「あまりにも事が重大すぎてコメントのしようがない。今は試合どころじゃない。テレビで見て恐ろしくなった。ショックが大きい。今はただ被災者の方々の無事を祈るしかない」(http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20110313-747916.html)
日刊スポーツのwebページで拝見した、中山雅史選手のコメントです。
「あまりにも事が重大すぎてコメントのしようがない。」
もう、この言葉に尽きるかと思います。
ワタクシも、なにか記事をアップしようと思ったのですが、何を書けば良いか分からない。
昨日、「佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server」にて佐野元春さんが、詩を発表されました。その中に、以下のようなフレーズがあります。
君は偽善の涙など流さないと誓ってくれ
決まりきったお悔やみなど無用だと言ってくれ
何を書いても「偽善」になってしまうのではないか、「決まりきったお悔やみ」にしかならないのではないかと悩みました。
ただ、今朝になって、自分のブログにログインしてみたところ、前のエントリーから5日も経とうかというのに、100人以上のアクセスがありました。とっくに新着一覧から外れているはずですので、定期的にチェックしてくださっている方々もいらっしゃるようです。
これまでの記事の端々で東京在住であることを書き散らかしてきました。基本的には、それほど多くの人数が直接的な被害を受けた地域ではありませんが、あっちこっちのスタジアムに飛び回っていることも述べて参りましたので、一応、元気であることの御報告を、定期的にチェックくださっている皆様には、お伝えしておこうと思い筆を執りました。
「自分たちに何ができるんだろう?」
多くの方がお抱えであろう悩みと同じやるせなさを感じています。
テレビの画面越しに飛び込んでくる、余りにも現実離れした現実に、ただただ呆然とするしかない、そういう週末を過ごしました。
ふと、思い出しました。
少し前、今をときめく戦場カメラマンの渡部陽一さんがバラエティ番組に出ていました。渡部さんのキャラクターを面白がることに終始する番組も少なくない中、比較的しっかりと本職である戦場カメラマンとしての仕事内容や、目の当たりにしてきた世界各地に後を絶たない惨状についても放送していました。
その中で、司会者の方が「そんな世界中の不幸な出来事や悲惨な現状に対して、わたしたち日本人は何ができるんでしょうか?私たちは何をするべきでしょうか?」と質問しました。
そのとき渡部さんは「それは、世界のいろんなところで今日も多くの不幸な出来事が起きている、ということに対してアンテナを張ることです。悲惨な現実というものを〈知っておく〉ことです。〈知っておく〉、ただそれだけで確実に不幸な人々は減ります」と、お答えになっていました。
もちろん直接的なボランティアや募金活動、その他、善意の形は様々あると思います。その1つとして、〈知っておく〉あるいは〈アンテナを張る〉、それはやがて〈忘れない〉〈風化させない〉になっていくのでしょうが、まずはそこから始めよう、そう考えました。
1995年、阪神大震災がありました。正式名称ではありませんが、当時、亜流の関西弁を喋っていた私は「阪神大震災」として、あの日のリアルを記憶してます。もっともリアルと言っても、やはり今回と同様に、「これは、いつもと違うな」くらいの揺れがあって、棚から本が落ちた程度のリアルでしたが、五感で同時進行の惨劇を受け止め、その後の日々を同時代人として生きてきました。
あの惨劇は、おそらく5年後くらい、世紀が変わる頃までは、日本中の人々が我が事の一部として注視していましたし、「1・17」という日付に特別な意味を読み取っていました。
しかし、新たなミレニアムを迎えた辺りから、少しずつ、直接的被災者と、一般的日本人の間に皮膚感覚の差が出てきたのではないかと思います。当事者にとっては、「現在に連なる惨劇で、決して消し去ることのできない傷跡」であり続けたのに対し、(ワタクシも含む)非当事者にとっては、単なる「過去の出来事」に なりつつあったように記憶してます。
そして、以前のエントリーでも述べたのですが、とあるブログさんが、今年1月17日に催されたアジアカップのサウジアラビア戦前に「1月17日という日にマッチメークされているのも、なにかの運命。だから、香川や柏木や岡崎といった神戸出身の代表選手には、ぜひ頑張って貰いたい。」という趣旨の内容を書かれていたのを読みました。その時、もはや「1・17」という日付に全くの不感症になっていた自分に対して愕然としたことを、強烈に覚えています。
おそらく、今度の震災から、被災者が、仮設住宅などで曲がりなりにも「普通の生活」を送れるようになるまで、半年以上かかるでしょう。仮設住宅から本宅を再建し、通常の経済生活に戻るためには1年では足りないかもしれません。神戸の街が、震災前と同じくらいの輝きを周囲に煌めかせるようになるのに5年くらいの年月を必要としましたので、東北沿岸部が、かつて漁業と観光業によって築いていたのと同程度の栄光を取り戻すためには、それ以上の時間がかかるでしょう。何より、被災者が受けた様々な傷は永遠に消え去らないかもしれません。
私たちは、何年後まで、何十年後まで、この出来事に対して〈知っておく〉〈アンテナを張る〉を維持し、〈忘れない〉〈風化させない〉という気持ちを持ち続けられるのか。
15年後のヴィッセルサポーターは「神戸賛歌」を歌い、他サポは、それに耳を傾け、愛してきました。
それでは、20年後のJ リーグサポーターは、「3・11」という日付に特別な意味を感じられているのだろうか?
我々は試されているんだと思います。