ぶちくらせ問題の周辺をウロウロと…(前編)

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■青少年への悪影響なんだそうだ

なんだか、全国的には突如として大騒ぎになりましたね、ギラヴァンツ北九州の「ぶちくらせ問題」。「ぶちくらせ」って表現がはしたないみたいなことを新聞で批判されたんですよね。で、その批判を受けてクラブは使用禁止。でもサポーターは、それに納得せず使い続けて出禁になった、みたいな。「ぶちくらせ」って言葉は、関西弁における「しばいたれ」みたいなものですか??

 

 

「ぶちくらせ」問題の根幹は、「そういうお下品な言葉は青少年によくない影響を与える」って論理。個人としての経験上的には、「教育上よくない」って論理を持ち出す人にろくなヤツはいない気がします。そもそも「教育上良くない」って主張する人々の基本的な発想は、「臭いものに蓋をすれば、良い子はスクスクと育つはず!」ってところにある。ホント、バカバカしい。

 

 

昔、血気盛んな30代だった頃の松ちゃん(ダウンタウン松本人志)は、「クレームなんて、暇な専業主婦の暇つぶしに過ぎない」と喝破しておりました。ネット社会の現代では、暇な主婦に加えて、「現状への不満の捌け口をPC画面に求める人々」が主体なんでしょうけど、まぁ、「汚い言葉を使うのは青少年に悪影響を与える」って発想を持ち、しかも、わざわざそれを他者宛に表現する人々は、たぶん、暇です。

 

ちなみ、松ちゃん、「週に1回1時間のテレビ番組が悪影響を与えて、子どもがおかしくなるとしたら、それは、親の子どもへの影響力が週1時間のテレビ番組よりも劣っているってこと。親子のコミュニケーションが良好なものであるならば、週1時間のテレビ番組の内容ごときに、いちいち目くじら立てない」って旨の発言をしてました。まさにの、仰るとおり。

 

 

 

■良い教育とは何ぞや

繰り返しなりますが、「ぶちくらせ」問題で、最もワタクシが気になるのは、「子どもに夢と感動を!」ってな「クラブの基本的な考え方からして「ぶちくらせ」は不適切な表現と考えている」というクラブの姿勢(自己正当化)のしょっぱさなのです。ワタクシが上京した頃、アパートの近くでは「葬祭場の新設反対!」ってことをしていて、反対理由は「子ども教育上、良くないから」ってもののようでした。

 

 

じゃぁ、なにかい?世の中に葬祭場は要らないのかい? あなたは親族の不幸があったとき、葬祭場を利用しないのか? と。「世の中に葬祭場は必要、でも、自分の身近にあって欲しくない。そのためには「教育上良くない」という伝家の宝刀を抜かせていただきます」ってことでしょ。そういう利己的(欺瞞的)な発想の方が、よっぽど子どもの教育には良くないぞ、と

 

 

繰り返しになりますが、こういう「子どもの教育上良くない」っていう人々の基本的な発想は、「大人の感覚で子どもに相応しくないように思われるものは社会的に抹殺されるべきだ」ってところにある。子どもは無菌室で育てるのがいちばん良いという考え方。そりゃ、確かに病気にならないよね、無菌室で育ててるんだから。でも、そうやって育った子を「健康優良児」って強弁するつもりなんですかね??

 

 

清濁すべてを含み込んだ「公立中学」なる組織出身者としては、どうしても「臭いものには蓋をせよ」って考え方にはついていけない。むしろ「世の中には汚いものもいっぱいあるし、それに適切に対処できないと社会不適合者になるんですよ」っていう、公立中学で身につく社会的リアリズムこそ教育において重要だと思うんですけどね。

 

 

・・・ともあれ、まず前編では、そもそも「ぶちくらせ」禁止をバカバカしく感じるというワタクシのスタンスを確認しておきたいと思います。そして忘れちゃいけないのは、だからとってサポーターグループのルール違反まで許容すると言っているわけではないこと。それはそれ、これはこれ。そこだけは勘違いなきようお願いします(後編に続く)。