ワールドカップ各国分析〜イングランド編【グループD】

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ザックジャパンコートジボワール相手に初戦を落とした瞬間、多くの「(自称)サッカーに関心のある」日本人にとって、ブラジルワールドカップの記憶は風化を始めたわけですが、一応、ワタクシはWCの全試合を録画を中心に見ました。で、その各試合のレポは少しずつ「ワールドカップTV観戦記」としてアップしておりますが、それと並行して、「ワールドカップ各国分析」もアップしていこうかなと思います。1週間に1カ国とすると、コンプリートするのに8ヶ月、2015年の5月、完全に皆さま「とっくにそんなこと忘れたよ!」って時期になってますけれども・・・。

 

というわけで、今回は予選敗退という惨敗にもかかわらず、さほど衝撃的に感じなかったイングランド

 

□総評

 

まずは「ルーニー、おめでとう!」と。知らなかったんですけど、というか四年前には知っていたのに、いまや完全に忘れていて、言われても思い出せないくらい、「かつて知っていた」ということさえ忘れてしまっているくらいになっているだけなのかもしれませんが(加齢とともに、こういうことが増える)、ルーニーって、今大会までワールドカップでのノーゴールだったんですね。そうかー、言われてみたら18歳の時のオーウェンみたいな、“伝説のシーン”ってルーニーにはないような気もします。

 

 

それにしても、こうやって国別対抗戦形式になると、いまなおイングランドが「連動しないサッカー」という伝統を固持したままなのがよくわかりますね。スターリングやらストゥーリッジやらも1vs1の仕掛けが目立ってましたしね。そうすると、「新風を起こそう!」とファーガソンが香川を必要とし、古色蒼然としたモイーズが香川をサッパリ使いこなせなかった理由も、非常によく得心できるってもんです。原口や乾の方が、まだ使ってもらえそう。

 

 

□労働者のサッカー

イングランドといえば産業革命に成功し、植民地支配という手段で世界に覇を唱えたお国柄。産業革命(=資本主義)にせよ、帝国主義にせよ、本質的には「物量大作戦」なわけで、その「物量作戦」をサッカーにトレースしたならば、「スピード&パワー」になるのでしょう。また、工場制工業の本質は「役割分担」なわけで、労働者は全体を俯瞰することなく、自分の仕事に専念するところにある。つまり生産過程がバラバラに個別化される。そういう生産の個別化をサッカーにトレースしたら、「連動しないサッカー」になる。

 

 

こういう、力ずくで強引なサッカーですと、決して必要とされない職能がある。それは、すなわち「全体をコーディネートする能力」ということになる。そんなものは資本家の役割であり、労働者が関知すべき事柄ではないのですな。で、サッカーにおいて「全体をコーディネートする能力」とは、すなわち、ワタクシがサッカーに興味を持ち始めた頃にチヤホヤされた概念、そう、「ファンタジスタ」なのですね。いやぁ、「イングランドを代表するパサーは?」と問われても、ホント、答えに窮しますよね。

 

 

□ジェラードとランパード

そんな「全体をコーディネートする能力」の欠如が全体的に感じられるイングランドの中で、プレーメーカーやらゲームメーカーの役割を長きに渡って担ってきたのはジェラードとランパード。最終戦では当初キャプテンマークを巻いていたランパードが、途中でピッチインしてきたジェラードに受け渡した。このシーンは感涙ものでした。なんというか、「これで“夢の共演”は最後になるんだろうなぁ」と思うと、黄昏れランデブー状態になってしまいました。

 

 

日本語には「両雄並び立たず」という言葉がありますが、ひょっとしたら他の言語にもそれに相当する言い回しはあるのかもしれませんけど、ジェラードとランパードってそんな感じでしたよね。ただ、この2人のスタープレーヤーを見ていると、申し訳ないですが、どうも、「落日の帝国を必死に支えながらも、時代に押し流されていった天才」といったイメージを抱いてしまうのですね。クラブレベルでは素晴らしいのですが、代表では、つねになんだか切なかった。。。