「1993年の大河ドラマダービー」「交通の要衝ダービー」「ドーハの悲劇経験者ダービー」2014シーズンを振り返る・日本各地のダービー

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■1993年の大河ドラマダービー[YS横浜vs琉球(10月18日)]

 

ワタクシみたいなアラフォーオヤジが青春を過ごした頃というのは、いわゆる「失われた10年」とか言われる、バブル崩壊直後の時代だったわけです。なので「バブル」という現象は思春期の入口に立つ直前の、ぼんやりとした記憶がかろうじて残っている時代の出来事。でも、オトナになって感じるのは「バブル」というのは、戦後モデルの総決算であり、バブルが崩壊した時代というのは、戦後日本の一大転換期に相当するんだなぁということ。バブル崩壊以前には「近隣アジア諸国は好きじゃない」なんて、とても公言できる空気感ではなかった。

 

 

そんなバブルが崩壊したり、一部、バブル感の残滓がかろうじて漂っていた時代に、ANAだかJALだかが思いっきりキャンペーンに力を入れていたのが「沖縄」。戦後の空気感のある時代において沖縄は、まだ一種の異国情緒を感じさせる地域だった。それが森高千里のヒット曲やら、THE BOOMの「島唄」なんかを通じて、特に、当時の若者だったワタクシ世代にとっては、急速に、沖縄との壁が取り払われていきました。あくまで、ワタクシの個人的な感想ですけど、同世代の沖縄出身者も同意してくれたので、多かれ少なかれ、そういうイメージで捉えられる部分がある。

 

 

そんな時代背景をもとに制作された大河ドラマが『琉球の風』だったわけです。で、この『琉球の風』、大河ドラマなのに半年プロジェクトで、年度途中に『炎立つ』へとバトンタッチされた。その『炎立つ』は平泉の奥州藤原氏を題材としたものだったのですが、奥州藤原氏を滅ぼしたのは、ご存知の通り、源頼朝源頼朝が拠点としていたのは鎌倉で、鎌倉市横浜市を県庁所在地とする神奈川県。そう、YS横浜vs琉球は、「1993年大河ドラマダービー」なのです。

 

 

 

■交通の要衝ダービー[川崎vs鳥栖(10月22日)]

アビスパサポって、ワタクシの肌感覚では、ギラヴァンツよりもサガンに対して高いダービー意識を持っていますよね。久留米は福岡県で、すぐ隣の鳥栖佐賀県宇都宮線で古河だけなぜか茨城県みたいな感じでしょうか。県境が錯綜しているということは、それだけ人の流れが複雑だということであって、要するに、交通の要衝だということですね。鳥栖ジャンクションを想起すれば理解しやすいところでしょう。長崎にも熊本にも行けまっせ、と。

 

 

川崎も、そういった要素がありますよね。川崎市は誰がなんといっても神奈川県なんですけど、文化圏としては完全に大田区とセットですよね。京急とか京浜東北線の沿線に顕著ですけど、大田区川崎市は、まさに「京浜工業地帯」の中核ですからね。田園都市線とか、東横線とは一線を画す文化圏を形成している。なぎら健壱が徘徊していそうな街、それが川崎市。決してきゃりーぱみゅぱみゅ叶姉妹もいません。木下優樹菜はいそうです。

 

 

という感じで川崎市中心地は、東京都だか神奈川県だかわからないわけですが、フロンターレの練習場のある北部も、東京都だか神奈川県だかわからなかったりする。小田急多摩線とか京王相模原線は、そのへんの錯綜具合がカオスです。で、川崎市は同時に交通の要衝でもあります。基本的には東西道(つまり東海道)沿いの一都市なんですけど、アクアラインができてからは、千葉へと向かうスイッチポイントにもなりましたし、特に等々力競技場のある一帯は中原街道沿線。南北道と東西道が交差するお土地柄。なんだか、鳥栖とキャラがかぶるのですな。

 

 

 

ドーハの悲劇経験者ダービー[ナビスコカップ勝戦(11月8日)]

この試合で、地味に注目されたのが、ガンバ長谷川健太監督とサンフレッチェ森保一監督の日本人指揮官対決。長谷川健太は清水三羽烏として、高校時代からのスター。創生期のエスパルスの中心選手として活躍しましたし、引退後も大学などで指導者実績を重ね、エスパルスでもかなりの成績を残した。対する森保一も、風間八宏とのWボランチで広島のサントリーシリーズ制覇に貢献した、やはりJ草創期のレジェンドで、指導者としてお里に帰ってきた。

 

 

この2人に共通するのは、「ドーハの悲劇」を経験しているところですね。若い人は知らないかもしれませんが、あるいは歴史上の出来事なのかもしれませんが、ワタクシにとっては、あれが、事実上、「初めてのサッカー体験」でした。もちろん、テレビ画面越しに見ていただけでしたけどね。高校生でしたし、あの頃のサッカーというのは、現在とは種類の異なる、一種異様な高揚感に包まれていましたから、鮮明に覚えております。

 

 

振り返ると、もう20年以上も昔の出来事なんですよね。夏の日の1993ですよ。恋をしたのですよ。君に夢中なんですよ。普通の女と思っていたのになんですよ。そんな1993の2人が、2014ナビスコカップにおいて、埼玉スタジアム2002で再会するのですから、感傷に耐えません。そうか、改めて文字にすると、日韓ワールドカップからも干支が一回りしているのか、ワタクシの加齢臭も止まるところを知らないはずです。