■日本U23 0 vs 1 ポルトガルU23[トゥーロン 05月24日]
名前のついたトーナメントとはいえ、アンダー年代のテストマッチですから、オリンピックが大好きな日本を除いて、さほど注目度は高くないのかな、と思っていたのですが、ヨーロッパでも、それなりには注目されているんですかね? というのも、初戦のパラグアイ戦を見たときは「看板スポンサーは日本の企業ばっかりだな」と思ったんですけど、よくよく見てみると、半分くらいは非日系企業でしたよね。使われている文字的に、たぶん、欧州系の企業っぽい。アンダー年代の練習試合でも宣伝効果はあるのでしょう。ヨーロッパにおいてはサッカーがしっかりと文化として定着している様相がうかがい知れます。
「文化として定着している」という意味では、さすがは欧州、若い世代にも、「システムに則ってサッカーをする」という意識が普及している。前戦では、カメラ位置的にパラグアイのフォーメーションがとてもわかりづらかったんですが、この試合では、同じカメラ位置だというのに、すぐにポルトガルが4231だと確認できた。それだけ整然としているということでしょう。
そんなポルトガルを向こうに回しているのですから、苦戦するのも必然。選手がだらしないわけでも、監督が不甲斐ないわけでもありません。世界のサッカーシーンにおける日本の現在地からの相対評価をすれば、たとえ相手が実質的にU20で臨んできたとしても、日本がポルトガルに負けるというのは、特段におかしなことではありません。非難するに値しない、普通のこと。(大きな国際大会が近づくと、どうしても「日本サッカー界の日常(=国内リーグ)」を知らない“自称サッカー通”が増えますから、こっそりチクチクしないと気が済まないというのが、ブログを始めて以降、ここ数年のワタクシのデフォルトです。)
やっぱり、文化として定着しているというのは、強いですよ。「文化として定着している」というのは、どういう状態か、それは、「特に優れた人物でなくても、自然とそれが出来る(それをやっていまう)」ということになろうかと思います。ポルトガルは選手を次々と交代させていっても、「勝っている状態では、こうやって試合を進めるんですよ」ってところの意思統一が、自然と出来ていた。こういうところに底力を感じるのです。
でも、日本には日本なりに、「文化として定着している」こともある。それは、ダジャレ(=言葉遊び)。表意文字の文化では同音異義語が大量発生しますから、自然と言葉遊びが発達するもの。特に日本では「掛詞」の文化がある。だから、ハンドを見逃したミロ主審に対して、解説の早野さんが「ミロ主審は、ちゃんと見ろ。フルネームは“チャント・ミロ”なじゃないですか」とか言い出すのです。日本人が歴史上、ダジャレ遊びをしなかった時代は、おそらく皆無でしょう。文化として定着した、誇るべき伝統芸だと自負して良いものと確信しております。
試合は、前半にオルタが打ち抜いたファインシュートで奪った先制点を、ポルトガルが悠々と守り切りました。日本はシュートが決まりませんでしたねぇ。まぁ、この大会参加自体が「勝ちに行く」とか「成熟をはかる」というより「選手をふるいにかける」という趣旨だと思いますので、結果そのものには大した意味はないでしょう。選手個々が世界を相手に何かができるか、何もできないのかってところを確認できれば、それで宜しいかと思われます。