先週末は、湘南vs札幌、横浜FCvs京都を見てきました。例によってマッチレポを4thDayMarketCentreにアップしている途中です!!
胸板か肩幅かなでしこ・浦和vsベレーザ(11月20日)の周辺をウロウロと…6/6
佐々木竜太湘南vs札幌(11月26日)の周辺をウロウロと…1/6
砂川誠湘南vs札幌(11月26日)の周辺をウロウロと…2/6
石崎監督湘南vs札幌(11月26日)の周辺をウロウロと…3/6
宮澤裕樹湘南vs札幌(11月26日)の周辺をウロウロと…4/6
当たり前と言えば当たり前の話ですが、UHF局も地デジに対応して9:16の画面で放映するようになったんですね。当然。クリアビジョン。この試合、我々オシャレ都民のファッションリーダーであり、それでいてオピニオンリーダーなシャレオツ放送局「東京メトロポリタンテレビジョン」(通称:東京MX) にて観戦したのですが、思いの外、見やすい。それこれも地デジカ君の啓蒙活動の成果と言わざるをえません。
そんなMXの画面からは、映像・音声ともに、いろいろと度肝を抜かれる情報が流れてきます。
例えば、音声。
以前から薄々気づいていましたが、大熊さん、声でけー。まぁ、そんなことは周知の事実な訳ですが、こうやってテレビのマイクを介すると、指示の内容までが聞こえてくる。サッカーの監督って、試合中にどんな指示を出しているのか興味があったのですが、まさか1プレー1プレーに、「一回、下げろ」「右に流して」「そうそう」「もう一回、下げよう」「そうやって組み立て直すんだ」みたいな指示を出しているんですねぇ。なんか、ゲーム形式の練習をやっている中学生に指示を出しているような雰囲気に感じてしまいました。
例えば、映像。
こちらは、皆さまの記憶にも残っているであろう、前田俊介のスーパーボレーシュート。昨シーズン後半レンタルでFC東京に加入していた前俊に対して、アナウンサーが「まえだしゅんさく」と噛んでしまっていたことを差し引いても、素晴らしいシュートでした。後ろ向きの胸トラップからカラダを180度近く回転させてボレーって、どうやったら打てるんでしょうか?チームプレーを覚えつつある前俊ですが、やはり、この選手の真骨頂は「1試合に0.5回くらい発動するスーパープレー」にあるように思います。
そんな前俊。それでも、やはり物足りないところがあって、それは何だろうと考えているうちに、気がつけばシュンスケ繋がりで中村俊輔と比較していました。で、思ったのが「キープ力」。要するに、「ボールを失わない能力」ですね。これは、去年までの梶山にも共通しているのですが(来年以降の梶山にも共通する恐れあり)、やはり簡単にボールを失うと、チームとしてのリズムも崩れますし、どうしても、味方選手からのパスが来づらくなるんじゃないでしょうか?
もちろん「アイツはロストするからパスしない」なんてことは、少なくとも日本人選手は考えないでしょうが、中村俊輔みたいに、「ホント、ボールを取られないよね」って選手だと、無意識のうちに「あとは頼んます!」みたいなパスが集まってくる。逆に、前俊の場合、「お前の必殺技、見せてやれ!」ってシチュエーションでは、他の選手の意識にあがっても、「苦しいから、助けてくれ」ってメンタルになっている状況では、なかなか無意識の意識に浮かび上がってこないのではないでしょうか。
だから、しょっちゅう試合中に消えてしまう。
前俊に限らず、「アイツ、凄いときは凄いけど、消えるときは消えてるよね」って選手には、あるいは「ボールを簡単に失う」という共通点があるのじゃないかなぁ、だとしたたら、「消えること」と「ボールを失うこと」には上述のような相関関係があるのかななんて考えた次第であります。
大分で言えば、実はデカモリシも、同じタイプなのかなぁと。この選手の場合、不用意にかっさらわれるってことは、それほど多くないと思いますが、ポストプレーからのパスが、かなりズレますよね。そういうところが矯正されないと消える時間は減少しないのではないかと思います。
ナビスコ決勝・浦和レッズvs鹿島アントラーズ(10月29日)
それにしても、ここ数年の映像技術の進展には目を見張るモノがありますね。それもこれも地デジ化の功績なんだと思いますが、なかんずくスーパースローのクリアさ加減と言ったら昭和生まれの度肝を抜くにも程がある。なんか、前半、プレーが途切れたときに、新井場が水をかけて、頭をブルンブルン揺すると髪がサラッと靡き、水しぶきが飛ぶっていうシーンを、これ見よがしにスーパースローにして流していましたよね。
このシーンなんて、もはや1つの映像作品。ディレクターに問いたい、君は岩井俊二かと。本当は、もっと映像の美しさに定評がある映画監督の名前を挙げたかったのですが、いかんせん文化的な素養のないワタクシ、世代的にスワローであり、それでいてテイルであるとともに、かつバタフライなわけですね。
そんなことはさておき、去年、国立に駆けつけジュビロvsサンフレッチェを観戦した身としては、「メインスタンドのスポンサー招待者席は、どれくらい埋まっているんだろう」というところが気になってしかたありません。去年は、いわゆる一般販売分はソールドアウトしていて、試合内容そのものも非常に白熱した好ゲームだったにもかかわらず、地味なチーム同士の対決とあって、メインスタンドはガラガラでした。
では、人気クラブ同士の対決となった今年はどうか。なんてことに興味津々だったわけですが、残念ながらカメラの設置位置の関係上からか、なかなかメインスタンドが映し出されることはありませんでした。とにもかくにも、「イベントが好き」という人ではなく「サッカーが好き」という層にチケットが適切に行き渡る状態になってくれれば、日本のサッカー界も、もう1ランク、上に行けると思います。
というように、のっけから「日本のサッカー界の現状」なるものについて思いを馳せていたのですが、そういうワタクシの個人的な感慨などとは関係なく、鹿島は、いつも通り、鹿島のサッカーをやります。鹿島のサッカーについては今までもアレコレ考えてきたわけですが、最大の特徴は「南米的合理性」だと思います。
一言で述べるならば「相対的な正解」を求める心性だと思うわけです。この辺りは、「絶対的な正解」の存在を前提とする近代科学を進歩させてきた西洋的心性とも、その追従のなかで「近代化」を遂げた(とされている)我々日本人の心性とも根本的に異なる。
何をいきなり言い出すんだ?って話ですが、要するに、鹿島ってフリー、あるいは比較的プレッシャーの緩いところでボールを貰うのが上手いですよね。
それって、つまり、「ここに出したい」とか「ここで貰いたい」とか、「練習では、ここに出すことになっている」とか、「サッカーの教科書にはここで貰うよう書いてある」とかという基準ではなく、その時々に応じて、「この状況では、どこでパス交換すれば最も合理的か」という発想でモノを考えているということだと思うのです。
比喩的に例えれば、待ち合わせに出かける際「何時に集合することになっているか」ではなく、「相手は何時くらいに来そうなヤツか」で出発時間を決める。結果、それが本来の約束した時間から遅刻していたとしても、そんなことは気にしない、みたいな。逆に一般的日本人の場合、相手を待たせた待たせてないではなく、絶対値としての約束時間を守ることに拘泥する、、、なんてことを考えているまさに真っ最中に、青木選手に対して2枚目のイエローカード。うむ、数あわせ??、、、うん、ザッツ日本人的メンタリティ!!