日本にサッカー文化は根付いたのか!?〜祝! 1000回更新!!の周辺をウロウロと…

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□序

実は、このエントリで、弊ブログ、うっかりちゃっかり1000回目の更新となります。ホント、うっかりちゃっかりですよ。500回目の更新でも述べましたし、1回目のエントリでも述べたような気がしますが、始めた動機は、当時、週1回、厚木とかに往復する仕事があって、その小田急線車中での暇つぶしに文章を作ろうとしたというもの。あの頃はお金がなかったなぁ。月日にして6年。ピカピカの一年生が小学校を卒業してるよ。となれば、相応に時代も変化している。その辺のことを遠い目をしながら述べていきます。

 

 

□サッカーを文化に

ワールドカップを制覇しときも、オリンピックで世界で2番目で強い国になったときも、宮間あやの言葉は危機感に溢れていた。曰わく「一過性のブームではなく、女子サッカーを文化にしなければならない」と。そして、宮間の悩みはリオオリンピック予選敗退で、より深くなる。幸か不幸か、あまり、なでしこリーグには影響してなさそうです。だって、そもそも、なでしこリーグの平均観客動員数って、さほどバブルになっていなかった。

 

 

ともあれ、キーワードは「サッカーを文化に」。多くの識者が盛んに口にするようになりました。自慢じゃないですけど、というか自慢ですけど、「サッカー文化」というフレーズ、弊ブログ開始当初から、ワタクシ、しばしば使用してきました。検索機能を信用するならば、2010年5月のエントリで既に論じているようです、エッヘン。では、この6年で日本にサッカー文化は根付いたのだろうか。

 

 

結論から述べれば、まだまだプロ野球との差は大きいなぁ、というのが正直なところ。それをワタクシが最も実感するのが、孫正義率いる某巨大ITグループのポータルサイトのニュースに付随したコメント欄。プロ野球関係のニュースと、サッカー関係、なかんずく日本代表関係のニュースとで、ここまで違いがあるか、と思うのです。プロ野球関係ニュースのコメント欄は、全体的に穏健というか、「この人たちは、リアルの世界でも、それなりに満たされているのだろうなぁ」というのを感じる。サッカー関係は、つまり、その逆です。

 

 

なぜ、そうなるのか。あくまで私見ですけど、それは、プロ野球が好きな人というのは、多くが親御さんの影響で好きになっているからではないだろうか、と。親御さんと同じ趣味になるというのは、そこに良好な親子関係が存在しているということ。そして、良好な親子関係に包まれていた子どもというのは、大人になったとき社会に適応的に生きていける。この「親から子へ」という系図に、日本社会において、エンターテイメントとして世代を重ねてきたプロ野球の底力を感じるのです。

 

 

広島スタジアム問題と藤田菜七子

プロ野球とサッカーの社会的浸透度の差というのを、嫌というほど実感させられるトピックが、サンフレッチェの新スタジアム問題です。いろいろと地元のステークホルダーにしかわからない事情があるんでしょうから、軽々なことは言えませんが、この問題の背景の一つに、「まだまだ、政治家たちにとって、野球場=公共の福祉、サッカー場=一部の好き者のための贅沢施設」という位置付けの差があるように思うのです。で、政治家さんたちは、有権者、厳密には「実際に投票行動をする人々」の代表者ですから、それは、そのまま、50代〜60代以上(現実に社会を動かしている人々)の最大公約数的意見を代弁していると言えるでしょう。まだ、サッカーは社会を、時代を動かせていない。では、どうすれば時代は変わるのか。

 

 

そこで想起されるのが、JRAの女性ジョッキー、藤田菜七子さんです。藤田さん、いや“オレの菜七子ちゃん”って、ほとんどオール競馬ファミリーから全面バックアップされていますよね。ワタクシとほぼ同世代の牧原時由貴子さんがデビューした時からは隔世の感があるわけですが、今回、菜七子フィーバーが起きた背景には、20年前、牧原由貴子たちがデビューしながらも、当時の50〜60代(現実に社会を動かしている世代)がそれをポジティブに受け止めなかったことを、歯がゆく見ていた当時の30〜40代が、今や50〜60代(現実に社会を動かしている世代)になって、その失敗を繰り返さないよう、尽力しているからだと思うのです(根本調教師をはじめとして)。話題を広島の新スタジアムに戻すと、プロ野球に絶対的な価値を信奉する現在の50〜60代の判断に、苦々しい感情を抱いている30〜40代が、実際に社会を動かす世代になるまで、なかなか難しい状態は続くのかな、と思っているということです。

 

 

□結

Jリーグが発足したのは1993年。その頃のJリーグは、間違いなく“若者の文化”でした。Jリーグに飛びついたのは、団塊ジュニアと呼ばれる世代です。断言しましょう。なので、サッカーが社会的に、真の意味で承認されるようになるのは、その“Jリーグ世代”ともいえる団塊ジュニアが50〜60代になるまで待たざるをえないのではなかろうか。その頃には、団塊ジュニアの薫陶を受けた団塊ジュニアジュニアが有権者になり、納税者になっています。そして、団塊ジュニアジュニアジュニアがスタジアムでヨチヨチしていることでしょう。日本のサッカー文化は、そこからが勝負だと思うのです。