引っ越しかなんかの時に、それまで書き止めていたコラムめいたエントリーの下書きを保存したUSBメモリーを紛失したのですが、それが先日、発見されました。それを【御蔵出し】シリーズとして不定期連載していきたいと思います。そんなわけで本シリーズは、エントリーが書かれた当時の頃に記憶を戻してお読みくださいませ。
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なんだか、凄い大昔の出来事のように感じますが、アジアカップの開催中だったか、その前後に、代表選手の金銭的待遇の向上を主張する選手会と協会が、軽くバトルを繰り広げましたね。その中で選手会が労働組合化するとかしないとかって話になって、それに対して、選手はサラリーマンとは違うだとか、選手だって銭のためにサッカーやっているんだとか、いろんな意見が飛び交いました。今回は、その辺りのことをば。
ぶっちゃけ、(既存の)労働組合って、もはや歴史的使命を終えてますよね。「資本家が労働者に対して人権を無視した横暴を働き、労働者は団結してそれに立ち向かう」なんて構図、未だにありますか?本当に労働組合が働くべき場所は、現時点で労働組合のない企業とかであって、昔から労働組合が活躍してきた場所に、もはや労働組合を必要とするタスクはないだろう、みたいな。で、そういうところの労働組合は、自らの存立の正当性を顕示するために、あるかないか分からないような「労使問題」を仕立て上げているような気がしないでもない。なんてことを考えてくると、代表選手の待遇問題も、なんだか、よく似た匂いがするような…。
とは言っても、やっぱり「現場」と「当局」には、それなりに緊張感が必要。「現場」の担い手が必ずしも労働組合じゃなきゃいけないのかって問題は、脇に置いておきましょう。ワタクシが通っていた大学って、かつて学生運動華やかなりし頃にも、あんまりそっちは盛んじゃなかったらしい。その影響かどうか知りませんが、学生が一切関知しないところで勝手に授業料とかが上がってたりして、親に電話で「高くなった?」って聞かれたことがあったんですね。
そんなことに、そもそも興味がなかったスネかじりドラ息子としては、「知らん」と答えたわけですが、数年後この話を、別の大学を卒業した少し年上の先輩にしたところ、「ありえん」と驚かれました。その先輩が通っていた大学には、「自治会」なるものがあったらしく、何かと言えば立て看板。「アメリカの帝国主義を打倒せよ!」みたいな単語が、立て看板の上では飛び交っていたとのこと。さすがに「普通の学生は無関心」だったそうですが、そっちの活動に熱心な人たちは、当時(90年代、だと思う)に至って、なお、ほんわか学生運動の残り香を漂わせていたらしい。
で、そういう人たちが好きな言葉として、「当局の横暴を許すな!」ってのがあるらしく、その先輩曰わく、仮に授業料が上がるなんてことがあれば、確実に自治会は「当局」に噛みつく。そこでの喧々囂々を経て、漸く授業料は上がる。その際は立て看板だらけになるから、一般の大学生も、授業料が上がるという事実くらいはなんとなく知っているんだとか。
そのときは、「はあ、そういうもんですか」くらいの感じでいましたが、確かに、「仲良く喧嘩する」くらいの緊張感はあっても良いのかぁ、なんて感じる今日この頃だったりします。
選手会と協会についても、やはり適度な緊張感は必要でしょう。
協会の背広組が現場を無視した強化プランを、思いつきで実行して、そのシワ寄せをユニフォーム組が全て被るってことになっちゃいけないですし、逆に「事件は現場で起こっているんだ!」ってばかりに、各種の「大人の調整」を蔑ろにしてしまうと、それはそれで、長いスパンで考えたとき、確実にデメリットが噴出することとなる。
サポーターは基本的に背広組より選手の側に付きますので、あまり選手の発言力が強すぎるのも、正常な判断を歪める可能性がありますが、どう考えても「たかが選手」って状態は宜しくない。そんなこんなを考えると、先般、選手会が代表選手の待遇改善を大袈裟に主張したのは、一種の「かまし」だったのではないか、なんて思ったりします。
つまりですね、「直接、選手に関わる事柄だったら、選手会は何にだって口を差し挟むぜ!」ってアピールだったんじゃないかと思いたいのです。選手会(の上層部と顧問弁護士)にとって重要だったのは、代表選手の待遇そのものではなく、「万一、現場を無視するような施策を打ち出した際には、オレらは黙っていませんですぜ!」って印象を協会に植え付けることにあったんじゃないかな、と。
仮に、選手会の真意がそういうところにあったとしたら、協会の対応は、余り宜しくないものだったということになるような気がします。協会は選手会の待遇改善要求に対して、「情報公開」をした上で、事実上の門前払いに処しました。「これだけの金額を払ってるんだから、不当に待遇が悪いわけではないでしょ」と。
情報公開そのものは悪いことではないでしょう。仮に「協会に都合の良い情報だけ公開している」状態だったとしても、それさえも隠蔽するよりは、いくらかマシです。問題は、一方的に情報公開を突きつけることで、テーブルに付くことを拒否したことです。言い方を変えれば、協会は選手会との双方向性を放棄したということになります。
それは、如何なものか。繰り返しになりますが、ワタクシは、協会と選手会には適度な緊張感が必要だと考えます。その立場からすれば、仮に選手会の要求が異常で不当なものであっても、まずは双方が同じテーブルに付き、互いに神経をすり減らすというヘヴィな環境から身を避けるというようなことは、してほしくなかったな、と思いました。
「ピッチ内では年上も年下も関係なく、タメ口で要求しあい、意見をぶつけ合う」というのがサッカーというスポーツです。そういうサッカーという業界であるからこそ、たとえ背広組であっても、「意見をぶつけ合う」ことを避けてほしくないという願望を禁じ得ません。
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って書いてから23年。2シーズン制問題でも両者は同じテーブルに着きましたね。そして、「仕方ないね」ってところで妥結した。こうなってくると「選手と協会が癒着して、サポーターを無視している」なんてことを言い出す人も出てきそうですけど、ワタクシは「サポーター(客)は神様レベルに偉い」とは考えませんので、この問題における両者の意見共有をポジティブに捉えたいと思います。