ともにかつて1年だけJ1を経験したことのあるチーム同士の対決。J2に落ちてからの横浜FCは、補強のわりに成績が伸びず、監督やフロントの人事も迷走を極めている印象があります。それもこれも、クラブの体質によるのでしょう。なんと言っても、勝利よりもオーナーの自己満足が絶対的に優先されるクラブですからね。ありとあらゆる元監督さんが、要約すると「もう、コリゴリ」と呟いて去って行きます。きっと、ベルルスコーニ時代のACミランって、こういう感じだったのだろうなぁ、と。
他方のヴォルティス。ここも、実質的な親会社があるクラブのわりには、もうひとつ常に何かが足りないような印象。親会社のサポートがグランパスほどではないとか、いろいろあるんでしょうが、歯がゆさを禁じえません。ちなみに、去年は、フクアリでジェフと対戦した試合を見ました。ピンときた人、いますかね? そうです、あの馬渡事件の目撃者の1人になってしまったのです。あれで、少しミソを付けてしむいましたけど、無事、立派なJ1プレーヤーになってくれて、良かった、良かった。
■前半
この日は、ゴールデンウィークの初日。その朝イチでauショップに突撃した。先月、iPhoneの機種交換をして、そのときは下取りに出さなかったのですが、今月いっぱいならポイントに交換してもらえるというので。これまで、今ひとつ「いったい、これは何のためのカードなの?」ってのがわかっていなかったauウォレットプリペイドカードは、実は単なるICカードだったらしい。SuicaとかWAONカードみたいな。初めて知ったよ。
古い端末を下取りしてもらって、そこから横浜を目指す。絶妙に昼ごはんを食べるタイミングがない。いろいろと思案した結果、途中、品川駅で車両から降りて、駅ナカの常磐軒で立ち食いそばを食べることにした。何かの記事で読んだのですが、JR駅構内にしては珍しく、JR資本ではない、昔ながらの駅そば屋さんらしく、そのことを知って以降は、「駅そばを食べるならば品川!」みたいなこだわり的なものがあったり、なかったり。
さて、試合。まずはヴォルティスの並びを眺めてみると、一見すると433に見える。ウイングの杉本と小西もワイドにいる。でも、最前線センターの島屋は、いわゆるファーストトップなタイプではない。なので、見方によっては中盤ダイヤモンドの442に見えなくもない。そうなんですよ、ニセ9番なんですよ、島屋。言うなれば、FCバルセロナやアルゼンチン代表におけるリオネル・メッシみたいなもん。『島屋八徳=メッシ」説を標榜するに値しましょう。
対する横浜FCは、一見すると532。この表記が気に入らなければ、3322でも3142でも何でも良いのですが、とにかくCBが3枚にWBがいて、アンカーがいてインサイドが2枚、で、アタッカーも2枚という形。その最前線の2枚がレアンドロ・ドミンゲスとイバですから、自然と縦関係に近くなる。つーわけで、こちらも中盤ダイヤモンドの541に見えなくもない。ってなわけで、両チームとも、“フェイク中盤ダイヤモンド”というマッチアップとなりました。
■後半
前半は1ー0で横浜FCがリードして折り返したわけですが、実は徳島がハーフコートゲーム状態で押し込みまくっておりました。でも、日本のチームがポゼッションサッカーをすると、反比例して決定力不足にあるという法則がありまして、少ないチャンスを横浜FCがビューティフルカウンターでものにしました。サイドに流れた佐藤謙介のクロスをウイングバックのはずの北爪がヘディングで合わせたゴール。さすがはフィジカル系プレーヤーだけあって、桜木花道のような一面を炸裂させました。
イニシアチブを握りながらも決定機を作れない徳島のリカルド・ロドリゲス監督は、怒りの2枚替えを慣行します。しかも前半のうちに。ターゲットマン的なCFをダブルで投入。その煽りを受けて、読売の遺伝子を持つ男こと杉本竜士が左SBをやっていたよ。そして、「武士道」という言葉が好きな人々が食いつきそうな表現を用いるならば「パスサッカーとは絶対的にシュートを打たない事と見つけたり」というような後半の45分が過ぎていき、そのままタイムアップ。横浜FCが勝ち点3を拾いました。
それにしても、この試合の主審さんは、アレでしたね。全般的に不安定で、しかも、どちらかというとホームチームにフラストレーションが溜まるような感じ。・・・でもね、よーく考えてみて下さい。自分の観戦履歴にスコアボードを付けてみましょう。審判のジャッジにストレスを感じた試合と、感じなかった試合、どっちが多いですか? ワタクシみたいに特定のチームのサポーターでないウォゥチャーならばいざしらず、一般的なサポーターならば、ストレスを感じることの方が多いのではないでしょうか?
それで「だから日本のサッカーはダメなんだ!」と思うなら、多分、その人はJリーグを見るのに向いていない。「それが、我々のリアリティ」として、そういうジャッジのレベルをデフォルトにしないといけないんだと思います。話を急激に大きくしますと、人類が近代社会を迎えるにあたって犯した最大の過ちは、霊長類ヒト科という生物を過大評価する思考習慣が身についてしまったこと。自らが不完全であることからは目を背け、自分以外の霊長類ヒト科に完璧であることを強要するようになってしまったこと、なんだと思います。