WCを機会に世界へ飛び立つ選手の周辺をウロウロと…南アフリカWCの日本代表を振り返る、その9

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先週末はフクアリでジェフvs徳島を観戦しておりました。というわけで別館4thDayMarketCentreにてマッチレポを6分割してアップしてありますので御一見くだされば幸いです。

PKって罪なヤツ千葉vs徳島(10月30日)の周辺を徳島目線でウロウロと…1/3

CBを4人並べましょう千葉vs徳島(10月30日)の周辺をヴォルティス目線でウロウロと…2/3

ふてぶてしく守りきる千葉vs徳島(10月30日)の周辺をヴォルティス目線でウロウロと…3/3

佐藤勇人の憂鬱千葉vs徳島(10月30日)の周辺をジェフ目線でウロウロと…1/3

佐藤勇人の無駄使い千葉vs徳島(10月30日)の周辺をジェフ目線でウロウロと… /3

ジェフのサッカー千葉vs徳島(10月30日)の周辺をジェフ目線でウロウロと…3/3

といわけで本題。

ワールドカップ終了後、多くの日本人選手がヨーロッパに旅立ちました。

2011年の末の時点においても総じて多くの選手が異邦の地で頑張ってくれてますね。。その中で皆さんは、どの選手に期待していましたか?或いは期待してますか?

やはりドイツってのは、日本人選手と相性が良いのでしょうか、比較的、「大ハズレ」ってことが少ないですね。2010年の夏のマーケットで、大きな期待を背負ってドイツに乗り込んだ香川、内田の両選手も、まずは、まあまあ順調な滑り出しをしました。

ところで、香川選手はワールドカップの「サポートメンバー」でしたね。そして内田選手は、出番に恵まれませんでした。ということは、この2人は、ワールドカップでの活躍を買われて移籍したってわけではないってことですね。そもそも、香川選手の場合はワールドカップ以前に契約が終わってましたし、内田選手はどうでしたっけ?正式サインの時期は忘れてしまいましたが、どう考えても、ワールドカップより前の時期に「大筋合意」に達していたことは間違いないでしょう。彼らの移籍にとって、「このタイミングで…」って感じで踏ん切りを付けやすかったことくらいしか、ワールドカップの影響はなかったんではないでしょうか。

それ以前のことには一切、知識を持ち合わせておりませんので、J開幕以降の話に限定すれば、ヨーロッパに直輸出された日本人Jリーガーは中田、名波、俊輔、鈴木、城、西澤、稲本、柳沢、戸田、小笠原、大黒、藤田、大久保、長谷部、松井、森本、本田などの名前が挙げられます。

このうち、ワールドカップまではノーマークだったけど、本大会の活躍に度肝を抜かれて急遽、お買い上げされた選手って、どのくらいいるんでしょう?

たぶん、ほとんどいませんよね。

たいてい予めリストアップされていて、単純な「夏のマーケット」の一環として移籍したんだと思われます。

特に、中田以降しばらくはイタリアへの移籍が多かったんですが、中田以外あまり成功した選手はいません。俊輔が「最低限の結果を残した」ってくらいでしょうか。

スペイン勢は、Jとリーガのレベル差を考えれば、「それなりに出番を確保しましたよね」って感じでしょうか。いや西澤はダメでしたね。俊輔には金をやらずに同情しておきます。

イングランドは、うん、微妙。ヒデは苦戦しましたね。戸田は、「彼なり」ってところですかね。

ともあれ、イタリア勢の苦戦が顕著です。で、何故そうなったってところで、まずは必要とされるプレースタイル、サッカー哲学の違いが大きいのでしょうが、それ以上に、そもそも現場に日本人を必要とする環境がなかったからのような気がします。簡単に言えば「(即戦力の選手と言うよりも)アジア市場開拓のためのお客さん」だったんでしょう。そこがドイツとの違いかと。

いまさら、なんでこんなことを持ち出したかと言うと、要するに、これまでの日本人選手の欧州移籍の多くは、「チームにとって必要なパーツを探していたら、この選手にたどり着きました(それがたまたま日本人だった)」っていう、移籍の標準型からは外れたパターンだったと思われるってことを言いたかったわけです。その辺り、高原以来ドイツへ移籍した面々は、多少なりとも「真っ当な移籍」なのかなぁ、と。

で、イタリアといえば長友ですが、長友を見ていると、漸くイタリア(ヨーロッパのなかでも、物凄く保守的な国)でさえも、日本人を「お客さん」(別名「金づる」)としてみなくなってきたのかなぁ、なんて思うわけです。ベルギーに行った川島ともども、「必要なパーツを探していたら、たまたま日本人だった」ってパターンの移籍かと思います。少なくとも、かつての「Yぎさわ」と「Oがさわら」とかを獲得したイタリアの某クラブみたく、「日本人ならば誰でも良い」ってわけではなさそうです。

とはいえ、南アフリカ大会直後の時点では。それでも、まだまだ日本人選手は「標準型移籍の対象」にはなりきっていないのかなとも感じていました。と言いますのも、川島にせよ長友にせよ、前述の内田や香川同様、おそらく、ワールドカップの開幕より以前からリストアップされていただろうと思うんですね。当然、それも「移籍の標準型」なんでしょうし、それ自体に問題はないのですが、少なくとも、彼らはワールドカップという「見本市」で見いだされたわけではない、たぶん。

で、日本が世界の中で「普通の国」「移籍の標準型の対象」となるためには、「ワールドカップまではノーマークだったけど、本大会の活躍に度肝を抜かれて急遽、お買い上げされた」ってパターンの移籍が、欧州移籍のパターンの一つにならないといけないと思うわけです。

だから、2010年8月中旬までは、「今回も日本は「普通の国」になれなかったなぁ」なんて感じてたんですね。

そうしていたところ、阿部がレスターに行った。たぶんこれは「必要なパーツを探していたら、たまたま日本人だった」であり、かつ、「ワールドカップまではノーマークだったけど、本大会の活躍に度肝を抜かれて急遽、お買い上げされた」移籍でしょう。そう考えますと、阿部の移籍って日本のサッカー界にとって、実はエポックメイキングな出来事のような気がします。