ダービーの周辺をウロウロと…2013年シーズンのJリーグを振り返る

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半蔵門ダービー[ベレーザvs伊賀FCくノ一(9月21日)]

伊賀FCくノ一のホームタウンは、当然ながら伊賀ですね。われわれアラフォー世代的としては、‘伊賀’という響きを耳にして、即座に連想するのが、「忍者ハットリ君」。甲賀忍法のケムマキに対して、伊賀忍法のハットリ君。偉大な藤子不二雄作品でございます。あの頃は確か日曜日の朝に連綿と藤子アニメが放映されていた。パーマンとか。

で、ハットリ君には、一応、モデルというかなんというかがありまして、まあ、同姓同名なんですけど、服部半蔵ですね。徳川家康本能寺の変の巻き添えをくらいそうになって逃げ回っているときに服部半蔵ボディガードしたとかナントカ。それ以降、家康さんに重用された半蔵さんは、江戸城がいざという時にもうまいこと逃げられるためのポジションを任されて、それが皇居の半蔵門となったとか。ワタクシが学生の頃に「半蔵門線新玉川線田園都市線は、何が違うの?」とパニックになった、あの半蔵門線の名前の由来になった、半蔵門。そういうや、20世紀には‘新玉川線’って呼び方があったなぁ、と。

ともあれ、半蔵門から将軍が脱出すると、そのまま甲州街道をひた走り、八王子まで逃げられれば、後は八王子千人同心が守ってくれるというアンバイだった模様。つまり、服部半蔵甲州街道には、切っても切れない関係性があるのですね。話、飛びまして、飛田給駅から味スタに向かって歩いていきますと、途中、遠目にユニクロやらが見える道があって、国道20号線の裏道として機能しているわけですが、これが現‘旧甲州街道’で、当時の甲州街道(に相当する道)。

もうお分かりですね、味スタはヴェルディのホームスタジアムであり、ベレーザもたまにサブグランドだか、隣のスタジアムだかで試合を開催します。たぶん名目上のホームスタジアムの一つ。つまり、〈伊賀=服部半蔵半蔵門甲州街道=味スタ〉なわけでして、これをダービーと言わずして、何をダービーと言うのだって話です。

■大宮と上野ダービー[柏vs新潟(9月28日)]

柏市新潟市の共通点を考えてみた。都内近郊で、比較的内陸部に位置する箇所と、歴史ある港町である新潟市、そうそう共通点なんて見つからないわけですが、あれこれ考えているうちに「なんか、埼玉に近そう」という印象が思い浮かびました。

確か、ワタクシが小学校低学年の頃に上越新幹線が開通したか、延伸したかしたんだと思うのですが(如何せん、記憶が朧気。とはいえ、幼少期のあやふやでいて、それでいて幸福なボンヤリ記憶をWikipediaで裏打ちするなんて不粋なことはしたくない)、当時、家に届いていた『小学○年生』に、そういう記事があったような、なかったような。で、確か、その時に、「へえ、新幹線は大宮という駅が終点なのか!」と感じたような気がしたりしなかったり。

で、数年後、初めて東京に連れてきてもらって、まあ、ネズミの国に行ったんですけど、そのときに上野公園にも行って、「緑の新幹線は上野から出てるんだよ!」と父が自慢げに教えてくれた(こっちの記憶はシッカリしている)。要するに、新潟と首都圏を結ぶ新幹線は、今や東京駅行きですけど、最初の頃は大宮であったり、上野であったりしたわけです。

一方、翻って柏。多言は要すまい。柏市民のほとんどは都心に出るとき常磐線を使うと思いますが(近年らTXも多いかも…)、その常磐線は上野行きですね、迷惑なことに(早く東京行きにならないだろうか)。そして、柏市民にとって地味に重要な生活の足(たぶん)が、野田線。そう、野田線ダービーの野田線です。そして野田線ダービーの相手がアルディージャであることからも理解できるように、野田線は大宮行きだったりします。というわけで、柏と新潟は、〈大宮や上野と縁が深い〉ダービーと言えるわけです。

■いい意味で鄙びたダービー[浦和vs山形(10月16日)]

天皇杯ならではのJ1vsJ2対決。浦和レッズモンテディオ山形といえば、世間的には堀之内聖ダービーってことになるんですかね。ただし、埼玉県vs山形県となると、どうしても〈さいたまんぞうvsダニエルカール〉の構図が思い浮かんでしまうのはワタクシだけでしょうか?

全国の平均値で考えれば、相当の大都会である埼玉県の中でも、特に賑わいの著しいさいたま市とはいえ、首都圏に住んでいますと、どうしても、「‘さいたま’の上には‘ダ’を付ける」みたいな偏狭な東京絶対主義に影響されて、どことなく鄙びた印象を持ってしまいます。

一方の山形県についていえば、「東北学」なんて学問概念が提唱されるほど不当な評価をされてきた東北地方の中でも、さらに近代においては‘裏日本’呼ばわりされる日本海側。必然的に「逆に田舎であることを全面に出して行こう!」ってことになって、まあ、鄙のイメージですな。ある種、戦略的な部分もあるのかもしれませんけど。

ただ、浦和というのは江戸時代、中山道沿いの一大都市空間であって、今でも、その気になって探してみたら、往時を偲ばせる雰囲気を探せなくもない。そういう雰囲気ならば蕨とかに行った方が探しやすいですけど、それはともかく。一方、山形といえば北前船の一大拠点であった酒田をはじめとして、モータリゼーションが進展する前は、海運で非常に栄えた一帯(日本海側全般がそうですけど)。で、世の中の動力源が石炭から石油に転換した途端、時代に取り残され、それまでの栄華が氷漬けになった。故に‘古き良き日本’が冷凍保存されている。要するに浦和も山形も、素敵な鄙ですよ、と。