風間八宏批判の周辺をウロウロと…

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■風間さんについて

相変わらず風間さんってアンチが多いですよね。でも、風間さん、なんだかんだで一定の成績を収めている。というよりも、鮮烈な印象を振りまいている。風間さんのサッカーといえば、いわば「攻撃は最大の防御」とするサッカー。良い攻撃ができているということは、それだけ適切な配置(ポジショニング)になっているんだから、必然的にその適切な配置(ポジショニング)は守備においても発揮される、という考え方ですよね、たぶん。

 

 

そんな風間サッカーにはファンが多い。でも、それ以上にアンチも多い。厳密には、ネット上で意志表示する率でいけば「シンパ<アンチ」という感じになる。しかも、アンチ風間に特徴的なのは、そのアンチテーゼがなかなかの粘着質であること。500の否定意見があったとして、500人が1ずつ否定意見を持ち寄るというよりも、5人が100ずつ持ち寄って500になっている、みたいな。

 

 

前提として確認しておかなければならないのは、風間フロンターレの成績そのものが批判されなければならない類いのものか、ということ。2015シーズンにおける川崎の成績は年間順位で6位。日本は資本主義国家ですので、資本主義の原則に則った場合、基本的に成績と人件費(補強費)総額は比例する。なので川崎の補強費総額がJ1で上から5番目以内であれば、「良くない」ということになる。って基準で考えると、たぶん、「そこそこ」ないし、「まぁまぁよくやってる」ってところでしょう。

 

 

風間フロンターレに顕著なのは、成績以上にサッカー内容に対する評価ですよね。サポーターについては賛否両論こもごもなんでしょうが、現在のJリーグにおいて、風間フロンターレほど、対戦相手の選手からリスペクトを表されるクラブはないんじゃないでしょうか。「川崎はやりにくい」って言葉は、よくテレビのインタビューとかで流れているような気がします。

 

 

 

■なぜ批判されるのか

それにしても、なぜ、風間さんって、あんなに批判されるんでしょうね。何かの本か、ネットの記事で読んで、「なるほど」と思ったんですが、人はなぜ腹が立つかというと、前提に「べきである」という意識の存在がある。つまり、「○○は××すべきである」とか、「◇◇というものは△△であるべき」という意識を持ってしまうと、そこから外れるものが許せなくなるんだそうです。

 

 

逆にいえば、「そんなん、なんでもありやろ!」と思っていれば、腹が立ったり、それゆえ他者を批判したりする気になったりしない。実は風間さんを批判する皆さまって、それぞれなりに明確なサッカー観をお持ちなんだと思うんですね。でも、風間さんのサッカーは、一般的に人々が共有するサッカー観の斜め上をいくもの。多くの人々の「サッカーとはこうあるべき」の枠組から外れてしまうんだと思うんですね。

 

 

で、風間批判をされる方々は一定の見識をお持ちですから、それなりに御自身のサッカー観に自信がある。周囲からも相応の評価を得ているのでしょう。そうなると、「自分のサッカー観こそ正義」という意識になってしまい、ゆえに「そこから外れるサッカーは邪道=悪」と思いこんでしまう。何につけても「自分は正義」とか「自分(たち)の考え方は正しい」とかっていう前提の人は、「自分の言動=世直し」という感覚だから、リミッターがおかしくなっている。ゆえに粘着してしまうってことなんだと思われます。

 

 

話を風間さんに戻すと、風間さんが批判されるのは、それだけ自称サッカー通な人々のサッカー観を越えていると言うことなんだと思うんですね。常識の枠にこだわらず、世間に流通している固定観念に縛られずに、自ら追い求めるサッカーの実現へと努力している。成績面であまりにも悪いのであればともかく、そうでもないのに批判に晒されるというのは、風間さんにとって、むしろ勲章なのかもしれません。