【御蔵出し】 久しぶりに水本選手の周辺をウロウロしてみます

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引っ越しかなんかの時に、それまで書き止めていたコラムめいたエントリーの下書きを保存したUSBメモリーを紛失したのですが、それが先日、発見されました。それを【御蔵出し】シリーズとして不定期連載していきたいと思います。そんなわけで本シリーズは、エントリーが書かれた当時の頃に記憶を戻してお読みくださいませ。

更新日時を確認する限り、23年前に書いたもののようですが、文中にある「ベストメンバー規定が一部改定されました」の内容が、全く思い出せません。ただ、最近のエントリーでベストメンバー規定と2ステージ制を絡めて述べたりしたので、そのついでとして、この機会にupしておきます。

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あれは北京オリンピックがあった年なので、2008年でしょうか、いま広島にいる水本選手が、主にネットの世界でバッシングをうけましたね。前のシーズン終了後、それまで水本選手が所属していたジェフは空中分解しました。巷間の噂によると、当時の社長さんのおイタが余りにも過ぎてしまっていたとかなんとか。

他の多くの選手と同様に水本選手も、プレーに集中できる環境を求めチームを去りました。新天地はガンバ大阪。ステップアップを目指す若者としては妥当な選択ですね。ところが、新たなチームのスタイルになかなか馴染めなかった水本選手は、ほとんど出番が与えられないままシーズン序盤を過ごします。移籍した選手が往々にしてぶち当たる壁ってヤツです。

で、北京オリンピックを控えていたこともあり、試合勘の喪失に危機感を覚えた水本選手は、僅か数ヶ月でガンバを去る決意をします。そのような水本選手の決断に対しては賛否両論が湧き上がり、スポナビブログさんでも、かなり盛んに意見交換されたのですが、割合としては圧倒的に否定的な意見が多かった。

具体的には、「節操がない」とか、「レギュラー争いから逃げた負け犬」とか、そういった内容だったかと記憶してます。こういった批判にも、一定の正当性はあると思います。確かに、我々日本人は、学校教育等を通じて「困難から逃げずに立ち向かうのが美しい」と教えられ、「(損得勘定をして)器用に立ち振る舞うこと」に対してネガティブな価値観を植え付けられます。

ここで一旦、話をかえます。今シーズン(注:2011シーズン?)が開幕する前、ベストメンバー規定が一部改定されました。それに対して、「この改定は、ACLに出るチームと、そうでないチームに相違が発生する。ダブルスタンダードなんてけしからん。だったら改定しない方がマシだ」という批判が寄せられました。「ダブルスタンダードは良くない」というのも、日本人が広く共有している価値観だと思います。その意味では的を射た批判と考えられなくもないですね。

てなことを考えて思ったのですが、水本選手への批判とベストメンバー規定改定への批判には、ある共通性がありませんか?

その共通性とは、「学校教育で習った価値観で白か黒かと言えば、白じゃない」という理由による批判だということです。砕いて述べれば、「学級委員とかになるヤツは、そういうこと言うよね」みたいな。

外国のことは存じ上げませんが、少なくとも日本の学校教育では、全てを「正解」と「不正解」、あるいは「良いこと」と「悪いこと」の二元論で論じようとしますよね。しかし、実際に社会人になってみると、世の中って、それほど牧歌的にはできていないことに気づかされます。「白」と「黒」の二元論的な思考をするヤツって、実際問題として身近にいたら、「面倒」だったり、「迷惑」or「面倒」だったりしません?

つまりですね、現実社会というのは、人間関係の連鎖で成立しているわけですよ。そして、人間というのは、生い立ちが異なれば、身につける価値観も微妙に異なってくる。全ての人間の価値観が完璧に一致していれば良いのですが、少しずつズレた価値観を持つ人間の、無限の連鎖によって成立している以上、社会には百人が百人が一致して感じる「白」とか「黒」なんてものは殆ど存在しなくて、そこにあるのは無限のグレーなわけですね。もちろん同じグレーでも濃淡の差はあると思いますが。

社会がグレーの集合体によって出来ているとするならば、学校教育で習う「世の中には白(絶対的な正解)があって、それ以外は黒(不正解)ですよ!」てな価値観は、社会の実態から乖離していることになる。必然的に学校教育上の価値観に忠実であればあるほど、その人は社会不適合者にならざるをえないのではないか、なんて考えるわけです。

必要なのは、理論的に、或いは理念的に「白」か「黒」を弁別することではなく、そのグレーを、「当事者のハッピー」なり「最大多数の最大幸福」なりのために、いかに効率よく運用するか、にあるのだと思うのですね。にもかかわらず、「大人は汚れている」だとか、「社会が間違ってる」とか言って後者にコミットせず、前者に固執するのは、ピーターパン以外の何者でもないのではないか、なんて言ったら……さすがに言い過ぎですね。

なんだか、現代教育批判みたいになっちゃいましたね。要するに、水本選手のガンバから京都への移籍は、「日本の伝統的な道徳観念からすれば白じゃない」でしょうし、ベストメンバー規定の一部改訂についても、「問題の完全解決に至っていないという意味では白じゃない」ということになるんだと思いますが、一旦、そういう学校教育的な価値観を相対化して、「当事者のハッピー」なり「最大多数の最大幸福」という観点に立てば、そこまで目くじら立てることじゃないと言いましょうか、黒寄りのグレーというよりは白寄りのグレーなのではないか、と。で、数年前に水本選手の移籍を非難した人たちと、2011年のシーズンオフのベストメンバー規定一部改訂を批判する人たちって、けっこう根本的な思考様式が似ているのかななんてことを考えたということです。

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2ステージ制の議論も〈正義か否か〉〈黒か白か〉という‘教室的価値観’ではなく、〈実際にそれで関係者の多くがハッピーになるのか〉とか〈それが実現したときに失業する人が大量発生しないか〉とかいう、‘オフィス的価値観’で考えてみるべきかな、と個人的には思います。