ワールドカップ各国分析〜コートジボワール編【グループC】

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ザックジャパンコートジボワール相手に初戦を落とした瞬間、多くの「(自称)サッカーに関心のある」日本人にとって、ブラジルワールドカップの記憶は風化を始めたわけですが、一応、ワタクシはWCの全試合を録画を中心に見ました。で、その各試合のレポは少しずつ「ワールドカップTV観戦記」としてアップしておりますが、それと並行して、「ワールドカップ各国分析」もアップしていこうかなと思います。1週間に1カ国とすると、コンプリートするのに8ヶ月、2015年の5月、完全に皆さま「とっくにそんなこと忘れたよ!」って時期になってますけれども・・・。

というわけで、今回は日本を奈落の底に落としたコートジボワール

 

 

 

□ヤヤトゥレについて

 

 

ヤヤトゥレって、一時期、「世界一のボランチか否か」論争が巻き起こりましたよね。けれども、この大会ではトップ下の位置に入ることが多かった。実際に、この位置でボールを持ったときには、広い視野からのラストパスが期待できました。一方、ボランチの位置まで下がったときは、それはそれで攻撃の起点にはなっていたのですが、チーム全体の連動性として、下がったヤヤトゥレを起点とするオートマティズムが未成熟だった憾みをなしとしない。

 

 

とはいえ、やはり総じて、ヤヤトゥレの持つポテンシャルは発揮できていた大会だったと思います。この人の良さは、抜群のキープ力、細マッチョやフィジカル、さらに視野の広さ、最後に、それらを遺憾なく発揮するための落ち着き、こういったところにあると思います。逆に、アジリティであるとか、松井大輔的な意味でのファンタジーに欠けるところがある。ワタクシ的には「トップ下病に罹っていない本田圭佑」といった印象なのですが、共感は得られるでしょうか?

 

 

 

ドログバについて

 

 

この大会のプレー面での大黒柱はヤヤトゥレでしたが、精神面も含めた支柱がドログバであることに、多言は必要ないでしょう。もはや国家的カリスマですからね。一見“オラオラ顔”に見えますが、相当な人格者らしい。このあたりは、同じような状況にあったエトオとの違いが際立ちます。ヤヤトゥレとソングの違いかもしれませんけど。それよりも、国家的が背景の違うんでしょうかね。国内紛争、分裂といったところの問題の深刻度の違いかも。

 

 

ただ、いずれにしても、ドログバの会場支持率は、少し異様ですらありました。日本戦の、あの雰囲気が先鞭となったのかもしれませんが、ドログバが入るとステンドが盛り上がる。ドログバがボールを持つと、会場に一体感が生まれる。別に「大ベテランの登場」というだけならば、ドログバに限った現象ではなかったにもかかわらず。よく知らないですけど、アフリカと南米って、アジア同様、「白人社会に収奪された文化」というシンパシーとかがあるのでしょうか。

 

 

 

□敗因

 

  

ともあれ、それなりに2枚看板が存在感を示したにもかかわらず、コートジボワールがグループリーグで敗退した要因は何か? それは黄金のカルテットを先発させながらも敗れたギリシャ戦に象徴されていたと思います。ギリシャ戦では、ドログバ・トゥレ・カルー・ジェルビーニョというビッグネームが前線を形成していたのですが、パス&ゴーの「ゴー」がないのですね。もちろん無駄走りなんてものを望めるべくもなく。

 

しかも、前線の4人は、それほどハードワークをしませんから、どうしてもサイドバックボランチがバランスを崩して攻めあがるってリスクを冒せない。「足下に!足下に!!」の前線をフォローアップできないってことになる。必然的に攻守分業サッカーになってしまい、かつ、それぞれの間でのコンビネーションも、なかなか出てこない。さすがにこれでは厳しい。しかも、ドログバが出ると、この傾向に拍車がかかる。ラムジにとってもジレンマだったでしょうね。