先週末は甲府でヴァンフォーレとサンフレッチェの試合を観戦していました。後半ロスタイムにゲリラ豪雨だか局所的集中豪雨だかの洗礼を浴びてまいりました。広島のしたたかさと、甲府の「ボタンの掛け違え」が強く印象に残ったわけですが、詳細は別館4thDayMarketCentreにアップした
遅攻があってのカウンターだと思います甲府vs広島の周辺をヴァンフォーレ目線でウロウロと…
と
もりもりダラダラ時々スパッと甲府vs広島の周辺をサンフレッチェ目線でウロウロと…
を御覧頂ければ幸いです。
さて、日韓戦は来週辺りに触れることとして、今週からは新シリーズ「春秋制の周辺をウロウロと…」を断続的に進めていきたいと思います。まずは犬飼さんについてから。
灰汁の強い人でしたよねぇ。
まぁ、例えそれがバブルであったにせよ、浦和をジャパニーズ・ビッグクラブに押し上げた牽引役であったことは間違いないわけで。
そういう「傑物」は、えてして賛否両論が渦巻くものですよね。今までも、そして多分これからも、モロモロの評価の圏外の座に居座り続けるであろうワタクシからみれば、羨ましい限りでございます。
そんな犬飼さんが「強いリーダーシップ」を発揮して打ち出した施策が幾つかありますよね。
まず犬飼さん、ベストメンバー規定に対して大変ご執心していたご様子。ACLがあろうとなかろうと、そんなことはお構いなし、Jリーグの試合においては、ヒステリックなまでにベストメンバー規定の遵守を求めました。
勢い余って天皇杯にまでベストメンバー規定の準用を半ば強制させようとしてみたり。天皇杯の2回戦にJ1チームが参加して、どこのスポンサー様がお喜びになるんですかね?
「今年の天皇杯は2回戦からJ1チームが見れて、とても幸せだった」って思った人、いますかね?
犬飼さんが主導した方針として、次に挙げられるのが、育成年代におけるバックパスの禁止ですね。これについては、もちろん賛否両論あるでしょうし、全面的に肯定できるものでもないものの、前向きな側面が全くないわけでもなさそうです。
・育成年代でバックパスなんて誤魔化しのプレーは避けるべきだ。
・1対1の勝負を仕掛けるメンタリティを身につけさせるよう努力しなければならない。
分からないでもないですよね。サッカーにおけるバックパスの重要性を否定するつもりは毛頭ございませんが。
そして犬飼さんの個性を最も際だたせているのが春秋制から秋春制への転換を本気で模索した点かと思います。
この点についてはエントリーを改めて述べたいと思いますが、理念先行・現実軽視という犬飼さんの考え方は、良くも悪くも終始一貫していて、秋春制の問題において、それが最も先鋭的に発露しました。
というよりも、我々が「犬飼さん」というフレーズを耳にした時、まず思い浮かぶのが、「秋春制を独りよがり的に主張して、周りを振り回すだけ振り回し、最終的には周囲の支持を完全に失った人」との印象ではないでしょうか。
さて犬飼さんの履歴をチラッと一見してみたところ、1942年のお生まれなんですね。いわゆる戦中派。56歳で物心がついたとして、それは1940年代の末ですね。
で、その頃の日本の世相を表す言葉として「一億総懺悔」なんて流行語があります。アメリカにコテンパンにされて、戦前・戦中の反動から、「日本的なもの=悪」という雰囲気に包まれていた時代ですね。
犬飼少年は、そういう日本的なものに封建的とのレッテルを過剰なまでに貼りつけるような社会的風潮の中で、多感な幼児期思春期を過ごしたものと考えられます。で、犬飼さんの言動ってのは、そういう「日本的なもの=悪」という価値観で一貫しているように思えるんですね。
例えば、ベストメンバー規定を天皇杯にまで当てはめようとした越権行為については、日本的な縦割り行政に対するアンチテーゼとして評価できます。
丸山真男が「タコツボ」と表現した縦割り組織というのは、日本社会の典型的な特徴です。
「部署が異なるので、コチラでは対処いたしかねます」
こういう日本人的発想に、犬飼さんは価値を認めなかったのではないでしょうか。そういう価値観を尊重する意識があれば、決して犬飼さんのような言動は発生しないはずです。
次にバックパスの禁止について。
これを「何が何でも突撃だ。猪突猛進しないヤツは臆病者だ」っていう蛮勇推奨策と解釈すれば、日本人的発想そのものということになりますが、むしろ犬飼さんは、バックパスをリスク(=責任)を負わないプレー、バックパスをすることは責任転嫁していることと同じだと考えたのではないでしょうか。
再び丸山真男に登場願いますが、猛々しく強圧的な命令を出しているにも関わらず個人個人は誰一人責任を負わないという日本陸軍の体質に象徴される「集団的無責任」は、これまた日本社会の典型的な精神風土とのことです。
そこが犬飼さんには気に入らなかったのでしょう。
最後に秋春制。秋春制の議論をするとき、犬飼さんは必ず「グローバルスタンダード」を引き合いにだしていたように記憶してます。
春秋制なんていうのは日本の、或いはアジアのローカルルールで、日本的なもの、アジア的なものというのは、封建的(=遅れた)遺制に過ぎない。そう、犬飼さんは考えていたような気がします。
春秋制は間違いなく日本人の皮膚感覚にフィットした制度です。だからこそ、「日本的なもの=悪」と考える犬飼さんは、そういった日本人的な皮膚感覚を、どうしても否定せずにはいられなかったんじゃないかな、なんて推測してます。
犬飼さんは、「顔の見えるトップ」でした。日本社会においては希有な存在と言えるでしょう。強いリーダーというのは、極めて非日本的存在だということです。
犬飼さんは「ワンマン」ぶりに周囲が付いていけなくなって失脚しました。つまり、日本人社会において最も重要な作業である「根回し」をしなかったことが、彼の地位を奪ったわけです。
日本的なものを徹底的に排除しようとした犬飼さんらしい幕の引き方だったと言えるのではないでしょうか。