引っ越しかなんかの時に、それまで書き止めていたコラムめいたエントリーの下書きを保存したUSBメモリーを紛失したのですが、それが先日、発見されました。それを【御蔵出し】シリーズとして不定期連載していきたいと思います。そんなわけで本シリーズは、エントリーが書かれた当時の頃に記憶を戻してお読みくださいませ。
というわけで、本シリーズは全三回だったようなので、このエントリーで、一応完結みたいです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
2011年夏の移籍ウインドー期間には、2010年夏以降の趨勢に乗るように、多くの日本人選手、特に若い選手が海を渡りましたね。
宇佐美選手のバイエルン移籍も衝撃的でしたが、より象徴的だったのが、高木善朗選手のユトレヒト移籍です。ユトレヒトと言えば我々世代的には藤田俊哉なわけですが、その藤田選手、ユトレヒト在籍時に、とあるインタビューで、「ユトレヒトよりはジュビロの方がレベルが高い」なんて答えていました。
要するに、Jリーグとオランダリーグには、それほど極端なレベルの差がないということですね。つまりオランダリーグに移籍すること自体は、決して「栄転」ではないわけです。そして、川勝監督が高木選手に「日本人は安いから買われているだけだぞ」と釘を差したそうですが、その言葉に象徴されるように、オランダのクラブが日本人の若手選手に触手を伸ばすのは、単純に「移籍金ビジネス上のメリットが大きい」という理由からでしょう。
では、なぜ日本人選手は安いのか。簡単に言うと、「夢>お金」という特殊価値観があるからだと考えます。
よく日本人は「夢or金?」なんて二者択一を、特に違和感なく話題にしますが、これは資本主義の原則に照らし合わせた場合、極めて錯綜したモノの考え方であるはずなんです。「夢」とは、基本的に、何らかの意味で「社会的成功」であることが殆どだと考えられるわけですが、資本主義社会では、「社会的成功」とは即ち「経済的成功」と比例するはずだからです。ましてやサッカーを生業としているサッカー選手にとって、サッカー上の夢とは職業上の到達目標に他ならないわけで、ならばサッカーに関して「夢or金?」なんて二者択一は成立しようがないはずだと考えます。
つまり、何が言いたいかと申しますと、原則的に「レベルの高いステージ=経済的メリットの高いステージ」である以上、サッカー選手たるもの、夢(レベルの高いステージ)に近づいているかどうかってのは、自己への評価、即ち金額で判断すべきだと思うのですね。そう考えると、「オランダはヨーロッパだから挑戦する」という発想は、どこか錯綜していて、「オランダは日本より高い年俸を提示できるリーグだから行く」という判断で移籍するべきだろう、なんて思うわけです。
ただ、ここで1つややこしい要素が発生します。現時点において、日本人フットボーラーのみならず、世界のほぼ全てのサッカー選手にとって、キャリアのゴールはバルサとかレアルとかに到達することですね。もちろん例外もあるでしょうけど。
そして、バルサやレアルに辿り着くための方法論は、「ユースまでの段階でスカウトされる」か「ヨーロッパのリーグで大活躍する」かの2つに、ほぼ限定されます。ゆえに、最終的な目標から逆算して、仮に年俸面では、それほど魅力的なオファーじゃなくても、とりあえず欧州に渡るというのも、理に適ったものと言えなくもない。
ただ、仮にそうだとしても、それでも「ヨーロッパに行けるなら金銭的条件には固執しない」という態度は、長い目でみたとき、日本のサッカー界にとって、ネガティブな影響を与えるんじゃないか、なんて思われるんですね。
簡単に言うと、Jリーグがヨーロッパ諸クラブの草刈り場になって、公正な市場価格より著しく安い値段で将来有望な日本人フットボーラーが海外に流出していくことは、Jリーグの価値を下げることになり、それは長いスパンで考えたとき、日本サッカーの地盤沈下をもたらすと考えられるからです。
もちろん選手の海外流出(海外挑戦)が悪いと言っているわけでなく、ここで問題にしているのは、「自分の適正価格」についてソロバンを弾いて海外移籍をしているかどうかです。つまりですね、「夢と金は切り離して考えるものだ」という日本的価値観と、「夢の第一歩は、まずヨーロッパに行くことだ」という意識ばかりが先行してしまうと、今後もJリーグ(日本人フットボーラー)は、ブンデスリーガやエールデビジにとって「都合の良い女」扱いを受け続けるのではないだろうか、なんて危惧するわけですよ。
繰り返しになりますが、資本主義社会において、「自己への評価」は「経済的報酬」なわけですね。そして、高いステージに行きたければ自己の価値を上げなければならない。簡単に言うと、「より年俸の高い場所に行くこと」こそ、「自己の評価を上げること」であり、「バルサやレアルに近づくこと」なんだと思います。
そのように考えると、エールデビジの下位やブンデスリーガの2部のクラブからの誘いに有り難がってホイホイ乗っているようでは、却って自己の市場価格(=評価)を下げることになりかねないのではないか、と。だから、これから海外に挑戦しようという選手は、「ヨーロッパのクラブだから」という基準ではなく、「自分の市場価値を上げてくれそうか否か」という基準でオファーを受けるかどうかの判断をすべきではないか、なんて思います。
こんなことを述べてきましたのも、日本人フットボーラーが余りにも「入れ食い」状態で釣られていくことに違和感を感じるからです。穿った味方をすれば、「サッカーにおける最高のステージだから」という理由に加えて、「憧れのヨーロッパだから」という近代日本人の欧州コンプレックスも影響しているのではないか、なんてことさえ感じてしまうのです。しかし、それでは最終的な「WINWIN」の関係は形成できないのではないか。それはJクラブにとっても欧州のサッカークラブにとっても、幸福な関係とはいえないのではないか。そんなことを思って本エントリーを書きました。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
まぁ、たいていの場合、選手本人は、日本にいるより多くの報酬をもらっているんでしょうけどね。専修大の永澤君は、いくら貰うんですかね?あるいは松井大輔はポーランド時代の給料と、ジュビロでの新年俸、どっちが多いのでしょうか。そういう部分には敏感であらねば、サッカーに限らず、儒教的な日本は合理主義的な欧米の喰いものでありつづけるように思います。