ナビスコ決勝の周辺をウロウロと、磐田編ガンコの両義性

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身長174cmの男子は背が高いのか、低いのか?

おそらく、江戸時代の日本人から見れば高く見えますよね。一方でオランダ人の感覚では、チビッコにカテゴライズされるでしょう。

ポストが赤いのは、「赤」という実態があるからではなく、それを「赤」とみなす認識があるからだ。

みたいな議論があるそうです。ワタクシ的には、何のこっちゃ、さっぱり意味がわかりませんが、ともあれ、人間の性格そのものには「善」も「悪」もなくって、取り巻く価値観が、その性質に、「長所」なり「短所」なりのレッテルを貼り付ける、今回は、そんなお話でございます。

申し遅れました。引き続き、ナビスコ決勝の話題です。

この試合、まず目についたのは、広島GK西川周作でした。西川選手、少なくとも前半に限れば、ほとんど「力任せのロングボール」を蹴っていません。時々、狙い済ましたミドルパスを中盤の選手に向けて蹴り出すことはありましたが、多くの場合、最終ラインの選手にグランダーのパスを出していました。そして、それを受けた3人のCBなり森崎和幸選手なりも、無闇に蹴り出すなんてことはせず、丁寧にショートパスで前にボールを送ろうとしていたかと思われます。

これが噂に聞く広島サッカーであり、J2にいる頃も含め、ペトロビッチは一貫して、こういうスタイルでやってきた(ですよね?)。

このような広島のスタイルに対して、ジュビロは、どのように対処したか。

当然のこととして、定石通りに、前線の選手が、西川選手を含めた最終ラインでのボール回しにプレッシャーをかけるわけです。

一昔前に、ネガティブな意味で脚光を浴びた「玉砕プレス」をイメージしていただくと、方向性的には近いかもしれません。だから、一般論的に考えるならば、オランダ戦の岡田ジャパンのように、後半のある時点を過ぎると、バテバテになって脚が止まるパターンのヤツになります。

しかし実際、後半に運動量を失ったのは、前線でプレスをかけ続けた磐田ではなく、ときおり機をみて一気呵成な攻撃を仕掛けた広島の方でした。

象徴的なのが、サイドの攻防です。

広島は前半から森脇選手とミキッチ選手の右サイドコンビが攻撃の起点となっていました。低い位置でボールが足につかない危なっかしさはありましたが、右でグズグズしてから、一気にサイドを変え、フリーの山岸選手に全力疾走させる、というのが前半よく見られた1つのパターン。

また、広島の同点ゴールはミキッチ選手が右サイドのドリブルでジュビロ守備陣を牛蒡抜きしたことでもたらされたものです。しかし、この前半におけるハイテンションが、やがて後半の戦いに尋常じゃなく影響しました。

まず後半15分の時点でミキッチ選手のHPは限りなく0に近づき、交代せざるをえなくなります。そして、山岸選手と一列上がった森脇選手の両WBも、運動量を失いました。なかでも森脇選手のヘロヘロさ加減は、ほとんど漫画チック。

昭和の「ファミスタ」で3イニングス目に入った鹿取のよう、と言えば、特定の世代の方々限定で分かりやすいでしょうか。これではナムコスターズにもレイルウェイズにも勝てません。

ともかく延長戦に突入する頃には、サイドのスペースにパスが出ても、広島両WBは走れども走れども体が前に進まず、全くボールに追いつかなくなっており、見ていても気の毒なほどでした。

対照的に時間が経つにつれ磐田のサイドアタックは迫力を増します。あらゆる攻撃にアクセントをつけた西選手や、「中盤での配球」に限れば代表クラスであろう上田選手も良かったですが、より印象的だったのが山本康裕選手。

もともと中盤の選手なので、対面の山岸選手がマークが来れない広大なスペースで悠々とゲームメークしたかと思えば、ゲーム終盤においても、ペナへ突撃するドリブル突破もみせました。

こういう両チームのコントラストを見せつけられると、サッカー(スポーツ)は「気力」ではなく「体力」なんだな、というのを実感します。

では、なぜ、両チームには、このような差が生まれたのでしょうか。単純なスタミナの個体差だけの問題とは思えません。

広島の選手がスタミナ切れを起こすのは、テンション高く攻撃したあとに、防戦一方になってメンタル的に疲弊したことを踏まえれば、不思議なことではありません。むしろ、興味深いのは、なぜ磐田の運動量が落ちなかったのか、という点でしょう。

そこで思い浮かぶのは、磐田が夏場に大苦戦していたという事実です。磐田は、既存の常識を覆すような今年の夏の盛りにも、この試合と同じように、前線からプレッシャーをかけるサッカーをしていました。

当然、35℃の中で、そんなサッカーをしたら、後半まで、もちません。だから夏場の磐田は前半は良いけれど、後半バッタリと守勢にまわるような試合を続けました。

そういう試合を繰り返していましたから、必然的に柳下監督に是正を求める意見も出てきます。にもかかわらず、柳下監督は特に戦術を変更しませんでしたので、ネガティブな意味を込めて「頑固者」という評価を与えるブログさんだか、コメンターさんだかもいらっしゃったように記憶してます。

しかし、ナビスコ決勝で磐田の運動量が落ちなかったのは、そんな批判を受けながらも、戦術を変更することなく、前プレの連動性を磨いてきたからだと思います。単独プレスで無駄なエネルギーを消耗することなく、連動した動きによって、必要最低限のHPで圧力をかけることに成功した。

そういう意味では、柳下監督の「意思の固さ」が、今回の戴冠をもたらしたとも言えるのではないでしょうか。

柳下監督さんは、おそらく、「意見を簡単には変えない」人です。その「意見を簡単には変えない」が、ネガティブに作用したとき、周囲はその性質に「頑固」という名前を付ける。

一方で、その作用がポジティブな方向に転がれば、柳下さんの「意見を簡単には変えない」には、「ブレない」とか「意思が強い」という名前が与えられる。

ポストが赤いのは、「赤」という実態があるからではないのです。ポストの色を「赤」とみなす認識(評価)があるからなのです。