ゼリコ・ペトロビッチと大熊清による縦に速いサッカーの周辺をウロウロと…2011年シーズンのJリーグを振り返る・監督の横顔編

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どうも週の初めはペースが掴めない、永遠のコドモこと管理人は別館4thDayMarketCentreのペースも掴めません。

梶山と巻弟とかをサラッと。

関塚JAPANの2トップ採用とかをサラッと。

アフリカ選手権から見る日本サッカーとかをサラッと。

というわけで、、、

サッカーの戦術には流行り廃りがありますよね。

ここ数年は、「縦に早い」サッカーを志向してるチームが多いかと思われます。

ここで言う「縦に早い」サッカーとは、クラシカルなカウンターサッカーが中盤を省略しがちなのに対して、中盤(ウイングを含む)の突破力を活用するサッカーのことですね。で、そういう「縦に早い」サッカーについても、大きく2つの潮流があるかと思います。

一つは、いわゆるショートカウンター

代表的なのは石崎監督時代の柏でしょうか。あるいは、ワールドカップ直前に惨敗を繰り返していた頃の岡田ジャパンも、このカテゴリーかと。

この戦術のミソは、高い位置でプレスをかけ、奪うや少ない手数のパス交換で、一気に相手ゴールに押し寄せるというところ。一歩間違えると岡田ジャパン的玉砕プレスになります。また、基本的にカウンター戦術ながら、ショートパスを中心に比較的多くの選手が攻撃に関与するというのも、特徴として挙げられますね。

もう一つの「縦に速い」サッカーは、ウインガーの突破力を前面に押し出すサッカーです。要するにオランダのサッカー。

この場合、かつては「縦に突破してクロスを折り返す」能力が重視されていましたが、近年は、左利きのメッシやロッベンが右サイドに置かれることに象徴されるように、「縦に突破して、切り返してシュートまで持っていく」という能力が求められるようになりました。香車であったウイングが、最近では飛車(成って龍)でなければならなくなったわけですね。

さて、そんな時代の趨勢を振り返った上で、昨シーズン新たに上述のうち、後者の「縦に速い」サッカーを取り入れたのが、FC東京と浦和です。

FC東京の大熊監督についていえば、意図的に「縦に速い」サッカーを志向していたかどうかは、やや心もとないですが、少なくともある段階までは、前任者が標榜した「人もボールも動く」サッカーとは異なるベクトルで、かつ、攻撃におけるパス交換は、組織的というより、個人の閃きに依存する傾向が強かった。

一方の浦和については、監督のペドロビッチさんが、自ら公言していたように、オランダ流のサッカーを追求しました。

しかし、この両チーム(FC東京については序盤戦に限定されますが)、なかなか周囲の期待に応えることができませんでした。そこで、その主因をワタクシなりにつらつら考えたわけですよ。この両チームの不振には、何か共通点があったのではないか、と。

で、思いついたのが、両チームとも、「センターの選手がサイドの選手を走らせ、その折り返しに対して、複数の選手がPAに雪崩れ込んでいく」ってシーンの少なかったことです。

結局、両チームとも、サイドの崩しをウイングの位置に入った選手の個人技に委ねていたわけです。チーム全体として、相手守備陣を揺さぶった上でサイドを崩しているわけではない。

サイドこそ崩せているが、崩せているのはサイドだけで、相手守備陣全体にズレが生じているわけではない。だから、サイドを崩せど崩せど、得点の気配は強まってこない、みたいな。

ウイングの選手の突破というものを、チーム全体の連動性のなかに、上手く組み込めていなかった、という言い方も可能かもしれません。

それを象徴するのが、サイドを崩した後、両チームのアタッカーが何人、PAに突入していっていたか、ということです。

概ね、大熊FC東京は2トップが基本でしたが、サイドにウイングタイプを置くチームは1トップであることが多い。ただ、1トップであることと、PAに選手が1人しかいないことはイコールではありません。というよりも、イコールじゃいけないわけです。

だから、多くのサッカー指導者は、「如何にバランスを崩さずに、PAに飛び込む人数を増やすか」って部分に非常に苦心するんだと想像します。そして、それを可能にするためにはチームの連動性を磨くしかない。

先に「ウイングの選手の突破というものを、チーム全体の連動性のなかに、上手く組み込めていなかった」と述べましたが、それは、「ウイングと連動して相手守備陣全体にズレを作る」が出来ていないという意味であり、同時に、「ウイングの突破に連動してPA内の人数を増やすことができていない」という意味でもあります。

両チームが苦戦した根本的要因は、こういうところにあったのではないでしょうか。

本来なら、「如何にバランスを崩さずに、PAに飛び込む人数を増やすか」なんていうのは、指導者にとって、基本中の基本となる作業だと思います。しかし、ヨーロッパの最先端では、メッシやロッベンなど、そういう基礎作業がなくとも1人で点を取れてしまうカットイン系のタレントが輩出され、バルサやオランダ代表といったヨーロッパの中でも特にスペシャルなチームが、そういうタレントを生かす戦術を取るようになった。

それ自体はサッカーをより魅惑的なものとしてくれたわけですが、一方で、そういうカットイン系ウイングを重用するという流行が、「バルサやオランダ代表ではそうしている」とか「それがヨーロッパの最先端だ」との名のもと、「如何にバランスを崩さずに、PAに飛び込む人数を増やすか」という監督として基礎作業の軽視を正当化してしまっているようにも思うのです。

言い方を変えれば、「ウイングが個で突破し、1人で決めてしまうことを期待する戦術」をチヤホヤする世相によって、「監督としての基礎作業とは何か」とか、「この監督は基礎作業のできる監督なのか」ってことに対する厳しい目を濁らせてしまっているのではないか、なんて思います。