松田直樹を追悼するガキ大将の憂鬱

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本シリーズは、2011年10月に書き散らしたものです。そういうものとしてお読みくださいませ。

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前回のエントリーでは、松田直樹がガキ大将であったがゆえに愛された、みたいな話をしました。では、なぜ、ガキ大将的要素を持っていれば愛されるのか。それは、社会がガキ大将を必要としているからでしょう。

日本人にとって、「キング・オブ・ガキ大将」と言えば、ヤツですね。そう、黄色い服を着て、歌が超絶にヘタクソで、いつも公園にいる。野球が大好き、ソックリな妹がいて、母親のことは当然「かあちゃん」と呼びましょう。子分である金持ちの坊ちゃんのモノはオレのモノだし、ネコ型ロボットに助けられてばかりのメガネ君の癖に生意気だぞ、と。

そんな古式ゆかしきガキ大将って、近年、めっきり見なくなりましたよね。ワタクシは社会学の素養など皆無ですので、メッタなことは言えませんが、思うにこれは、ドキュメンタリー番組や、「朝まで生テレビ」とかを見ていると頻発する「地域社会の消滅」なるキーワードと関連するのではないか、なんて思うわけです。

Jアンが出てくるDえもんは、あくまで同学年の横の連帯をフォーカスした物語ですが、ガキ大将の特性というのは、学年やクラス、或いは学校といった枠組みとは無関係な、「近所の子供たちを仕切っているヤツ」という部分にあるわけです。

そういう「学校や学年に関係ない〈近所〉という枠組み」は、日本という国が豊かになるにつれ、急速に姿を消しつつあるんだと思います。それはそれで社会の趨勢なんで致し方ないのですが、「教室のボス」とガキ大将には、決定的な相違があって、そうであるがゆえにガキ大将が貴重になってくるんだと思うのですね。

例えば田舎モンの昔人間なワタクシとしては、子供の頃、夏休みになるとカブトムシ捕りなんてものに出掛けました。普段は比較的、近所の同学年と遊んでいたワタクシですが、こういうときは高学年のお兄さん、つまりガキ大将さんに連れて行ってもらうんですね。で、こういうときのガキ大将は非常に心強い。大長編DえもんのときのJアンくらいに心強い。

それは、彼らが漏れなく「親分たるもの、弱い子分から順番に守らなければならない」という倫理観を持っていたからなんだと思います。要するに、「構ってくれる」わけです。これが何より嬉しいし、安心できるわけです。

前のエントリーで本田圭佑のことを、「ガキ大将ではなく番長」と述べましたが、それは、上のような要素を、あまり本田に感じないからです。逆に松田直樹には、そういう、「身近にいれば心強い」感をビンビンに感じたんですね。だからこそ、貴重な人材だった。

☆☆☆

一方で、年長者から見れば、「生意気」感がなくもないであろう松田直樹は、同時に、その時々の監督さんにとっては、非常に力量を試される存在だったと思います。監督の立場からしてみれば、ガキ大将タイプの選手より優等生タイプの方が、親分キャラの選手よりは子分キャラの選手の方が、確実に御しやすい。ただし、チームを強くしようと思えば、こういう扱い辛い選手が、監督やキャプテンにはできない役割をしっかり果たして、チームを下支えしなければならない。ここに一つのジレンマがあるわけですが、実際に松田直樹を使いこなせた監督と、そうでない監督というのは、そのまま結果を出せた監督と、出せなかった監督に直結するように思います。

例えばマリノスの歴代監督を振り返ってみましょう。若くてコンディションが常に良かった頃は、問答無用に使わざるをえなかったでしょうが、三十路前後になって、プレー面では、どうしても松田じゃなきゃいけないって訳でなくなって以降を見てみると、マリノスを例に挙げるなら、岡田さんは確実に松田直樹を使いこなしていた。

一方で、その後の、桑原さん、早野さん、木村浩さんといった面々は、正直、松田を使いこなせなかった。松田というキャラクターをコントロールしきれなかった。そして、その間のマリノスはタイトルから遠ざかり続け、「万年中位」と揶揄さるに至ったわけですね。

代表に目を転じると、その傾向は、より顕著になります。トルシエみたいな監督からすれば、松田のような選手は、最も「面白くない」存在だったに違いありません。2人の人間的な相性が良かったとは、とても思えない。にもかかわらずトルシエ松田直樹とともにワールドカップを戦いました。

一方でジーコ。天才を重用する傾向からすれば、トルシエよりジーコの方が何倍も相性が良さそうに思えるのですが、松田直樹がキャリアにおいて、最も分かりやすい形で造反した監督がジーコでした。で、ジーコが代表監督として残した成績については多言を要さないところです。

つまり、松田直樹を使いこなした岡田さんとトルシエは、マリノスなり代表で、しっかりとした結果を残し、それができなかった監督たちは不本意な結果しか残せなかったわけですね。松田直樹が監督を見極める試金石と感じる所以です。

というわけで、松田直樹は監督からすれば扱い辛いけど、チームにとっては必要不可欠なガキ大将だったというお話でした。

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本エントリーを書いたのは3年前ですが、いまでもやはり本田圭佑に「ガキ大将」感を感じない。画面越しの情報だけでは判断できませんけど。。。4年後、「本田といえば若手や新顔をいじりにちょっかいだすよね」ってなってれば、ロシア大会は良い大会になりそうな気がします。