【御蔵出し】AKBとモー娘。とバルセロナの周辺をウロウロと…

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に、してもイカンですな。実態としてのエントリーアップが、綺麗な「日・火・木」になりません。ズルして、そういう綺麗な感じにしてますけど。

引っ越しかなんかの時に、それまで書き止めていたコラムめいたエントリーの下書きを保存したUSBメモリーを紛失したのですが、それが先日、発見されました。それを【御蔵出し】シリーズとして不定期連載していきたいと思います。そんなわけで本シリーズは、エントリーが書かれた当時の頃に記憶を戻してお読みくださいませ。

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ワタクシ、いわゆる団塊Jr.世代です。この世代の思春期というのは、80年代以来のアイドルブームが過ぎ去り、バンドブームが到来する、そんな時代でございました。そんな時代の風に吹かれていたせいか、どうも「けっ、アイドルなんて!」みたいな価値観に染まってしまっていたのですが、そういうアイドル氷河期を一気に温暖化させたのが20世紀最末期に出現したモー娘。ですね。

そのモー娘。入れ替わり立ち替わりしながら、現在でもご活躍のご様子。ただし、全盛期ほどの破壊力はなくなってしまっているようです。それと入れ替わるように、今や隆盛を誇っているのが、言わずとしれたAKB。

ワタクシ、AKBというのは、ラーメンチェーンの天下一品に似ているのではないかと考えています。天一のラーメンって、10人いたら10人とも大好きって味ではないですよね。コッテリというかドロドロというか、非常に癖がある。だから逆に、病みつきになると、もう、そこから離れられない。

AKBの女の子についても似たようなことが言えて、大島さんは比較的万人受けしているようですが、基本的には、たぶん、「最大公約数的に可愛い」という基準ではなく、「好きな人は病みつきになるよね」って顔を基準に選んでいるように感じるのです。そして、「病みつきになる」ポイントというのは人それぞれ千差万別ですから、必然的に、皆さんてんでバラバラな個性を、少なくともルックスにおいてお持ち。

彼女たちが有名になりかけた頃には既にオッサンだったワタクシとしては、一番最初に覚えたAKBは「行ってみヨーカドー」こと板野友美さんなのですが、彼女って、あんまり‘AKBっぽい’って雰囲気じゃないですよね。というかAKBって‘AKBっぽくない’人々が集団をなすことで、‘AKBっぽい’を形作っているように思うのです。

翻ってモー娘。彼女たちって、ある段階から、全体的に「つんくが好きそうな顔」の女の子ばかりが揃った集団になってしまったような印象があります。上手く言えませんが、なんとなく揃いも揃って‘つんく顔’なんですよ。

もう少し具体的な例を挙げると、つんくがプロデュースするアイドルさんたちって、必ず巻き舌で歌いますよね。要するに、つんくと同じ歌い方。そこにあるのは、大いなるワンパターンであり、果てしなき杓子定規です。この辺りに、モー娘。がかつての勢いをなくした一端があるのではないかと考えているのですね。

ワタクシが辛うじて認識出来ているのは、後藤真希とか、そのくらいまでですが、ラブマシーンの頃のモー娘。って、もっと個性豊かというか、1人1人が見てくれからして、てんでバラバラだったように思うのです。「愛煙家だった元12歳と保田圭の両方がタイプです!」って人は、そうそういないでしょうし、少なくとも、「同じ顔をしていて両者の区別がつかない」ってことは考えづらい。そして、石川梨華ヨッシーなんかが典型的だと思うのですが、どちらかといえば、万人受けするというより、中毒性のある顔立ちだった。

少し視点を変えます。ここはスポナビブログですから、皆さん、『スラムダンク』はご存知ですよね。あのマンガの人気を考えるとき、キーになるのは、「おそらくファン投票をすれば、花道が圧倒的な一位になるってことはないだろう」という点です。

つまり、『スラムダンク』ってマンガは、登場人物が非常に個性豊かで、読者それぞれなりに感情移入するキャラクターが異なってくるのですね。で、それこそ、『スラムダンク』が多くの人々を魅力する最大の秘訣だと思うのですよ。

AKBと『スラムダンク』の共通点、それは、キャストそれぞれが多種多様な個性を持っているということです。そして、モー娘。は、その多様性を失ったことにより失速した。「個性的」と「多種多様」は、ほぼ同義だと思うのですが、そういう「多様性」こそ、「豊かさ」なんじゃないかな、そう思うんです。

逆に言えば、「こうでなければならない」とか、「こうあるべきだ」とか、「こういう在り方こそ正解である」とかいった発想は、おしなべて例外なく、「多様性」を否定する考え方です。ある種の模範解答を、金科玉条のように信奉し、それに反する考え方を、条件反射的に批判する、そういうスタンスは「多様性」を殺す行為であり、「豊かさ」の放棄を意味するんじゃないか、そう考えるのですね。

「スポーツ限定のスポナビブログで、何をゴチャゴチャ言ってるんだ?」って話ですが、つまり、こういうことを言いたいわけです。

すなわち、近年、「バルサのサッカーこそ、フットボールのあるべき姿で、非バルサ的なサッカーはアンチフットボールである」みたいな風潮を感じなくもないのですが、そのような、「唯一の理想形と、それ以外の誤った在り方」という考え方は、〈「多様性」=「豊かさ」の放棄〉を意味する以上、日本のサッカーシーンを、この上なく貧困にしてしまうのではないか、と。

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ここ一年くらいで、急速に‘バルサ信仰’も健全な範囲内へと終息しつつあるように感じますので、完全にタイミングを逸しましたね。ともあれ、‘ポゼッション重視のパスサッカー絶対主義’は、もはや日本に定着した一信仰になりつつありますから、「バルサ」を「パスサッカー」に置き換えれば、まぁ、今でも、あんまり変わってないかな、と。