アジアカップ優勝の周辺をウロウロと…岡崎のハンド

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アジアカップびんびん物語も、第6弾となりました。

突然ですが皆さん、癖ってありますか?

ワタクシ、大学を卒業してからは、年に12回、日にちにして、合計で5日弱くらいしか親に会いません。ええ、完全なる親不孝者ですね。

ただ、そうやって、たまに親と会うと、「アンタはホンマ昔から、そうやな」みたいなことをしばしば言われます。例えば忘れ物が多いとか、愛想笑いが下手だとか、自分に、そういう部分があることを最近になって自覚するようになったことでも、親にとっては先刻承知の基礎事項のようです。

また、幼い頃のワタクシ、みんなと一緒に暴れていたかと思いきや、次の瞬間、気が付けば1人で本を読んでいたり、さらに気が付けば、また友だちとじゃれあったりする、協調性があるんだか、ないんだか、よく分からない子どもだったらしいです。なんか、今にあたって思い当たるフシがなくもない。

三つ子の魂は100歳まで変わらないとかなんとか、そういうお話。

さて、前回は「日本人は危機的なシチュエーションにおいて蛮勇に走る臆病な人種だから、ザックの5バックによる逃げ切り戦術が上手く機能しなかった」というようなことを述べました。

等しく人間と言っても、不思議なことに、やっぱり生まれ育った地域によって、それぞれの地域内では共通する一方で、他地域の人々とは異なる、そういう特性を身に付けたりしますよね。スケールによって、それを「県民性」と呼んだり、「国民性」と呼んだり、「民族性」と呼んだり、様々ですが、いくら「人類みな同じ」と言っても、そういう差異を無視することは適切でないでしょう。差異という現実を正しく踏まえて、初めて平等という理念に近づくわけですね。

さて、アジアカップ勝戦の直後、日常から一方的に大変、勉強させて頂いている、とあるスポナビブログさんで、次のような御主張が展開されていました。すなわち、決勝の延長戦ロスタイムあたりで、束になって攻めてくるオーストラリアのアタッキングに対して、岡崎選手が自陣でパスカットすべくつっかけ、結果としてハンドを取られた場面がありましたが、そのプレーは岡崎選手が世界の一流を目指すならば余りにも不用意だ、という御指摘です。

もう、それは全く仰る通りなのですが、御主張を読んで最初に思い浮かんだのは、「そこって、日本人にとっては苦手とするところだろうなあ」ということです。

つまり、本シリーズの前エントリーで述べたように「危機的なシチュエーションにおいて蛮勇に走る臆病な人種」である日本人にとって、かさになって攻め立ててくる相手の攻撃を、じっくり戦略的に守り続けるというのは、最も難しいタスクの一つなのではないかと思うのです。

「オリンピックで金メダルを取りたいなら100mを8秒台で走れるようになるべきだ」

正論ですよね。ただ、その一方で、実現が極めて不可能に近い正論は、果たして生産的と言えるのか、という疑問が湧いたりもします。

「岡崎選手よ、ふてぶてしく守れるようになれ」

に、そんな印象を抱いてしまったわけです。

ただ、いくら三つ子の魂がなんとやら言ったところで、日本人としてのメンタリティは、全く変えられないのか、と言えば、そんなこともないでしょう。

例えばテレビでやっていたのですが、長谷部選手はワールドカップの直前にチームメイトから「日本は厳しいよ」なんてからかわれたそうです。で、その時のことについて長谷部選手は、「日本人は、そういうときに黙っちゃうと思うんですけど、こっちでは言い返さなきゃいけないんで、当然やり返しましたよ」なんて述懐していました。

人間、変わろうと思えば変えられる部分もあるんだなあ、と感心したことを覚えています。

そういう意味では、サムライブルーの1人1人が意識改革をすれば、「ふてぶてしい守備」を実現できる日がいつかやってくるかもしれない。

ただ、繰り返しになるかもしれませんが「ふてぶてしい守備」というのは自信満々だからこそ可能になるわけで、少しでも臆病さや不安が顔を覗かせたら実現不可能なんだと思います。

そして、ここで面倒な真実が我々の道を塞いでくるのです。皆さん、新幹線に乗ろうとホームで待っているとき、周りの人が指定席券で号車と座席番号を調べだしたら、なぜか無意識に自分も指定席券を再チェックしてしまいません?

座席番号を調べるということは、「この号車で間違っていないかしら」という不安があるからですね。そして周りの人がそういう不安にかられると、自分にもそれがうつってしまう。そう臆病さや不安というのは厄介なことに伝染するのですね。

つまり、1人でも相手の猛攻にパニックを起こしてしまえば、その不安が他の10人にも伝わり、「ふてぶてしい守備」は破綻するわけですね。だから、「ふてぶてしい守備」を実現させるには、少なくともフィールドにいる11人は1人の例外もなく全員が、そういう守備文化を体得していなければならない。

これは、なかなか難しいミッションですよね。前のエントリーでも述べましたが、「敢えて守備的な用兵をする」という監督は、Jには殆どいません。ということは、「ふてぶてしい守備」を身につけようとするならば、そういう守備文化の根付いたヨーロッパで武者修行をしてくるより仕方ないでしょう。

とどのつまり、代表<Jリーグのワタクシには余り喜ばしくないことですが、「代表の強化こそが日本サッカー界最大の目標である」という立場に立つならば、今までの流れを更に加速させ、もっともっとどんどん海外組を増やしていくべきなのかもしれません。