反町康治の周辺をウロウロと…ネルシーニョとの違い

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本シリーズは、2011年11月12月に書き散らしたものです。そういうものとしてお読みくださいませ。

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関東や関西にご在住のサッカーフリークの皆様はご存知かもしれませんが、『エルゴラッソ』という非常にマニアックな新聞があります。サッカー専門という触れ込みで発刊され、いまや事実上、海外サッカーは切り離しているのに近い状態なので、紙面の9割が国内サッカーという、まさにマニアックな新聞でございます。

そんなマニアック新聞だけあって、レイソルがJリーグ制覇した直後には、酒井でも田中順也でも北嶋でもなく、キャプテンであるにもかかわらず今一つ存在感の薄い大谷へのインタビューを敢行したりするわけですね。勿論インタビューの内容は「如何にして柏は優勝したのか!?」というもの。2011シーズンに柏が快進撃した理由は比較的ハッキリしていて、様々な媒体を通じて異口同音に伝えられています。

まず最初に挙げるべきは、ネルシーニョのチームマネジメント。ネルシーニョ就任以降のレイソルは、とにかく健全なポジション競争が繰り広げられているとのこと。象徴的なのはFWですね。田中順也、林、工藤、沢と、ともすれば、J2時代においてさえ「帯に短し、襷に長し」になりかねない面々に適切な競争を与えることで、J1でも十分に戦える戦力に引き上げた。その際たる成功例が北嶋の復活であることについては、もはや多言は無用でしょう。

それからもう一つ、試合中の采配についてもネルシーニョは見事ですよね。去年、J2を快走していた頃から442と4231と4222を使い分けながら、試合中にも、前半と後半でフォーメーションを変更していたわけですが、今年は選手交代によってフォーメーションを代えないまま、攻守のバランスを上手く変動させていましたね。具体的にはボランチに茨田を投入したり、SBに水野を入れたりすることで、攻撃のスイッチをオンにしていたりしました。

というわけで、ネルシーニョが優れた指揮官であることを認めることに、やぶさかではないのですが、古くからJリーグに親しんできたナイスミドルな皆さんの中には、「あのネルシーニョがねぇ」との感慨に耽る人も少なくないんじゃないでしょうか?

今さら述べるまでもなく、ネルシーニョがJクラブを率いたのは、現在のレイソルが始めてではありません。古くはヴェルディ、その後は名古屋の指揮官を務めています。その頃のイメージとしては、「微妙」という記憶が残っています。当時のヴェルディは、そもそも松木安太郎でも優勝に導けるようなチームでしたし、名古屋時代に至っては「万年中位」のチームカラーに埋没していた印象があります。

そのネルシーニョが、柏に招聘されるや、突然、名将として賛美されるようになった。無論それはネルシーニョ自身が不断の努力でパワーアップしたという要素が大きいのですが、もう一つ、冒頭の大谷選手のインタビューにあるように、石崎さん時代の遺産に預かる部分も大きいのではないか、などと考えるわけです。

すなわち、柏で適正なポジション争いが繰り広げられている背景には、お互いがバチバチとライバル視しあっても、それがマイナスに作用しない雰囲気、つまり石崎さんが築き上げたファミリー感溢れるクラブ風土があるのではないか、とか思うわけですよ。

何を言いたいかと申しますと、結局、チームの成績というのは、必ずしも監督個人の技量にだけ左右されるわけではない、ってことですね。すでに耕された状態の田畑に、後は種を蒔けば良いって状態でバトンタッチされた監督もいれば、荒涼とした硬い土壌を一から耕さなければならないって監督もいるわけで。勿論、肥沃な大地にオカシな種を蒔いてオジャンにしてしまう監督も少なくないわけですが、その一方、「花を咲かせなかった」という理由で批判をするには気の毒な監督もいる、フィンケさんとか。

以上のような観点に立つならば、反町さんの評価はどうなるか。

つまり、湘南ベルマーレというクラブの歴史やプロセスを踏まえたとき、反町さんが監督に就任したときのスタートラインは、どのくらいの高さにあったのか、ということです。そう考えると、上田さんや菅野さんの積み上げにより、親会社撤退後、這々の体になっていたベルマーレも、「J2の中の上」くらいのところまでは来ていたと思います。

そういう状況で、反町さんが監督に就任し、「J2の上位クラブ」或いは「J2の強豪」というステップを経ず、一足跳びにJ1に昇格してしまった。で、そういう「J1予備軍」状態を経由しなかったことにより、J1でしっかり渡り合っていくだけの準備(主に財務面)が不十分なまま、反町さんはJ1で戦わざるをえなくなった。

そりゃ、一年で降格しますよね。そして、ウッカリ頑張りすぎた反動が、どうしても出てしまいます。その反動との格闘で反町さんの3年目は終わってしまった印象があります。結局、反町さんは、それほど肥沃ではない土地に、いきなり収穫率の高い作物を植えてしまった(1年目)。しかし、そこには、その作物の連作に耐えうる程の肥料は用意されておらず(2年目)、しかも一度貧弱になってしまった土壌に合う、新たな作物を見つけ出せなかった(3年目)。反町さんの3年間は、以上のように評価できるのではないでしょうか。

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ネルシーニョの例えが、いまや古くさくなってしまいましたね。もはやネルシーニョレイソルは「石崎さんの遺産」とかを論じる段階ではないですし。まぁ、「3年前はそう思った」ということで御容赦ください。