アジアカップ優勝の周辺をウロウロと…中東の笛と過剰な自己意識

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皆さん、初詣で何をお祈りしたか覚えてますか?そんな一昔前の出来事です。我らがサッカー日本代表アジアカップで優勝したのですね。例によって日本中が瞬間沸騰した、そんな今年の年始の出来事に、ワタクシなりにもイロイロ考えたりしましたので、その辺りのことを。

の、第1弾。

アジアカップにおける日本代表の戦いは、劇的な展開の連続で、しかも、それが悉くポジティブな方向に作用したこともあり、ワールドカップのときと負けず劣らず日本国中が大熱狂しましたね。

スポナビブログもその例外ではなく、アジアカップ開催中、「サッカー日本代表」のカテゴリーには、いつもに増して多くのエントリーが林立していました。

それらを拝読する中で、1つ気づいたことがあります。それは「アーカイブ」の欄を眺めたとき、2010年の4月8月以降、半年くらいのブランクを挟んで復活されたブログさんが一つならずあったという事実ですね。

勿論それが良いとか悪いとかいう話ではないのですが、こういう傾向からワタクシは改めて、「代表とJリーグとでは支持母体が違う」という現実をつくづく認識させられたのです。

2010年の4月8月以降、2011年1月まで更新がないということは、とりもなおさず「WCやアジアカップなど日本代表の大会ではサッカー関連のエントリーをアップするが、Jリーグを初めとする(日本を含む)各国リーグに関する記事は書かない」ということですよね。つまり、「サッカーに興味があるというより、日本代表が好き」という層が相当程度、存在するということです。

クドいようですが、別にそれが悪いって言いたいわけではないですよ。なにゆえ、こんな話題を引っ張り出したかと申しますと、特にグループリーグを戦う中で、妙に「中東の笛」というフレーズが乱発されていて、それに対して違和感を感じたものですから。

いや、ですね、普段J2を含むJリーグの試合を見ていたら、あれくらいのミスジャッジなんて、日常茶飯事と申しましょうか、いちいちガタガタ文句いうほどのこともない範囲内の出来事じゃないですかね?

つまり、確かにレベルの低い笛だったかもしれないが、少なくともJリーグを主戦場としている多くの選手は、それに負けず劣らずのジャッジの中で日々揉まれているわけですから、特段にサプライズな現象ではなかったのではないかと思うんですね。

ワタクシ、大学を卒業するまでは、一応(ホントあくまで一応ですが)、「たいいくかい」の運動部に所属していたのですが、選手として手に負えないのは、「下手な笛」ではなく「アンフェアな笛」「一貫性のない笛」なんですね。この2つさえクリアしてくれれば、あとは、ジャッジの傾向に合わせるのも実力の内なわけです。

そういう意味では、「マジ、どうしようもない」ってレフェリングが特別に多かったとは思えないのです。

そもそもハンドボールとかで使われた「中東の笛」って言葉は、中東の審判による、著しく中東寄りのレフェリングを指すんだと認識してます。勿論、アジアカップでも、多少のホームアドバンテージはあったかと思いますし、長谷部なんかは、「もう少しジャッジのレベルを…」とコメントしていましたが、あれは一種のパフォーマンスというか、政治的な駆け引きといいますか、とにかく、そういうホームアドバンテージに「釘を差す」という意味を込めたアピールだったかと思います。

ただ、多少のホームアドバンテージは、極言すれば「サッカーの一部」ですし、アジアカップでの笛も、その「サッカーの一部」という枠内から著しく逸脱するほどのものではなかったかと。

そういう、「どちらかと言えば下手」程度のレフェリングに、なぜマスコミやスポナビブロガーさんが過剰に反応したのか。穿った見方をすれば、それは、舞台が「アジアカップ」だったからではないでしょうか。

多くの方が鮮明に覚えているのは、ジーコ時代に中国で開催されたアジアカップにおける「完全アウェイ」状態かと思います。次のオシムに率いられた東南アジアでのアジアカップも、ところどころでちょいちょいアウェイムードが散見しました。

そういうことが続きましたので、我々日本人には無意識のうちに「アジア=完全アウェイ」という先入観が染み付いてしまっているのではないでしょうか。

しかしですね、個人的にそれは「過剰な自意識」だと思うのですよ。

なぜ、中国や東南アジアでは「アウェイ感」に包まれたのか。それは、両地域が「反日感情」を抱える地域だからですね。

簡単に言えば1940年前後の時期に日本の兵隊さんが駐留していた国々。それが崇高なる大義による聖戦なのか、単なる侵略なのかワタクシには判断できませんし、20世紀における歴史的事実が21世紀になっても「日本、許しがたし!」みたいな教育を正当化しうるかというのも難しい論点ですが、ともあれ反日感情を必然化しうる素地自体は存在する地域であって、そういう国民感情的な背景があってこその「完全アウェイ」なわけです。

反日感情なんて、日本の兵隊さんと対峙した歴史のない中東には、ありゃしないですよね。反米感情はあるんでしょうけど。

にもかかわらず、反射的に「アジアカップ=完全アウェイ」と思ってしまうのは、「日本はアジア(全体)で嫌われている」と考えるからであって、イコール「日本はアジア諸国にとって無視しえない存在に違いない」と無意識的に思い込んでいるからだと思うのです。

でも、特定の国々が日本のことを異様に意識するのは、20世紀中葉に兵隊さんが駐留していたという歴史的背景があるからであって、その前提のない国々にとって、日本という国は「好きでも嫌いでもない、どうでもよい国」でしかないはずなんです。

やたらと乱発される「中東の笛」というフレーズの向こう側に「アジアカップ=完全アウェイ」という無意識的な先入観があるとするならば、そこには「日本はアジア諸国にとって無視し得ない国(アジアの中でも特別な注目を集めるべき国)に違いない」という、過剰な自己意識が存在しているように思えてならない、なんて感じたアジアカップの1コマでした。