南米選手権におけるウルグアイの周辺をウロウロと…

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決勝・ウルグアイvsパラグアイ

日本的には「日本代表が参加するの?しないの?」ってのが議論された34月に最もサッカーファンの注目を集めた南米選手権2011。あの熱気はどこに行ったのか、本大会開催中は、さほど盛り上がりませんでしたね、日本国内の、特に「代表ファン」の皆様の間では。

ちなみに決勝戦ウルグアイvsパラグアイトルクメニスタンカザフスタンくらい名前の似ている両国。ちらっとwikipediaを調べたところ、「アイ」は川にちなむと、そういう発音になるらしい。で、この両国に歴史的因縁があるかどうかも読み始めましたが4行目くらいでざせつしました。ええ、ええ。そういえば昔、芸人さんに「ウルグアイパラグアイ」ってコンビがいましたよね。最近めっきりテレビではお見かけしませんが、この際、気にしないことにしましょう。

というわけで試合内容ですが、正直、パラグアイは良いところが全くありませんでしたね。この試合バリオスが先発しておらず、また早い時間に先制したことでウルグアイがしっかり守備に人数をかけてきたこともあり、なかなか前線で起点を作ることができませんでした。

パラグアイはリトリートして守りますから、ボールを奪取する位置は低い。しかも前線に出しどころがないから、結局、最終ラインでボールを回し続けるしかなくなる。そうするとウルグアイのアタッカー陣による献身的なフォアチェックの餌食になって一気にピンチを迎える、それの繰り返しでしたね。

それだけウルグアイの最終ラインがバランス良くバルデスと、もう1人のヤサ男系の7番君を消していたということでしょう。

ゴールまで数的不利を強いられて、かつ1対1でも互角以上の状況では決してない。組織的に崩すって前に攻撃を遮断されるものだから、パラグアイとして半ばヤケくそ気味にミドシュートを放ち続けます。

ただ、こうやってガンガンにミドルを撃ちまくるってところに南米サッカーの持つメンタリティ、というか日本人フットボーラーに欠いている精神性を感じました。日本人のサッカー選手って、どうしても「ミドルシュートはチームの中でも上手な選手が打つべき」みたいな感覚があって、そういうスター選手がチャレンジすることには好意的なのに対し、枠に行かない恐れがある守備的な選手がミドルを撃って外したときの「なんだよ」感はハンパないような気がします。

ともかくパラグアイは完全にウルグアイの引き立て役を演じさせられました。これはパラグアイの不甲斐なさというより、ウルグアイの強さの影響が強いでしょう。

ウルグアイパラグアイの弱点であるサイドのスペースを上手に活用しましたね。サイドで数的優位を作りながら遅攻で攻めることもできれば、カウンターも鋭い。低い位置でボールを奪ったとしても、そこから上手くサイドチェンジを織り交ぜることができる。ここの、中盤での展開力がパラグアイとの最大の差ではなかったでしょうか。

また、多くの人数を掛けなくてもスアレスフォルランが個人技でどうにかしてしまいますし、何より2人のキープ力が、「攻撃をやりきる」という部分で非常に効果的でした。

スアレスフォルランに関しては、そんなとこを見ないでも、ゴールシーンだけを見れば素晴らしさは十分に伝わってきましたが。

先制点はスアレス。ボールがピンボール状態になっている中、自らに有利な状況が生まれると、一瞬で前を向き、シュートまでいける態勢を整えて、きっちりと決めてしまいました。ルーズボールの応酬の中で、よくもああも完璧な対応ができるもんだな、と。

またフォルランの2点目も凄かったですね。インサイドキックを軽く簡単に振り抜いただけに見えるのに、強烈なスピードボールをゴールに突き刺すってのは、どういうことだ?

カウンターからダメを押した3点目にしても、一瞬の隙に反応するや、ほとんどタイミングのない体勢から、寸分違わずボールを流し込む。シュートが上手いにも程があるだろう。

それにしてもフォルランはタイトルに恵まれていますね、ワールドカップの3位も含めて。我々の世代としてはウルグアイといえばレコバなわけですが、クラブチーム、代表ともにフォルランレコバに比べて、かなりタイトルと相性がよい。

シェフチェンコの例もあるように、代表での活躍ってのは、どうしても周囲の状況、同時代に良い選手が揃うかどうかっていう偶発性に左右されるざるをえないのですが、フォルランの場合、単に運が良かったというより、フォルランの存在がウルグアイの躍進を必然化したような感がなくもない。

フォルランって、リーダーシップに溢れていますよね。あの存在感はちょっと常人とは違う。一見、もくもくと寡黙にプレーしているように見えて、決して柱谷やらドゥンガみたいな闘将って感じではないですし、井原やらマルディーニとかとも少しタイプが違う。

とにかく大きな背中を見せれば、周囲は勝手に付いていく、そんな感じ。解説の山本さんが言っていたように、まさに「大黒柱」で、居るだけで周りは落ち着く。果たしてフォルランが居なくてもスアレスは同じくらい活躍できただろうか?なんて思ったりします。

古式ゆかしき高校野球の「エースで4番でキャプテン」みたいな選手ですよね。フォルランが3年生で4番ピッチャー。スアレスは2年生の3番ショート、的な。

簡単に言うと、超強豪ではないチームを甲子園に導いた大エースなわけで、他の選手に比べて明らかにステージの高さが異なるわけですが、フォルランの素晴らしさは、だからといって傲慢になったり、独り相撲になったりしないところではないでしょうか。

こういう3年生がいるとスアレスみたいな2年生や、カバーニみたいな1年生も順調にドンドン育ってくる。また、ウルグアイの中盤は、まさに職人集団だったわけですが、そういう「脇役」キャラの重要さを理解し、適切な評価を与えているからこそ、「中盤の職人が前線の芸術家を支える」という理想的な分業が実現したように思います。こういう、「へたっぴ」との信頼関係を適切に築き上げられるところも、全く以て古き良き「エースで4番」ですね。