フィンケを考えるその2/3(あ!「ウロウロ」を入れ忘れたことに今になって気付いた)

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さて、今回は浦和の観客動員について考えてみようと思います。

フィンケさんになってから、浦和の観客動員数って、目に見えて減りましたよね。

それは数字上もハッキリしていることですが、スタジアムに詰めかけておられるサポーターの皆さんにとっては、皮膚感覚として実感されているところかと思います。

ワタクシ、観客動員数の増減は、原則的に、ピッチ上の責任ではなく営業の問題だと考えてます。それは、強かろうが弱かろうが観客は来るってのが、理想的なあり方で、そこに近づけるのが営業部の仕事だと考えるからです。

とはいえ、やはりピッチで、どのようなサッカーが繰り広げられているかも、観客動員に全く無関係というわけではないでしょう。皆さんは、浦和の観客減に対するピッチ上の原因が何処にあると、お考えでしょうか?

単純に考えれば2つくらい思い浮かびます。

一つは、最も分かりやすい理由で、「成績が下がったこと」でしょうね。

もう一つは、闘莉王選手の放出に象徴されるように、スター選手、個性のハッキリした選手がいなくなったこと。

サッカー通の皆さん的には「なんだ、そんなこと?」ってなものかもしれませんが、案外、特にファミリー層や熟年or高齢者層に関しては、後者の影響もバカにできないかと考えてます。

サッカーの「内容」については、どうでしょうか?

結果はさておき、フィンケは魅力的なサッカーをしているのか?ってな話です。

意図のあるショートパスを小気味よく繋いでいくという意味では千葉時代オシムとの類似点もなくはない。なんて言うと、タモさんあたりに「んなこたぁない」とか言われるかもしれませんね。

オシムのサッカーとフィンケのサッカーとで、最も異なるのが「守から攻へのダイナミズム」ではないでしょうか。千葉時代オシムのサッカーを目の当たりにした敵チームの守備陣は、「2列目や3列目からドンドン飛び出してきて対応しきれなくなる」といった感想を、異口同音に漏らしていたように記憶してます。

ミソは「飛び出してくる」って部分だと考えます。飛び出してくるというのは、どういうことか。それは、最初は低い位置にいる、守備をしている、ということですね。つまり、オシムのサッカーは、守と攻のメリハリで成り立っていたということになるでしょう。

ときどき、「オシムは強引なシュートを嫌った」なんて仰る方がいます。しかし、そんなことを言うと、間髪を入れずに、「オシムは別に強引なプレーを批判したわけではない。確率の低いプレーに否定しただけだ」との修正が入ります。

「相手にとって最も嫌なプレー」、これを常にオシムは選手に求めた。では、「相手にとって最も嫌なプレー」とは何か?それは、相手にとって予想できないプレーですね。

オシムは、相手が対応の準備をしていないプレーを的確にチョイスすることを選手に要求していたわけです。

キーワードは「判断力」と「意外性」です。

そうすると、相手が攻めているとき、守備への意識が弱くなっているときに攻撃をしかけるのが、最も効率的ということになる。

必然的に、「(引きこもっているはずの)2列目3列目が飛び出す」という状況が多くなるということなんだと推測します。

一方、フィンケのサッカーについて考えてみますと、浦和というチームは、試合開始からエンジン全開で攻めまくります。鹿島戦などで、ごく稀に慎重な入り方をすることもあるようですが、「まずは相手の様子を見て」みたいなことは、非常に少ない。

しかも、内外に喧伝しているように「ショートパスを繋ぐサッカー」で攻めまくります。そこにはワビもなければサビもない。「一本調子に攻めます宣言」をして攻めているわけですから、選手にワビサビを判断する必要はありませんし、当然、相手にとっての意外性は全くない。

攻めてくるのがわかっている、しかも攻撃の方法論も明確なチームに対して守備をすることは、それほど難しいことではないでしょう。簡単でないのは勿論ですが、いつ、どうやって攻めてくるのか分からないチームに比べれば、相対的に容易かと想像されます。

そして、もの凄い勢いで前のめりになっているわけですから、ボランチも上がりまくりです。そうすると、一度ボールを失うと、ボランチやSBを筆頭に、チーム全体が「一度戻って、ボールを奪い返して、また攻める」という行動をせざるをえなくなる。しかも、けっこう低い位置にまで下がらされる。

これは、見ていても非常に「しんどい」わけです。

「守って攻めて、点を取る」

ここから発生するのが「爽快感」だとすると、

「攻めて攻めて、一回戻らされて、また攻めて攻めて、結局、点が入らない」

から発生するのは、「徒労感」だと思います。

そして、この徒労感は、サポーターにも伝染する。

サポーターというのは当然ながら攻めているときに、よりテンションが高くなるわけです。だからフィンケ就任後、1試合におけるサポーターのテンションの高い時間は、確実に増加したと思われます。

つまり、もの凄くカロリーを消費しているわけです。にもかかわらず、勝てない。テンションを上げても、それが得点という形で報われない。まさに「骨折り損のくたびれもうけ」ですよね。

フィンケのサッカーは、決して「悪いサッカー」だとは思いません。しかし、選手そしてサポーターに「徒労感」を与えるサッカーなんだと思います。その「徒労感」が、特にライトなサポをスタンドから遠ざけている一因なのかなぁ、なんて考えたりしています。

ところで、この「徒労感」は、点が入りさえすれば発生しないものです。だから問題は「得点という形で報われない」ということに尽きるかと思います。そこで次回はその辺りのことに触れるつもりでいます。