トーナメントと日本人の周辺をウロウロと南アフリカWCの日本代表を振り返る、その6

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またまた間が開いてしまいました。別館4thDayMarketCentreも、すっかり御無沙汰にしておるのですが、まぁ、瞬間風速的にめっちゃ忙しいのですね。来週中頃には普通に戻ります、たぶん、おそらく、めいびー、ぱーはぷす、けだし、あい・しんく。。。

ワールドカップには、いろいろと印象に残る名シーンがありますよね。

個人的にすぐに思い浮かぶのは1994アメリカ大会での、バッジオがPKを外したシーンでしょうか。日本代表で言えば、2006年ドイツ大会のブラジル戦後、仰向けで宙に視線を泳がす中田英寿の姿を忘れることができません。

2010南アフリカ大会については、どの場面でしょうか。当然、人それぞれなんだと思いますが、多くの方にとって、それはPKを外して泣きじゃくる駒野選手を、松井選手が、やはり涙を流しながら抱きかかえてるシーンではないでしょうか。おそらく、今後も南アフリカ大会を象徴するシーンとして語り継がれていくでしょうし、ワールドカップの度に繰り返しテレビ局は、この場面を流していくものと想像されます。

では何故この場面が、かくも日本人に愛されるのでしょうか?

個人的見解として、それには大きく3つの要素があると分析しています。順次、述べていきましょう。

まず一点目として、そもそも、2010年に愛されたのは駒野選手、或いは駒野選手がPKを外した場面だけに限った話ではないということですね。チーム全体が国民から愛された。

2006年のチームは、正直、あまり国民から愛されなかった。その理由は、もちろん一義的には、勝ち点1しかとれない惨敗を喫した(と多くの国民が感じた)からですが、ワタクシには、結果を残せなかったというだけで、あそこまでバッシングされるとは思えません。2006年のチームが敗戦後、一斉に非難された最大の理由は、「空中分解したから」ではないかと考えます。

駒野友一の涙と中田英寿の涙って、本質的に全く異なるものではないですか?

前者は「チームに迷惑をかけてしまった。そして、もっと、このチームでやりたかった」という涙。後者は、「あぁ、これでオレのサッカー人生に一区切り付いてしまうんだなぁ」という涙。

つまり、駒野の場合、チームに対する想いが感極まって、ハラハラと涙がこみ上げてきたのでしょう。そういう意味で、チームワークが顕彰された今大会を、まさに象徴しているわけですね。一方で、中田英寿の涙は、チームワークとかそういった要素とは関係のない、表現は悪いかもしれませんが、個人的な涙のような印象を受けます。これはこれで「個の集合体」であったドイツ大会を象徴しているわけですが、日本人の場合、「個が躍動すること」より「麗しきチームワーク」を好む傾向にある。

もちろん1人1人趣味嗜好は異なるでしょうが、最大公約数的には、多分、「チームワーク」って言葉が大好き。だからこそ「駒野の涙」は愛されたんだと思います。

2点目は、1点目と密接に関わるのですが、駒野選手を抱きかかえたのが、松井選手であり、阿部選手であったという要素が挙げられるかと思います。

どういうことかと申しますと、松井選手はインタビュー等で、この件に関して「小学校の頃から切磋琢磨してきた同級生だから、手を差し伸べずにはいられなかった」と答えていました。また阿部選手は、ドイツ大会直後に、「僕らの世代からは駒野がワールドカップに行ってくれたけど、世代全体としては上の世代の壁を超えられなかった」みたいなことを、これまたインタビューで話していました。

要は、松井選手や阿部選手っていうのは、駒野選手の同級生なんですね。だから、「駒野の涙」は、「敗北の責任を一身に背負った選手に対し、同級生が一緒になって泣いている」というシーンなわけです。つまり、日本人の大好物なわけですね。

最後、3つ目。これは至極単純でして、敗戦後の涙という要素がありますね。重要なのは、あれが、トーナメントだったということです。

2006年は、オーストラリアに負けて、その後は真綿で首を絞められるようにジワリジワリとトドメをさされていった。一方、2010年は、決勝トーナメントでしたので、ジワリジワリとではなく、それまでイケイケだったのが、一瞬にして地獄に叩き落とされた。

そこにあるのは「儚さ」ですね。日本代表は決して「驕れるもの」ではなかったですが、「久しからず」ではあった。こういう、桜のような、「一瞬の煌めき」と「儚き夢の跡」みたいな構図を好むのは、『平家物語』や、坂本龍馬を持ち出すまでもなく、日本人に、もっとも顕著で特異なメンタリティかと思います。グループリーグは、「儚く散る」という要素が薄い分、どうしても敗戦を美化しづらいんですよね。

もちろんサッカー好きの皆さんにとって重要なのは、結果、ただそれだけなんでしょうが、多くの日本人にとっての関心事は、結果ではなく、「それを美化できるか、どうか」にあると思うんですね。そういう意味でも2006年は愛されなかったし、2010年は愛されるに至ったんだろうと思います。

2010年の日本代表が愛された理由として3つの要素を挙げました。

チームワークゆえの涙

同級生が互いを思いやり、一緒に泣く

トーナメントで儚く散る

の3つです。この3要素、どこかで見たことありません?

そうです、「夏の甲子園」そのものですね。「駒野の涙」を見て、頭の中で森山直太朗ヘビーローテーション状態になったのはワタクシだけではないでしょう。そう考えると国民から愛されるのも当然ですね。

日本代表が発展するためには、「特にサッカー好きではない一般国民」に愛されなければならないと思いますので、今後の日本代表には、そんなわけで、次の二点を求めたいです。

・仲が良いこと

・トーナメントで負けること(グループリーグを突破すること)