最高の国立は渋〜い決着〜浦和vs甲府(5月6日)の周辺をウロウロと…☆現地観戦記☆

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最後の最後。サヨナラ国立。

■前半

多くのチームは、浦和と対戦するときにミラーゲームに持ち込みますよね。そして、そういう相手に浦和は弱い。ただ、甲府は普段から343ですからね。自動的にミラーゲームとなります。そして、「攻めるための343」vs「守るための343」ですから、とてもわかりやすい構図で試合は進みます。ホント、予想通りの状況で、前半の25分くらいまでは、ひたすら浦和がパスを繋ぎ続けるって展開。

そうなると、浦和としてはどうにかして甲府守備陣が築き上げた牙城をこじ開けなければならないのですが、どうにも一本調子。あれこれ状況の打開を図りながらも、リズムのメリハリがないので、なかなかシュートまで持ち込めません。で、そういう「パスを繋ぎ倒せども、得点はおろか、シュートの匂いもしない」病は甲府にも伝染した模様。何度かあったカウンターのチャンスでも、甲府甲府で浦和のブロックの前に横パスだらけになっていました。ちなみに甲府が横パスだらけになるってことはどういうことか? そうです、甲府のリズムになっていたのです。浦和が攻め倦ねた結果か、前半の半ば以降になると、少しずつ甲府がポゼッション率を上げていきます。

浦和がリズムを失いかけた要因は、中盤で縦パスを引っ掛けられまくったから。主に柏木とか阿部とかですけど、マルキーニョス・パラナと新井の甲府ボランチの餌食になるってシーンが多く見られました。そして、そこを突破したとしても、グラウンダーのパスだと、なかなか決定的なチャンスを作れない。というのも甲府の最終ラインには山本英臣がいますからね。彼の読みの鋭さは、なかなかえげつない。ただ、浦和としても、さすがに、そのあたりのメカニズムに気がついたのでしょう。前半も終盤になると、特に森脇と梅崎の右サイドから、再三、シンプルなクロスが入れられて、少しずつ得点の匂いも薫ってきました。ってところでハーフタイム。

■後半

後半になるとペトロビッチ監督は関口に代えて関根を投入します。これはロジカルな交代でしょう。前半は遠いサイドにいたから把握できなかっただけかもしれませんけど、ほとんど消えていましたよね、関口。代わって入った関根は良かったです。左サイドで高めに構えて、上手くボールを引き出していました。残念ながら、その躍動も時限的ではありましたが、「使って使われて」の両方ができる選手のようです。

浦和でもう1人、「使って使われて」が際立っていた選手が原口。黄色いスパイクを履いて奮闘していましたが、少しずつ選手として成熟しつつあるようです。デビュー当時の印象だと、「若いドリブラーは、それくらいエゴイスティックじゃないとね!」ってタイプだったと思いますが、随分と周囲を上手に使えるようになりました。それでいて、時折みせるドリブラーとしての煌めきは少しも色褪せていない。代表の当落線上にまでは来ている選手だけあります。

一方、甲府ではブラジル人トリオの存在感が光っていました。中盤で相手のチャンスを摘み取るパラナ、どこにでも根性で顔を出すジウシーニョ、単騎突破を余儀なくされてもカウンターの起点となり続けたクリスティアーノ。これら3選手を見ていると、ブラジル人選手というのは、ホント、ボールへの嗅覚と執着が一味違うなと思わされます。「サッカー選手たるもの、ボールに触ってナンボ」というイロハが遺伝子レベルで刷り込まれている。

その上で、特筆すべきは城福監督のチーム作りでしょう。ボールを大事にするあまり、ボールを他の選手に渡さないってことにもなりかねないブラジル人選手を、完璧にチームのピースとして使いこなしている。チームのコンセプトとか基本的な約束事を理解させ実行させるという指導力は一目置いてよいと思います。この試合も、終盤に一人少なくなりながらも、一致団結した逃げ切りで勝ち点1をもぎ取った。甲府からすれば、まさに“ミッションコンプリート”だったでしょう。

■日本代表への推薦状

□推薦者

・国立競技場

□推薦理由

とにもかくにも、国立競技場へのリスペクトを。この試合が、改修される前におけるJリーグ開催のオーラス(←わからない若者は「なるほどザワールド」「愛川欽也」で調べて下さい)、最後の最後でした。試合前には、「これでもか!」ってくらいに、「ありがとう国立」的なセレモニーが繰り広げられましたね。ちなみにワタクシゴトですけど、個人的に初めてサッカーを生観戦したのが、西野レイソルが初優勝したナビスコカップ決勝(99年?)。そう、「初めてのサッカー」が国立競技場だったのですね。

冷静に考えて、国立競技場ってワールドスタンダードでいけば、「トラック付きの聖地って・・・」ってな話なわけですけど、だからこそ、そこに日本におけるサッカーの歴史が凝縮されている。戦後日本の国民的球技は、常に野球であり続けた。「野球場」はありえても、「サッカー場」に税金を使うことは有権者の理解を得られない。そういう歴史の生き証人。ザックにも、今後の日本代表監督にも、そういう日本サッカー界の歴史を、適切に理解していってもらいたいのです。