中田英寿の誤算WCとヒデ・本田対談の周辺をウロウロと…

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前々回のエントリーの続きでございます。ただ、前回の内容を踏まえて今回の内容となるわけですが、直接的なテーマは急旋回してますので、その辺は御容赦をば。

ワールドカップ直前のスペシャル番組で、中田英寿さんと本田選手の対談が行われていましたね。大変に興味深い内容でしたので、ご覧になられた方も多かったのではないでしょうか。スポナビブログでも、何人かのブロガーさんが取り上げられていたように記憶してます。

ワールドカップ直前というのは、日本代表の調子が芳しくない時期でしたので、ある意味「アンチ日本代表」的な要素を持つ両人の対談内容を肯定的に受け取られた方も少なくないかと思います。

ただ、個人的には、この2人の考え方では、日本代表を強くできないのではないか、と感じました。

2006年のドイツワールドカップ。ジーコJapanは惨敗しました。いちびった挙げ句、返り討ちにあったというのが、ワタクシの印象です。その中で、孤軍奮闘していたのが中田英寿でしたね。ブラジル戦終了後に仰向けになったまま動けなくなっていたシーンは、日本の惨敗を象徴する一コマとして、目に焼き付いているところです。

しかし、ワタクシは、負けるべくして負けた、と現在では思っています。「負けるべくして負けた」というのは、少し不正確な表現になります。正しくは、「中田英寿は挫折するべくして挫折した」と考えています。

もちろんアスリートとしての中田英寿は賞賛に値すべき存在ですし、その日本人離れしたモノの考え方は、彼のヨーロッパでの成功に必要不可欠だったと思います。

そういう意味では、中田英寿的思考様式そのものを全否定するつもりはありません。ワタクシも、ああやって、ヨーロッパ社会と渡りあった中田選手に憧れを禁じえません。ただ、日本代表を中田英寿的思考様式で染めることが、代表を強くするのか、という点で、甚だ懐疑的だったりします。

中田さんの考え方、あるいは本田選手の考え方の眼目は、「もっと自己主張して、それをぶつけ合っていかなければならない」ということだと思います。これ自体は、そういうものなんだと思います。

ただ、彼らの「自己主張しなければならない」という言句の枕には、「ヨーロッパや南米人のように」がつくようです。この点に賛同しかねるんですね。枕に「日本人なりに」がくっついているのならば、至極真っ当な正論だと思いますが。

結局、中田英寿さんの主張は、「日本代表のサッカー選手は、日本人であることを捨てて、ヨーロッパ・南米的な人格を持たなければならない」と言っているのと、原理的には同じだと思うんですね。

確かに、そうすれば強くなるのかもしれませんが、果たしてそれが現実的にそれが可能でしょうか?

結論を先に述べれば、個人的には実現不可能だと思います。

日本人は、なぜ日本人的思考をするのか?

それは日本人社会で育つからですね。たぶん。人間の価値観の9割は、物心がつくまでの数年間で決定付けられる、と何かの本で読みました。逆に言うと、大人になってからはおろか、中学生になった時点において、既にその人の基本的なものの考え方は、変更不可能なものになっているということです。

だから中田さんが理想とする日本代表を作ろうとするならば、生まれてからのせいぜい10年前後の間に、ヨーロッパ的価値観を植え付けなければならない、ということです。

子どもというのは、親だけでなく、保育士さんや学校の先生、あるいは親戚や近所のおっちゃんオバハンの影響を受けて育ちますね。だから、ヨーロッパ的思考様式を持った選手を育てようとすれば、その子を取り巻く全てのオトナが、ヨーロッパ的価値観を植え付けるための努力をしなければならないということです。

しかも、子どもの時点では、誰が日本代表になるかは分からないわけですから、結局は、日本中の全ての子どもの親、教育業従事者、そして子どもと接する機会を持つオトナ、要は、全ての日本人が、日本人的思考様式を捨てて子どもに接しなければならないわけです。

そもそも、なぜ日本人は日本人的価値観を持つのか。それは、なんやかや言って、最終的にそれが最も居心地が良いからに他ならないかと思います。

だから、本人がそこまで意識しているかどうかは分かりませんが、中田さんの主張は「サッカー日本代表を強化するために、老若男女、サッカーに興味がある、ないに関わらず、全ての日本人は、自分たちにとって居心地の良い状態を放棄せよ」と言っているのと同じなんですよね。

無理だと思いません?前のエントリーで述べたように、圧倒的多数の日本人にとって、「たかがサッカー」なんですよ(ここで、ようやく前回の内容とつながりました)。

よく、「精神的な面は個人の意識でどうにかなる」みたいなことを仰る方がいらっしゃいますが、個人的にそれは幻想だと考えてます。

「日本人は、どこまでいっても日本人」という、当たり前の事実を受け止めることなしに、代表の強化なんて不可能だと思いまし、中田さんは、その当たり前の事実を少し過少評価してしまったのかな、と感じるところです。

ただ、中田さんや本田選手のように、どういうわけか、人間社会には、必ず「異分子」を生み出す構造もあるらしい。そして、その「異分子」を活用しない手はない。だから、「全体的に日本人的だけど、そうでない異分子を受容し、良い刺激として活用する日本代表」を目指すべきではないかと考えます。

繰り返しになりますが、「みんながヨーロッパ的価値観を持つ日本代表」は、理論上の正論でしかないと思います。

日本代表の選手やスタッフに必要なのは、「ヨーロッパ的思考様式を身につける努力」ではなく「ヨーロッパ的思考様式にアレルギーを起こさず、そういう発想の選手をポジティブに受容する努力」なのではないでしょうか。