Jクラブの監督の周辺をウロウロと…2013年シーズンのJリーグを振り返る・サッカー界を彩る諸要素

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■気鋭対決[川崎vs大分(3月9日)]

この試合は、大分の田坂さんと川崎の風間さんという、注目を集めている気鋭の指揮官による対決となりました。

田坂さんといえば、細身の体型にスーツをスラッと着こなし、頭はスキンヘッド。いわゆるシャレオツイケメンキャラですね。現役時代には、全くそのような印象が無かったですけど。

対する風間さんは、「すぽると」時代のスーツ姿とは打って変わって、ダボダボのジャージに、今一つオシャレ感の伝わって来ないキャップをかぶるという‘日曜日のパパ’スタイル。

見た目は好対照な両監督ですが、確か現役時代は2人ともボランチだったような。田坂さんはよく覚えているのですが、あまり風間さんのイメージが思い浮かばない・・・

ただ、現役を引退してからの道のりは、服装同様に好対照。田坂さんらJクラブのコーチを歴任し、清水時代には名コーチとして、「エルゴラッソ」でもインタビューされていましたよね。一方の風間さんは、長く解説者としてお茶の間の人気を集めつつ、筑波大学の監督としても存在感を示しました。コーチ(部下)を経験せず、プロからカウントすれば下部リーグながらも、一国一城の主に、直接なりました。そし、このようなキャリアの違いが、両者の監督としてのキャラクターの違いに直結しているようにも思われます。

田坂さんを現実とトコトン向き合う、いわば‘勝負師’とするならば、風間さんは、理想を設計図に表し、それを如何に現実化させるかを考える‘建築家’。その2人の個性の差は選手交代に出ていて、漠然としたイメージで申し訳ないですが、田坂さんは、明らかに「流れを変える」ためにメッセージ付きの選手を投入する。一方の風間さんは水漏れを防ぐように、上手く行っていない場所をケアして「いつもの状態に戻す」ためのスイッチをするような印象があります。

高木琢也山口素弘[横浜FCvs長崎(4月17日)]

この試合、長崎を率いる高木琢也は、かつて横浜FCをJ1昇格へ導いた監督でもあります。そんな、かつての指揮官に対して横浜FCサポーターは拍手でお出迎え。かつて横浜FCに所属していた岩丸選手にも同様の対応でしたので、ブーイングではなく拍手で変わらぬ愛情を示すというのがサポーターにとってスタンダードとなりつつあるのかもしれませんね。

高木琢也山口素弘といえば90年代の日本代表を彩った、かつての名選手ですが、アジアの大砲高木琢也といえばドーハの悲劇の主役の1人。初戦サウジ戦の高木の出来は酷かった。一方の山口素弘といえば日本が初めて出場したフランスWCのキャプテン。

・・・ということは、実はこの2人って、微妙に重なっていなかったりする?

確か、フランスWC予選のカザフスタン戦だったかでゴンとともに緊急招集されたことがあったように記憶しているので、そのときには確実にチームメイトになっていますけど、オフト時代のボランチは森保だったしなー。

むしろ高木とゆかりが深いのは御存知、‘カズ、三浦カズ’。オフト時代の2トップといえば、高木・カズのペアが代表的ですからね。そう考えると、つくづくカズって凄いよな。高木琢也なんて、いまや監督界でも中堅ですし。

ちなみに長崎の選手で山口素弘に縁がありそうなのは山口貴弘。なんといっても、名前が一文字違い。〈日本サッカー界の二大山口○弘〉といえば、少なくともワタクシは、この2人が思い浮かびます。・・・なんのこっちゃ。。。

■負けられない度[京都vs徳島(J1昇格プレーオフ 12月8日)]

結果的に徳島が勝利しましたが、この試合、本当に勝たなければならない切迫感は、おそらく京都の大木監督の方が大きかったでしょう。というのも、徳島の場合、美濃部さん時代の様子を見る限り比較的長期的スパンで、チーム作りを監督に任せる。

おそらく小林さんも3年計画で昇格すれば良いくらいの感覚で会社の方は見ていたのではないかと思うのです。だから、小林さん的には昇格プレーオフに進出した時点で、ほぼほぼ最低限のノルマはクリアしていたのではないかと思います。

一方の大木さんは、まさに‘3度目の正直’。これまで2年連続で有力視されながらも昇格を逃しており、さすがに今回もダメとなれば、退路はない。実際に契約満了となりましたが、そうなるであろうことは、戦前から予想できました。

いわば背水の陣で迎えた大木さんは、この試合で、レギュラーシーズン最終盤の流れを汲まずに、病み上がりの、安藤、酒井、駒井を起用してきました。大一番において、必ずしも試合勘を含めたコンディションが万全ではない選手を起用した意図は、どこにあるのか。

思うに、これは‘博打’といったものではなく、「この3年間の積み重ねのなかで、最も信頼できる11人」という基準で選手を抜擢したのではないかと。「こいつらを使ってダメならしかたない」みたいな、いわば心中を決めたものと思われます。残念ながら、その覚悟が報われることはありませんでしたが、大木さんの矜恃を感じられたように思います。