ナベツネさんとJリーグ選抜人間という生き物の宿痾の周辺をウロウロと…

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え、菓子パンの賞味期限って、名目上はともかく、実質的には10日くらいでしょうか。買い占めパニックの際に大量購入された菓子パンの皆様も、そろそろ、賞味期限を迎えるかもしれませんね。

大衆心理として、ついつい買い溜めてしまったことは、もはや仕方のないことです。それよりも、食べ物は粗末にしてはいけません。勿体ないお化けに叱られちゃいます。読者の中に買いすぎてしまった皆さんが、もし、いらっしゃいましたら、多少ムリしてでも、食べきって下さいね。ゴミ箱直行だけは、おてんとさまに申し訳ないですし。

、、、なんて、つい先日までは考えていました。しかし、これはなかなか尊大な考え方だったなぁと(一部)反省しております。

ワタクシが住んでおります地域、いま、乳児は水道水を飲んじゃいけないことになってます。「情報公開が足りない」だのなんだと騒ぐ人もいますが、「乳児は水道水を飲んじゃいけない」という情報があれば、「乳児以外は大丈夫、乳児も飲む以外なら平気、いつまでかは現時点の科学知識では解明不能」と理解できるわけで、これ以上、どんな情報が必要なのか、ワタクシの貧相な想像力ではイメージできないのですね。

話が逸れました。

いやですね、日用品の買い溜めやら、出荷されているホウレン草にまで不信感を持つやらってことに対しては、ワタクシ、かなり冷ややかに見ておりました。参加もしてません。でも、冷静に考えると、普段からパンやら野菜やらは買いませんし(ダメな独身男子です)、電池とかは、それ以前から通販で箱買いする習慣があったから、特に急いで買わなきゃいけないって状況に自分がいなかったから、たぶん悠然としていたのですね。

「水が危ない(かも)」なんて大々的に報じられると、急に不安になりました。まぁ、そもそも専らペットボトルのお茶かアルコールで水分を補給する生活しておりますので、水道水はコーヒーを飲むときくらいしか口に入れないわけですか、なんか、ついつい、今日は缶コーヒーで済ましてしまいました。

ミネラルウォーターを買い溜めするなんてことはしていませんが、「安全だ」ってのに、思わず水道水を避けた自分に、「冷静な状況判断を!」なんて言う資格のないことを自覚するとともに、やっぱり、その人の立場になってみないと分からないことが世の中には盛りだくさんなんだなぁと改めて痛感した次第であります。そして、その「その人の立場になってみないと分からないこと」に対して、ついつい鈍感になってしまうのは、人類の悪い癖だなぁとなんて思ったり。

本エントリーのキーワードは「人間という生き物の宿痾」です。

話題はセリーグの開幕問題です。結局4・12で、ナイターは避けますよってところに落ち着いたんでしたっけ?

問題がこじれたのはナベツネさんの発言ですね。この人はいつでもどこでも、こんな非常事態でも、強烈な個性を発揮しまくりますね。ワタクシもナベツネさん発言には批判的な立場です。

ただ、如何せん近年は世論との乖離が目立つので、今回に限らず、しばしばナベツネさん発言に対して「老害だ」なんて批判が寄せられますが、こういう批判を聞くと、少しドキッとしてしまいます。

ナベツネさんが何故あんなに素っ頓狂なことばかり発言するかをワタクシなりに分析すると、その根本要因は「過去の成功事例に囚われすぎて、時代の変化に対応できなくなっている」からだと思うのです。

しかしですね、過去の成功体験を判断基準にすると言うのは、人類という生き物に普遍の行動様式だと思うのですね。そして、必然的に、年を取れば取るほど時代の大勢から懸隔していってしまう、これまた、霊長類ヒト科の共通傾向であって、ワタクシもアナタも彼氏も彼女も、ほぼ全ての人間が、多かれ少なかれ、そういう「老害」を、人生の後半には振りまくことになるんだと思うのです。

ネベツネさんと、ナベツネさんに批判的なワタクシの相違は、「自らの「老害」が、世間的な影響を持つだけの社会的地位を有しているか、一般的市民にすぎないのか」の差でしかないのではないか、なんて思ったり。

そうです、本エントリーのキーワードは「人間という生き物の宿痾」なのです。

話かわって、我らがサッカー。

29日にチャリティマッチが行われますね。で、そのチケットが販売1時間で即ソールドアウト。数時間後にはヤフオクにて異常な高値で取引開始。小倉会長、お怒りです。そして、サッカーを愛する皆様方もお怒りの模様で、いくつからブログさんでも、熱い感情のほとばしりが素直に表現されていました。

もちろん、ワタクシも、そのような転売目的の購入が好ましいとは決して思いません。善意を悪用した卑劣な行為だと評価します。

しかし、ですね。いわゆる「モラル」とされるものを意図的に無視してでも、あらゆる機会を見つけて、あの手この手で自らの利益を確保・拡大させようという人々は、おそらく4本足のサルが、二本足で立ち上がり、火を使って、なにやら言語らしきものを発するようになった、その瞬間から古今東西を問わず、1秒の例外もなく、全ての時代、全て社会に存在し続けてきたんだと思うのですよ。

しかも、それは一部の例外的な突然変異で発生し続けたのではなく、人類という生き物が宿命的に背負っている性質なのではないかと思うのですね。ただ、「社会道徳」なる後押しのもと、「教育」「しつけ」という手段によって身につけた「理性」によって、大多数の人々は、自らの「反社会的側面」を封殺することができるようになっている。逆に言えば、「教育」「しつけ」あるいは「環境」に、なんらかの不幸があれば、そのような「悪魔」は、すぐに前面に押し出てくる。「何が何でも自らの利益」という発想も、「人間という生き物の宿痾」でしょう。多くの人が処方箋を所持しているだけで。

なにが言いたいかと申しますと、人間が人間である以上、そういうことをする人は、今後も必ず出現する。撲滅不可能なものが撲滅できていないと歎いても、仕方ないだろうと感じるのです。むしろ、我々は、そういう「人間という生き物の宿痾」と上手に付き合っていかなければならない。逆手にとって利用できたとしたら、そちらの方が生産的だと思いませんか?

そもそもの目的は、チャリティなわけですよ。そしてチャリティの目的は、第一義的には「お金集め」ですね。もちろん、もろもろの想いや念やパワーを届けるというのも大切ですが、一番大切なのは義援金なわけです。

だったら、今回、転売屋さんの影響でチケットを買えなかった人は、そのためのお金を募金にまわしてみませんか?

もし、世の中に宿痾が存在せず、善意しかなかったら、義援金は「38000枚×金額+会場募金箱」しか集まらなかったはずなのです。それが転売屋さんの出現でチケットが買えなかった人が、その金額を募金したら、「38000枚×金額+会場募金箱+買えなかった人の募金」となるわけです。

これぞ、チャリティ!

……と思うことにしましょう。

ちなみに、意外に知られていないというか、盲点かもしれませんが、今回「Jリーグ選抜」に抜擢された選手たちって、

実は!

なんと!

再開後のJリーグを見に行けば、応援することができたりするのです!!

let's Jのスタジアム!