今年のうちに手倉森誠を擁護しておくオリンピック男子サッカー代表監督に対する同情の周辺をウロウロと…

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■忍法“予防線の術”

いやぁ、年末ですね、年末。ワタクシ、勤労者ですので、まだまだ出勤真っ最中。明日まで出勤ですよ。平日のナイターとかは平気で見にいってるのにね。職業に応じて、ハイシーズンとかオフシーズンとかあるわけです。ともあれ、「今年も終わるなぁ」と考えていたら、衝撃的な事実に思いが至る。「来年、オリンピックイヤーじゃん!」

 

 

となれば、ワタクシとしては今のうちにやっておかなければならないことがある。それはオリンピック男子サッカー代表監督を庇っておくこと。だって、本番になったら、絶対に批判されるもん、ワタクシの経験上。ベスト4まで進出した関塚さんでさえ、最後に韓国に負けたからってだけで、散々批判された。ベスト4でも批判されるんだから「実力相応の結果」だったら、きっと猛烈批難の雨あられ。

 

 

時節柄的に手倉森さんを庇う要素としては、鎌田や関根をうまくチームに組み入れられなかったパターンについて。仮に鎌田が最終予選だけでなく、本番でも選外になったりした場合に備えて予め言っておきますけど、オリンピック代表みたいに発足から本番まで時間がなく、拘束できる活動期間が短い代表で、彗星のようにあらわれた新星を組み入れるは、とっても難しいんですよ。過去の事例を見る限り。そこは許してあげて。

 

 

それから関根。ステージ優勝するようなトップクラブのレギュラー選手をチームに組み入れられなかったとしたら、それはそれで批難の対象になるんでしょうけど、今この時点なら皆さんわかりますよね。呼ぼうにも、天皇杯が残っていて所属チームから引き離せないんですよ。ただでさえ時間がないなか、貴重なトレーニング期間にも招集できない。文句は天皇杯の日程(を決めている人)に言ってくれ、と。

 

 

 

■オリンピック信仰のややこしさ

 

前回のオリンピックのときに雨後の竹の子のようにスポナビさんにサッカーブログが新規参入された(そして消えていった)。この人たちのけっこうの割合が、なかなかややこしかったんですよ。ワールドカップ前後にもご新規さんは叢生するんですけど、ややこしさはオリンピック前後が群を抜いている。というのも、オリンピックを愛でる人々の少なくない割合が、「競技愛<ナショナリズム(=自己愛)」なんですもん。

 

 

サッカーが好きだからオリンピックの試合を見るのではなく、「日本人ここにあり!」のカタルシスに酔いしれたいだけって人がそれなりにいる。そういう人たちって、日常のリアリティのなかでサッカーという競技に接しているわけではないから、平気で「ゼーマンを五輪監督にすべきだ!」とか、「デヘアに比べて劣っているから権田は使えない!」とか言い出す。

 

 

オリンピックで、何が一番ややこしいかって、その評価基準ですよ。基本的に日本人にとってのオリンピックって「メダルを獲れたかどうか」が全て。大会のパッケージがオリンピックってだけで「メダルが獲れなければ失敗!」ということになる。いやいやいや、五輪であろうとWCであろうと、世界基準における日本サッカーの偏差値は同じですよ、と。

 

 

ワールドカップだと、とりあえずグループリーグ突破したら、一応の評価はされる。ワタクシとしても、それが妥当な線だと考えている。なのに、オリンピックになった途端、メダルが義務になる。なんて不条理な・・・。弊ブログを好意的に読んでくださった御諸賢がおりましたら、少なくとも皆さまにおきましては、グループリーグを突破できたかどうかを基準で手倉森さんを評価してあげてくださいませ。

 

 

・・・てゆうか、オリンピックに出れることを前提に書いていますね、このエントリー。その時点でなにか決定的にナンセンスな文章だったかも。。。