【御蔵出し】アドリアーノのカタール移籍の周辺をウロウロと…【23年前の移籍事情】

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引っ越しかなんかの時に、それまで書き止めていたコラムめいたエントリーの下書きを保存したUSBメモリーを紛失したのですが、それが先日、発見されました。それを【御蔵出し】シリーズとして不定期連載していきたいと思います。そんなわけで本シリーズは、エントリーが書かれた当時の頃に記憶を戻してお読みくださいませ。

本来、木曜日にupすべきところ、ど忘れしていたので、日付をズルして、‘みなし木曜日’的にupします。。。

内容は、西野時代のガンバにおける外国籍ストライカー流出劇について。

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「シュシュ」とか「カチューシャ」とか、近頃、年に1つずつ女子グッズに詳しくなっていっているのはワタクシだけでしょうか? シュシュについては、それが何か解りましたが、未だにカチューシャがナニモノなのか存じ上げません。とにもかくにも、AKBの勢いは凄いわけですが、一方で、一人に何枚もCDを買わせる手法については、「AKB商法」などとして、一部に批判的な見解もあるようです。

中でも目立つのが、「愛=金か?」という批判。ワタクシ的には、実際の彼女であるなら、いざしらず、「AKB」という女性集団がビジネスのコンテンツとして存在する以上、ファン(=顧客=消費者)の満足度表現は消費(=金)でしかあり得ないだろうと思うわけですが、どうも日本には、それがビジネス以外のナニモノでもないにしても、その部分は、白々しくオブラートに包まなければならないらしい。ただ、そういう価値観は、儒教的な考え方であって、東アジアに特有、場合によっては日本人限定で通用するものですよね。

いや、ですね、2011年の夏、ガンバのアドリアーノが中東に移籍した際に、彼はハッキリと「お金です」と答えた。もし、このアドリアーノ発言に抵抗を感じる人がいらっしゃったら、それは日本人的価値観を非日本人へ押し付けているだけであって、表現は悪いですが、「それは‘独りよがり’だぞ!」なんて言いたいのですよ。そして、そういう日本人的価値観を相対化し客観視しない限り、今後もJリーグは、オイルマネーな人々から「お得意さん」扱いを受け続けるのではないか、なんて考えるわけです。

先に述べましたAKB商法なんかに特徴的なんですが、日本という国は体制としては資本主義国家であるにも関わらず、国民のメンタリティは、資本主義的価値観を極端に嫌悪するという、摩訶不思議な国です。倫理観と社会システムにギャップがあるわけで、しかも、それで国が、それなりにちゃんと機能している。だから、日頃、そのギャップを意識することはないのですが、一般的には、資本主義国家の国民は「金儲け」を肯定するメンタリティを持っていなきゃいけないわけです。

だから、ブラジル人(=東洋のごく一部に特有の儒教的倫理観念とは無縁な人々)であるアドリアーノが、「お金のため」に移籍するというのは、ごくごく当然の判断ということになります。少しでも年俸(自己への社会的評価)の高い地位を選ぶということが、絶対的に肯定されるべき前提条件であって、「夢」であるとか、「所属組織への愛情」というのは、その枠内から逸脱しない範囲内でのみ重視される。ましてや「恩義」なんて概念を非儒教的価値観の人々に対して求めるのは、お門違いとしか言いようがないのではないか、なんて個人的には考えています。

何が言いたいかと申しますと、(ブラジル人をはじめとする)外国籍助っ人選手が、Jリーグで活躍するや、すぐに中東やヨーロッパなどの、より財務基盤が豊かなクラブに移籍することは、「不運」でも「悲劇」でも「クラブの不始末」でも何でもなく、単に「ごく当たり前の必然的現象」に過ぎない、ということです。

それを止めたり、減らしたりというのは、恐らく無理なことで、それを「本来なら起こるべきではない現象」と考えるのは、日本人のエゴではないかと感じるうわけです。つまり、非日本人の思考様式を踏まえるならば、外国籍助っ人は、「移籍金ビジネスの手段」と割り切って考えるべきではないだろうか、と思うんですね。さすがにそれは言い過ぎだとしても、中東の石油が枯渇しない限り「活躍すれば当然、旅立っていくもの」くらいの覚悟は常に必要なんだろうと。

アドリアーノの移籍が確定したとき、西野さんは「いろいろとチームの在り方を考え直さなければならない」といった趣旨のコメントを残しました。まあ、あくまでマスコミ用の発言ですので、どこまで本音かは分かりませんが、仮に西野さんが「想定外の事態が発生した」と焦ったとしたら、いくらなんでも学習能力がなさ過ぎるだろうと思うわけですね。

尤も、その直後には宇佐美選手がバイエルンに移籍したり、エース候補だった平井選手のコンディションが期待ほどのものじゃなかったり、そういった部分での「予想外」はあったのでしょうが、少なくとも、「高額な移籍金を設定したから、シーズン中の移籍はない」と考えていたとしたら、少し楽観的すぎるかなぁなんて感じます。

要するに、「移籍金は、外国籍助っ人を引き留めるためではなく、ビジネス面でヘタをみないために設定するものである」という考え方をするべきだ、と言いたいわけです。「高額な移籍金を設定すればシーズン中の引き抜きは防げる」なんて浮き世離れした前提でチームを編成していたら、ますますJリーグは、「世界のスタンダード」から置いてけぼりを食らうのではないか、そう危惧しております。

というわけで、「活躍した外国籍助っ人はシーズン中にいなくなるのが当たり前」という意識変換を致しましょう、というお話でした。日本人的には「強奪」であっても、一般的にそれは「自然の摂理」だぞ、と。

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最近は、外国籍選手を甲府のように‘傭兵’と割り切るクラブも増えてきましたね。それで良いのですよ。ルーカスやストイコビッチみたいな選手は、例外中の例外。特にブラジル人の発掘に長けたスモールクラブは、「日本に順応させてビッグクラブに引き抜いてもらう」ことを目的とした一種に錬金術として、外国籍選手を捉えるべきだと思います。