ワールドカップ各国分析〜ボスニアヘルツェゴビナ編【グループF】

                                  にほんブログ村 サッカーブログへ
にほんブログ村

ザックジャパンコートジボワール相手に初戦を落とした瞬間、多くの「(自称)サッカーに関心のある」日本人にとって、ブラジルワールドカップの記憶は風化を始めたわけですが、一応、ワタクシはWCの全試合を録画を中心に見ました。で、その各試合のレポは少しずつ「ワールドカップTV観戦記」としてアップしておりますが、それと並行して、「ワールドカップ各国分析」もアップしていこうかなと思います。1週間に1カ国とすると、コンプリートするのに8ヶ月、2015年の5月、完全に皆さま「とっくにそんなこと忘れたよ!」って時期になってますけれども・・・。

というわけで、今回はブラジル大会唯一の初出場国、ボスニアヘルツェゴビナ

□スタイル

ブラジル大会唯一の初出場国となったボスニアですが、そのサッカースタイルは、「ワンタッチによるパスワーク」ということになろうかと思います。流麗ってわけでもなく、ショートパスを繋ぎ倒すって雰囲気でもないのですが、ともあれ、ワンタッチのパスを素早く繋いで前線までボールを届けていくサッカー。惜しむらくは大柄な選手が多いこともあってか、バイタルエリアに進入してからのアジリティとかアイデアに欠いたところ。

 

 

そんなボスニアですが、選手の所属クラブを眺めていると、しみじみと東欧の国であることを実感します。例えば、シュニッチ。15番を付けたCBですが、この選手はウクライナのクラブに所属しているとのこと。また、やんちゃ系のアンカーとして獅子奮迅の運動量を示していたベシッチ(7番)はハンガリーのクラブ。一応、ワタクシ、リアルタイムで冷戦を知っている世代ですので、ワルシャワ条約機構を思い出さずにはいられません。

 

 

□ジェコについて

 

そんなボスニアヘルツェゴビナの英雄といえば、それはもうジェコなわけです。ボスニアの試合では必ず内戦という歴史的背景に引きつけた実況がなされていたのですが、それによると、多くの選手が亡命・移住先の国々で育ったのに対し、ジェコだけは国内で空襲に隠れながら育ったらしい。それはそれで凄いことなのですが、それにしても、内戦のお話に絡めすぎだった憾みをなしとしない。ジェコ的には「まずは“サッカー選手”として紹介してくれ!」という気分になっていたことでしょう。

 

 

まあ、戦争の悲惨さを知っている世代が減っていき、近年、えらい勢いで好戦的・排他的になっているどこぞの島国へのアンチテーゼかもしれませんね。それはそれで結構。ただ、どうも、ボスニア内戦話は、「それによる混乱を解決したオシムの武勇伝」という脈絡で語られていて、日本におけるオシム人気に便乗した番組作りに思えてならない。まあ、「日本代表以外の試合」を見る層にとっては、いまなお、オシムは伝説の人物ですからね、そこに引きつけたい意図はわかりますけど。

 

 

□目だった選手たち

 

さて、何かとジェコがクローズアップされたボスニアヘルツェゴビナですが、他にも注目すべき選手はいて、例えばそれはミシモビッチ。ジェコや、それから長谷部とともにブンデスリーガを戴いた選手ですが、いまは貴州人和に所属しているんですね。そして、最も活躍したのは、実は、キーパーのベゴビッチだったのではなかろうか。どっしり構えて、味方に安心感を与える、クラシカルなゴールキーパー。少し、楢崎に近いものを感じたのはワタクシだけではないでしょう。