ウィットのあるサポーターたちの周辺をウロウロと…2013年シーズンのJリーグを振り返る・スタンドの住人達

                                  にほんブログ村 サッカーブログへ
にほんブログ村

■川崎の行儀良さ[川崎vs大分(3月9日)]

 

この日も川崎のスタジアムイベントはイカしていた。国立開催の(ホーム)開幕戦、しかもJリーグ発足20年のメモリアルイヤーとあって、聖火点灯なんてするのですよ。それにしても、未だ聖火台って存在していたんですね。そして聖火を点灯できる状態なのですね。

 

 

国立でのメモリアルゲームで聖火点灯というのは、誰にでも思い浮かびそうな‘ベタ’ですが、聞いたことがありませんので、言葉遊びをするなら‘前代未聞のベタ’ということになりましょうか。そして、こういう‘前代未聞のベタ’こそ、川崎営業部の真骨頂ですから、図らずも川崎ワールドを満喫してしまいました。

 

 

ところで、ふろん太君が、まさに聖火を点灯しようとしているとき、すぐ隣では、川崎のレプリカユニを着た一団が民族大移動をしておりました。ゴール裏がキャパオーバーになったらしく、バックスタンドの二階席の一部を開放したのですね。それで座席にありつけなかったサポさんたちが移動していたわけですが、何が凄いって、その大移動の整然とした秩序ですよ。遠くから見えた範囲ですけど、誰も走らない。誰も順番んを抜かさない。これぞ、‘the 日本人’。〈良心的な日本人〉を地でいく川崎座席らしい光景です。

 

 

また、二階席の開放は二段階に分けて行われたのですが、こういう事務方の柔軟性も、川崎フロンターレというクラブのカラーを象徴しているようで、微笑ましかったです。

 

 

 

キョンキョンの底力[横河武蔵野FCvsツエーゲン金沢(9月15日)]

台風寸前ということもあり、この日、西が丘に駆けつけたツエーゲンサポーターは、やや遠慮気味な人数でした。しかし、少ないからって侮ってはいけません。実はゴール裏に限ればホームのはずの武蔵野も同じくらいの数しかいなかったのですが、応援のボリュームではツエーゲンが武蔵野を圧倒していました。‘少数精鋭’を地でいくツエーゲンサポの応援を畏敬の念を込めて眺めていたのですが、そうしたところ、「スターダストメモリー」を原曲にした応援歌が歌われ出した。いやあ、染みますね、スターダストメモリー

 

 

この期に及んで説明は不要かと思いますが、スターダストメモリーといえばキョンキョンこと、小泉今日子の代表曲です。小泉今日子といえば、山口百恵とは、また違った意味でのプロフェッショナルアイドル。同時期の松田聖子中森明菜、あるいは南野陽子浅香唯とも違う。いわんやおニャン子クラブやらアーカーブーやらももクロさんやらとも、性質的に異質。とにもかくにも、「ザ・アイドル」、それが小泉今日子

 

 

その小泉今日子の代表曲としては、「木枯らしに吹かれて」とか「あなたに会えてよかった」とか「なんてたってアイドル」とか「学園天国」とか無数にありますが、やっぱりそこはスターダストメモリーなわけですよ。

 

 

また、最近の若い世代の方々には「じぇ、じぇ、じぇ」の語感が懐かしい「あまちゃん」でお馴染みになったであろう小泉今日子。もちろん、それ関連でそれなりにヒットした「潮騒のメモリー」もバカにできないとは思います。ですけど、やっぱりスターダストメモリーなんですよ、小泉今日子といえば。いやぁツエーゲンサポーター、わかってらっしゃる。

 

 

 

■「プロレタリアの鉄槌」[横河武蔵野FCvsホンダロック(8月3日)]

 

この日、人数は少ないながらも、熱い応援を繰り広げていたホンダロックサポーターの脇には、「プロレタリアの鉄槌」なんて横断幕が。そういえば、‘派遣切り’が横行した時代に『蟹工船』が密やかに流行しましたよね。プロレタリア文学が脚光を浴びたことで、再び、‘プロレタリア’なる言葉も身近になったのでしょうか。

 

 

ただ、ワタクシが大学で習った範囲だと、‘ブルジョワジー’に対する‘プロレタリアート’という表現がメジャーだったかと。気になって調べてみたら、個人としての労働者を表現するのが‘プロレタリア’で、階級としての労働者層を現すときには‘プロレタリアート’になるらしい。

 

 

いずれにしても、日本における使われ方に限れば、資本家階級を指すブルジョワジーに対する反対概念としての意味合いが強いように思われます。ただ、小林多喜二の時代ならいざ知らず、財閥解体やらを経て、理念上、少なくとも10〜20年前においては、‘一億総中流’を実現した戦後日本においては、どうしても使わなければならない言葉ではないような気がしないでもない。

 

 

おそらく件の横断幕も、「資本家が支配する現代社会に革命を!」という趣旨ではなく、「働きながら夢を追いかけるフットボーラーの意地を見せてやれ!」ってくらいの意味だとは思いますが、それを言えば、JFLに所属する、ほぼ全てのチームが、そうじゃなのか? なんて。

 

 

まあ、クラブチームではなく企業チームで、しかも、工場労働に従事される方々が社員の多数を占めるであろう産業の代表としての矜持が伝わってくるっちゃくるんですけどね。