浦和vsC大阪の周辺をレッズ目線でウロウロと…

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浦和の試合を生観戦するのは、今シーズン初めて。ワタクシ、昨シーズンまでのフィンケサッカーを「徒労感」と表現したことがあるのですが、果たして、今年は如何に。

さて浦和のフォーメーション。一応、事前に『エルゴラッソ』で調べたところ、「4123」、「433」のアンカー1枚バージョンのヤツってことになっていたのですが、一見したところ、「4141」に近いように感じました。

鈴木啓太選手がアンカーで、インサイドハーフの柏木&マルシオ・リシャルデスと、ウイングというかサイドハーフというかな原口&エスクデロが、だいたい同じような高さにいる。

ペドロビッチさんがオランダサッカーを標榜しているのと、テレビでみた横浜戦のときのイメージ、或いはこれまでの成績を見ての先入観として、「きっとポジションが固定された流動性のないサッカーをやっているに違いない」と思い込んでいたのですが、実際に見てみると、2列目の「4」については、それなりに流動性があったように思います。

マルシオ・リシャルデス選手と柏木選手を横の関係にしたことで、バランスの崩れなければ好きな方が前なり後ろなりに行けば良いみたいなっていて、両者の窮屈感はだいぶ軽減されたっぽいですし、原口選手が中に切り込んで、そのスペースにマルシオ・リシャルデスなり柏木選手なりが入っていくってシーンもありましたよね。前半20分くらいまでは。先制点も、原口選手が中央に流れたことで生まれましたし。

また、4141っぽくなったことで鈴木啓太選手の役割が明確になりました。浦和サポの皆様からすれば展開力などに物足りない部分もあるかもしれませんが、「運動量豊富に危険なスペースを消す」ってことに関しては、今なおJリーグ屈指だと再認識させるだけの働きをしていたように思います。

ただ、前半も半ばを過ぎると、次第に攻撃に手詰まり感が出てきます。原因は守備からなかなか攻撃に移れなかったところにあるように感じます。

浦和の「4」の流動性は、両ウイング(というかサイドハーフというか)がドリブルで相手中盤のプレスを交わしたところからしか始まらないんですね。つまり、ボールを奪ったあとに、一旦、中盤で攻撃モードを作ってからサイドを走らせるのではなく、「運良く」サイドが走り出せてから、やっと攻撃モードへの移行が可能になる。言い方を変えれば、攻撃の起点が「トラップ&パス」ではなく「ドリブル」だと言うことです。

敢えて「運良く」と表現したのは、チームが戦術的に「サイドが走り出せるシチュエーション」を作っているように見えづらかったからです。先にマルシオ・リシャルデスと柏木選手が両ウイングと同じような高さにいると書きましたが、それは、「最終ラインで奪ったボールを、インサイドハーフに預けて、外に散らす」という機会が余り多くなかったということをも同時に意味します。

浦和のチャンスは最終ライン+鈴木啓太選手からのクリアに近い(=特に狙いすましてはいない)球出しが、上手くスペースに出て、それをサイドの両選手がマイボールにできた時にのみ生まれていたように思います。だから、相手が攻勢を強めて、最終ラインに余裕がなくなると、途端に攻撃が起動できなくなる。浦和は「押し込まれると何も出来ない病」に、さいなまれていたようです。

ただ、この窮状は後半に始まってから一定の時間、ある程度改善されました。

具体的には、前線がいわゆる1つの鬼プレを敢行したことと、SBを経由してウイングにボールを送るという回路の形成を心がけたことで、「押し込まれると何も出来ない病」の発病を回避したんですね、たぶん、見た限り。

とはいえ、上述2つの抗生物質の効果も、そうそう長くは続きません。なぜならば、(急造)鬼プレスとは、そういうものだからです。

こうなれば選手交代で状況を打開するというのが常套手段となります。以下、采配というものは100%結果論だというのを大前提として書いていきますので、その点、ご承知置き下さい。

後半になって、明らかに動きの質が落ちたのは、私見では、エジミウソンエスクデロだと感じました。

両者ともキレは維持していましたが、判断力が少しぼやけてきていたように感じます。前者は、中央で頑張ることを放棄して、マークの緩い位置、相手から見れば怖くない場所に流れることが多くなりましたし、後者は、縦に突破する以外の動きのバリエーションが著しく減少した。頭(精神)が疲れてきて、ついつい「自分がやりやすいこと」に流れがちになっていたんだと思います。

だから、交代させるとしたら、この辺かななんて考えながら見ていたのですが、当然ながら、無責任にスタンドで見ているワタクシと、チームを背負っている監督とでは、意見がシンクロするわけがないので、ペドロビッチは異なる判断をしました。当たり前ですね。

というか、マルシオ・リシャルデスエジミウソンって新潟時代の同僚ですよね?

その割にはコンビネーション、悪くないですか?

ルシオが出したいときにエジミウソンは動かないみたいな…

というわけで、11のドローだったわけですが、少なくない割合の浦和サポは、半ば「諦観」に近い感情に至っている模様。試合後の様子を眺めていても「ホームで勝ち点2を失った」っていう怒りの雰囲気を余り感じませんでした。ペドロビッチのサッカーはフィンケのサッカーほどの「徒労感」はないってことでしょうか?