バルセロニズムと資本主義の精神テレビ観戦(ミランvsバルサ・1st&2ndレグ)の周辺をウロウロと…

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どもども、別館4thDayMarketCentreよろしくっす。

田邊草民には荷が重かった、とかなんとか言っちゃってFC東京vs広島(03月31日)、その1

石川直は守備的ウイング(DWG)化している、とかなんとか言っちゃってFC東京vs広島(03月31日)、その2

ポポビッチが常に正しいわけではない、とかなんとか言っちゃってFC東京vs広島(03月31日)、その3

■ACミラン 1  0 バルセロナ(03月30日)

スコアレスドローに終わった1stレグ。例によって、海外サッカー音痴のワタクシとしては、たまに地上波の放映があると、イチイチ新鮮な感動を覚えながら観戦するわけですが、今年の(昔から?)バルサって、不思議なフォーメーションですね。

スターティングポジションというか、守備対応時のフォーメーションは上図の通りなんですが、攻撃に移ると、左SBに入っているプジョルが真ん中に絞って、CBのマスチェラーノが一列前に上がる。変則2バックのような感じになるんですね。もちろん、流れの中ではマスチェラーノを加えて3枚で残ることもあるようですが。

で、マスチェラーノブスケツが中盤で全体をオーガナイズしつつカウンターに備え、残りの6人がひたする繋ぎ倒して攻め倒す。往年の池田高校を率いた蔦監督ばりの攻め達磨ぶりです。いつものパターンですが、蔦監督がバルサっぽいのではなく、バルサが蔦監督のオマージュなのです。時系列上、そうでしかありえない。おそらくグラウディオラは、高校野球徳島県予選を熱狂的に応援していたのでしょう。

ともあれ、攻撃している時のバルサは下みたいな感じ、2224あるいは3124システムですね。

FW:サンチェス(CF)・メッシ(シャドー)・イニエスタ(WG)・アウベス(WG)

OH:ケイタ・シャビ

CMF:(マスチェラーノ)・ブスケツ

DF:(マスチェラーノ)・プジョル・ピケ

そう考えると、よくこの陣形で、イブラヒモビッチの重戦車突進を押さえ込んだな、というところに感嘆すべきなのかもしれませんね。つまりピケとプジョルの肉弾ディフェンスに。

とはいえ、ミランも黙って指をくわえているわけではありません。後半になってエルシャアラウィーが投入されると、俄然、反撃モードに移ります。特にタイミング良くノチェリーノがオーバーラップ(ハーフの選手に「オーバーラップ」って言葉を使うのも落ち着かないですが、そうとしか表現しようがない)してくると、なかなか分厚い攻撃になって、さしものピケやらプジョルやらもタジタジになります。ただ、イブラヒモビッチの調子が今ひとつだったでしょうか。、トラップが乱れたりとか、全体的にボールが足に付いていなかったような。

ちなみに、後半になってミランペースになった最大の理由は、解説の清水さん曰く「バルサの疲れ」。そんな清水さんですが、この人は「わりかし」って単語を使うのが口癖なんでしょうか。一般的には「わりあいに」と表現すべきところなので、なんとはなしに耳に残ります。

そして、耳に残ると言えば、青嶋アナの発音。特にダニエウアウベスやイブラヒモビッチに対して、思いっきり最初の音(「ダ」なり「イ」なり)にアクセントを置くのですが、これって、現地の言葉的に正しいんでしょうか?

どことなく、英語の部分をそれっぽくするために”r”の発音だけ、わざとらしく舌を巻いて歌うアイドル崩れみたいな雰囲気があって、逆に「ダサ格好いい」感満載でございました。さすがは青嶋、常人とはセンスが異なります。

バルセロナ 3  1 ACミラン (04月05日)

バルサがPKでさっさと先制してしまいました。これど終わりかと思いきや、ミランも意地を見せ同点に。ロビーニョがクネクネとドリブルしているうちに、少しバルサのマークがズレて、イブラがポストプレーからスルーパス。反応したノチェリーノが抜け出して、きっちりと蹴り込みました。

バルサの勝ち越し点もPK。先制点と同様に、メシ山メシ男が慈悲の精神を微塵も感じさせずに決めてしまう。で、後半に入ると、バルサイニエスタがメッシのシュートのこぼれ球を押し込んで、ミランの息の根を止めます。

さて、まずはバルサ勝ち越しのPKに触れないわけにはいきません。コーナーキックの際の小競り合いのなかで、なぜかネスタだけ悪者扱いされてファールとなったのですが、繰り返しVTRが流されて、解説の風間さんも言っていたように、プジョルにも同等の行為があって、ネスタだけが咎められなければならない理由はないと思うのですね。

また、後半、ピケのクリアをカラダごと受け止めて、そのまま突破し大チャンスを演出したロビーニョのプレーもハンドを取られました。これも、類似したプレーでハンドを取られることの殆どないプレーでした。にもかかわらずロビーニョだけはファール。

うむ。ワタクシ、モウリーニョのことをそれほど好きってわけではないのですが、こういう判定を見ていると、ヨーロッパの審判員には、「長いものに巻かれる」風潮があるのかな、と。

ただ、これは、非常に理解しやすい現象なんですね。大学生の頃、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』という本を読まされました。内容は8割方理解できなくて、その後は忘却の彼方なんですが、それでも部分的に覚えている部分もあって、つまり、西洋キリスト教社会には強者を合理化する基本的な考え方があるらしい。

金持ちは「天職に従い適切な行為」をしたから祝福を得るのであり、その逆は、つまりその逆である、と。だから、強者であるバルセロナは「天職に従い適切な行為」を積み重ねた集団であり、彼らにとって優位な現象の中に真実はある、みたいな発想になりやすいんだと思うのですよ。

しかも、バルサって、サッカーの種類的に、近代合理主義との相性が非常に良い。バルサのサッカーって偶発性を排除して、必然性を極限まで高めようとするサッカーですよね。「止めて蹴る」という基礎技術を鍛え上げ、確率の高い判断を積み重ねることにより、合理的な結果を得ようとするものだと思われます。

これって、近代における合理主義やら資本主義やら科学至上主義やらの精神と根底で通じている。だからバルサが強いというのは、近代合理主義に身を置く多くの現代人、なかんずく、その本家本元であるヨーロッパ人にとって、非常に居心地の良い現象なんですね。本質的には、西洋合理主義とは異質の文化を形成してきた日本においてもバルサの人気が信仰的にまで高まっていることについては、いろいろと、さらに考えを深めなければなりませんが、欧州のフットボールシーンで、バルサが少し「役得」的ポジションにあるのは、案外わかりやすい現象なのかもしれません。