反町康治の周辺をウロウロと…インテリ気質の功罪

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本シリーズは、2011年11月12月に書き散らしたものです。そういうものとしてお読みくださいませ。

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世の中に存在する様々な事象を評価するにあたって、概ね2つの視覚がありますよね。1つには「良いと悪い」、もう1つに「好きと嫌い」。このうち前者については、ある種の普遍性を付与するわけですから、それ相応の根拠が必要ですし、異論反論を受け入れる覚悟が求められます。他方で、後者については、個別性・相対性を前提にしているわけで、要するに個人の感性の問題ですので、若干はTPOをわきまえなければならないですが、基本的には「オレの勝手じゃ!」で済まされます。他人の好き嫌いに難癖をつけること程ナンセンスなものはありません。

例えば、「AKBの誰それは女子として劣った存在である」と主張したら、雨霰の批判が寄せられるでしょうけど、「AKBの誰それは好みのタイプではない」と発言したところで、「だから何?」っていう、「どうでもいい発言に対して、どうでもいい発言で返す」という不毛なやりとりか、「自分は好きだ! だから『好みじゃない』という発言は許せん!」という、「相手の主観を自分の主観で否定する」という非生産的な応酬とかが発生するくらいで、特にどうってことはありません。

というわけで、「あばたもえくぼ」上等で、反町さんに対する「好き嫌い」、要するに「好き」を延々と述べてきた本シリーズですが、とはいえ、最後くらいは、多少の部分否定というか、相対化というか、批判めいたことも述べてみようかな、なんて。

まず、反町さんの監督としての履歴を振り返ってみましょう。たぶん反町さんは新潟で監督としてのキャリアをスタートさせているはずです。確か35歳を少し過ぎた青年監督だったような。で、その新潟をJ1の舞台にまで引き上げたところで勇退。ほどなくオリンピック代表の監督に就任し、オシムファミリーとしての経験も積みました。ただし、予選こそ3バック主体でつつがなく勝ち抜いたものの、4バックに移行した北京本番では1勝もあげられない惨敗を喫します。

まあ、日本サッカー界の世界における立ち位置を踏まえたとき、オリンピックで全敗することが、果たして「惨敗」と評価されうるものなのか、南アフリカでのベスト16を経験した今でもなお、ワタクシ的には懐疑的ですが、ともあれ、少なくとも「失敗」という範疇には入る結果だったと思います。

それでは、反町さんは何ゆえ北京で「失敗」したのか。ワタクシの個人的見解では、一見クールでハスに構えたシニカルな理論派であるという反町さんのスタンスが、敗因ではないかと思うのです。つまり反町さんって、決してモチベータータイプの監督ではありませんよね。少なくとも本番で選手たちにアドレナリンを分泌させまくって実力以上のパフォーマンスを引き出すってイメージではない(ように見える、誤解だったらすいません)。

こういうタイプの指揮官って短期決戦には不向きなんだと思うのですよ。要するに、実力以上のものは出ないわけですから、短期決戦を勝ち上がるための必要条件である、「なんかよく分からないけど、あのチーム、勢いあるなぁ」感がなかなか醸成されないわけで。

反町さんの湘南3年目が今ひとつ振るわなかった理由は、狂った歯車を力ずくで噛み合すということができなかったところにあるように思います。2011シーズンの湘南については、「なんとなく勝てない」という印象がありました。明確にどこが悪いって感じではなく、気が付けば負けていた、みたいな。また、一回の勝利が起爆剤となって、一気にプラスのスパイラルを作り出した、というような局面もなかったかと思います。

要するに、2011シーズンの反町さんは、湘南というチームを「無理やり勝たせる」ことができなかったわけですが、これは、上述の北京での苦闘と同根の現象であるように思われます。すなわち、おそらく反町さんって合理的・論理的な指導者ですよね。だから、「後は気合いだ!」とか、「ノリ」だとか、「アドレナリン」だとか、「勢い」だとか、そういう、なかなかロジカルにはコントロールできない要素の活用に対して、あまり積極的ではなかったんじゃないかな、なんて想像するわけですよ。

精神論と言ってしまえば、それでお終いになってしまうかもしれないが、スポーツの世界では確実に少なからざる影響を与える、そういう部分よりも、戦術であったり、システムであったりという、より合理的・論理的にコントロールできる要素を重視したのではないかと。

で、それはそれで間違ってはいないわけですが、選手の視点に立ったとき、多くの選手は、インテリ気質ではなく体育会気質だと想像されるわけで、そういう選手たちにとって必要なものは、時としてロジックではなく精神論だったりします。少なくともワタクシが弱小大学の体育会に在籍していた頃は、そうでした。

そう考えると、反町さんに足りないのは、「後は気合いだ!」という、論理的には無責任きわまりない「最後の一押し」だったのではないか。短期決戦やチームが悪循環に陥っているとき、意識的に、選手をヘンなテンションに導くマネージメントだったように思います。

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というわけで反町さんシリーズも完結ですけど、最近の反町さんのコメントを読んでいると、わりと直接的な言葉で選手にハッパをかけるような印象もあります。昔からなのか、最近になってさらに監督としての奥行きが出てきたのか。ともあれワタクシ、2014年でもなお、反町信者だったりします。