関塚ジャパンに対する低評価の周辺をウロウロと…【サッカーオリンピック代表に対する評価の在り方】

                                  にほんブログ村 サッカーブログへ
にほんブログ村

見え見えの打算に、いろいろと葛藤もあっただろうに敢えて代表入りのオファーを受けたカズの、「日本のフットボールファミリーが少しでも良くなるために自分が何が出来るだろうか」という想いにリスペクトを感じるより他ない今日この頃、皆さんにおきましては如何お過ごしでしょうか?

ワタクシは別館4thDayMarketCentreをアップしております。

□攻撃時のヴェルディは3バックぽかった、とかなんとか言っちゃって、ヴェルディvs福岡(09月14日)その5

□明暗を分けたのは選手交代だった、とかなんとか言っちゃって、ヴェルディvs福岡(09月14日)その6

□なでしこ佐々木監督続投要請の背後には少しきな臭い事情がありそうだ(上)、とかなんとか言っちゃって。

もはや圧倒的多数の方々にとっては忘却の彼方の出来事かと思いますが、かつて関塚ジャパンというチームがありまして、ロンドンオリンピックという国際大会を戦いました。

で、ベスト4という40数年ぶりの成績を収めたにもかかわらず、ある特定類型の方々からの評価が、どうも芳しくない。

で、芳しくない評価が発生する理由は幾つか考えられるのですが、その中の一つに、「結局、〈戦術は永井〉しかなかったのだから無策だった」というような声があります。いや、「声があります」というのは不正確かもしれない。上のような人々は、もはやロンドン五輪のことを落ち着いて振り返るって感じではなくなっているでしょうから、「声がありました」と表現すべきかもしれません。

もう1つ、関塚さんに対して「通用するはずの戦術がトゥーロンで通用せず、慌てて戦術を変更して、それがたまたま上手くいっただけ」といった意見を投げかけ、低く評価する向きもあります。

トゥーロンの結果に焦りまくった」かどうかなんて、関塚さん本人以外の人間が、どうやって知りうるのか甚だ疑問なのですが、近年は「メンタリスト」なんて言葉もありますし、まあ、あれは心理学の、心理学者が絶対に行わない実践類型ってことなんでしょうが、ともあれ、そういった科学的(?)素養を身に付けている方々が、オリンピック当時、スポナビブログに多く参与していたのかもしれません。

そんなことはともあれ、ロンドン五輪での関塚さんの戦術を見て、「トゥーロンでビビりまくった結果」と感じた方がいらっしゃったとしたら、おそらくそれは、普段、Jリーグを見ていない方ということになろうかと思います。

関塚さんが五輪代表監督に抜擢された根拠は、たぶん就任当時2部にあったフロンターレをJ1の強豪に育てあげた実績を買われてのことでしょう。

では関塚さんが率いていた頃のフロンターレが、どのようなサッカーをしていたか。

そう、極端な表現を用いれば、‘戦術はジュニーニョ’だったわけです。フロンターレサポーターの皆様からしてみれば、ロンドンでU23が繰り広げていたサッカーには、ある種の懐かしさを覚えていたのではないでしょうか。

別にトゥーロンでビビらなくとも、間違いなく関塚さんのプランの中に、‘前線の選手のスピードとアジリティーと決定力を最大限に生かすサッカー’というイメージはあったはずです。

というよりも、アジア予選とロンドン本番で、そんなに戦術って変わりましたかね?

予選のときから、基本的には‘スイッチを入れてからは、余り回しすぎず、少ない手数で攻めきる’という、典型的なショートカウンターサッカーだったようにワタクシには見えました(過去のエントリーを適当に読んで下さいませ)。

変わったのは、ポゼッション率、高い位置でのパス回し発動数、これだけでしょう。ただ、これらの要素というのは、自律的なものではなく、あくまで相手との相対関係で決まるものですね。

要するに、アジア予選とロンドン本番の相違は、「相手が強くなって、ボールを持つ時間が短くなった」、ただ、それだけのことで、それは関塚さん云々に関係なく、普遍の法則として発現する自然現象に過ぎません。

トゥーロンの前であろうが後であろうが、‘少ない手数で効率よくシュートに持ち込む’という戦術の基本部分に何らブレはなかったと思います。

にもかかわらず、‘戦術は永井’として揶揄されたのは何故か。理由は簡単です。永井が負傷して輝きを失うやいなや、日本が2連敗して終戦となったからです。

「永井が元気だったうちは勝っていたのに、永井がいなくなった途端に勝てなくなった。だから関塚さんには‘戦術は永井’しかなかった。」

一見わかりやすい説明ですよね。ただ、ここで自覚的に留意しなければならないのは「永井がいない試合で勝てなかった」からといって、そのまますなわち「永井がいないから勝てなかった」ってことにはなりませんし、ましてや「永井がいれば勝てた」ということには決してならないということです。

ごく単純な話です。たまたま「永井がいなくなったタイミング」と「相手が強くなったタイミング」が一致した、ただそれだけのことなんですよね。

敢えて極端な言い方をすれば、日本はオリンピックで銅メダルに値するだけの力を、日本サッカー界の総体として保持していなかったから、メダルを取れなかった、それ以上でも以下でもないでしょう。

おそらく、五輪代表18人のサッカー選手としてのポテンシャルだけなら、十分にメダルも可能だったかもしれない。ただ、日本が五輪なり、ワールドカップで3位以内に入るためには、18人なり23人という「氷山の一角」以外の部分、海に沈んで見えない部分に決定的な欠落があるんだと思います。

そして、その「決定的な欠落」とは何か?ということについてのワタクシなりの見解は、このエントリーを通読して頂ければ、敢えて繰り返さなくとも、伝わるんじゃないかな、と考えます。サポーターも選手を強くする重要な一要素です。