映す鏡」と感じる由縁です。

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そんな松田でしたが、彼が海外に挑戦することは、ついにありませんでした。勿論その背景には彼自身のマリノス愛のようなものがあるのでしょうし、今般その部分が微妙に美談的に語られたりしました。ただ、それとともに、まだまだ当時の欧州各クラブは、日本サッカー界、日本人フットボーラーに対して様子見している段階だったことの影響が強いように思います。

あの頃はまだ、イタリアのクラブが「ジャパンマネー」の幻影を追いかけて、ある種の客寄せパンダ的な存在として、まずは日本人選手を獲得するってのが、一般的なあり方でした。そうすると、守備戦術重視のセリエAですから、客寄せパンダ枠をディフェンダーに割り振るというのは、なかなか簡単ではない。「勝手にやってくれ!」で済む攻撃的MFとはワケが違うわけですね。松田がマリノス愛を貫いた(貫かざるをえなかった)のは、そういう時代背景があってのことだと思います。松田直樹は「時代を映す鏡」なのです。

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さて、松田が早世したことを受けてマリノスの3番が永久欠番になりました。日本文化では「死ねば仏様」なんで、仮に本来なら永久欠番にならないような場合でも、こういう動きがあったとして、特に問題はないでしょう。

特に志半ばで急逝したり、非業の死を遂げた場合は、より一層、手厚くもてなされます。古くは菅原道真なんかは、死んでから物凄く出世していたりしますし、仮に沢村栄治がボロボロの肩のまま出征から生還して、そのまま引退していたら、巨人の14番が永久欠番になったかどうか少し微妙です。

そういう意味ではマリノスの3番が永久欠番になることに不思議はないのですが、それでも個人的に若干の違和感がないでもない。その違和感の正体は、ワタクシの場合、松田がマリノスでキャリアを終わらせてないってところにあります。

世代的に永久欠番といえば広島の山本浩二、衣笠幸雄を真っ先に思い浮かべるクチですので、どうしても永久欠番は、そのチームでプロキャリアをスタートさせクローズさせた選手にすべきだ、なんて思ってしまったりするんですね。勿論そうじゃなきゃいけない理由なんて一つも無いのですが。

要するに、ワタクシが松田の永久欠番に違和感を感じる根本の原因は、マリノス(というよりもJクラブ)が十年に一人の功労者さえ最後まで雇い続けられないっていう、日本サッカーの現状にあるんですね。ミランマルディーニに対して行ったのと同じように処遇する経営体力を、未だJクラブは手に入れていない。これこそJリーグが発足して18年目(逝去当時)の中間報告なんだと思います。まさしく松田直樹は「時代を映す鏡」なのです(誤解なきよう付言しますが、マリノスの3番が永久欠番になったことに対して文句を言うつもりは一切ありませんよ。問題提起のため取り上げただけで)。

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現在、山雅では田中隼磨が3番を付けていますね。これは、なかなか絶妙なチョイスというか、「渡りに船」というか、誰も損をしない、誰も傷つかない選択だったと思います。