【御蔵出し】ナショナルチームの監督の周辺をウロウロと…

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引っ越しかなんかの時に、それまで書き止めていたコラムめいたエントリーの下書きを保存したUSBメモリーを紛失したのですが、それが先日、発見されました。それを【御蔵出し】シリーズとして不定期連載していきたいと思います。そんなわけで本シリーズは、エントリーが書かれた当時の頃に記憶を戻してお読みくださいませ。

今回は、惜しくも敗れましたが、日本サッカー界に快活な雰囲気を与えた吉武ジャパン(96ジャパン)の躍動にかこつけて、U19を率いながらもアジアの壁を越えられず、U-20ワールドカップへの切符を逃したことでバッシングを受けた布啓一郎氏に関する内容です。の後半。

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前回は昔話に終始してしまいましたが、要するに育成年代の代表監督をどのように決めるべきかについて語りたいわけです。

皆さんは、選手名鑑って、お買い上げされますか?

ワタクシは『サッカーダイジェスト』の選手名鑑を毎年、購入してます。で、暇つぶしに眺めていたりするのですが、ふと気づいたことがあります。それは、Jリーガーって『アメトーーク』、好きだなぁってことですね。

ワタクシも大好きです。ドラマ系は13回とか続けて見る甲斐性がありませんので、専ら見るのはバラエティ。その『アメトーーク』ですが、ときどき「学生時代、部活動しかしていなかった芸人」とか、やりますよね。そのなかで、今回の主役である布啓一郎氏も出てきます。番組において、ペナルティの両人が、「市船の主力として全国制覇経験もある芸人」という看板を背負い、中心的な役割を与えられていて、布さんとのエピソードを披露しています。

そこで語られる内容は、とにかく壮絶。まだまだ時代的に、「練習中には水分を摂るな!」って時代でしたから、わざと、グランドの水溜まりにスライディングして泥水を舐めたり、ミスをしたら、エンドレスにダッシュを延々何時間も繰り返したり、おそらく東アジア以外の指導者からみれば、「クレイジー」としか言いようのない、非人間生理学的な練習をしているわけです。

念のため申し上げますが、それは何も布さんに限ったことではないですよ。野球にせよ、サッカーにせよ高校スポーツの強豪校は、野洲など若干の例外を除き、いまなお、そういう前近代的な体質を持っている。以前ほど極端ではないにせよ。そして実際に、そういうチームが成績を残している。

それが、「スポーツの未来」という観点からみて、好ましいか否かは、敢えて問いません。ただ、事実として、高校の部活を強くしようとすれば、そういう「ど根性養成マシーン」にならざるをえない。つまり、部活の名将として必要な素養とは、「理不尽な練習に耐えてど根性を身に付けさせる」能力なわけです。言い方を変えれば、「理不尽な練習を課しても、生徒がそれに納得してしまうだけの人間力」ですね。

市船OB(=ペナルティ)の布さんへのリスペクトというのは、絶対的なものがあります。清商の監督(名前は失念、大滝さん?)さんもそうですね。要は、生徒から「人生の師」くらいの信頼を受けなければならないわけですが、そのために何が必要かと言いますと、「日々しっかり生徒とコミュニケーションをとり、生徒の個性や感情を適切に把握すること」、これに尽きるかと思います。

ミソは、「日常的なコミュニケーション」です。生徒と長い時間を共有するなかで信頼関係を構築し、その人間的なリスペクトのもと、理不尽とも言える練習を課し、ど根性を身に付けさせる。多くの強豪校の指導者は、この点に秀でているんだと思います。

そろそろお気づきでしょうか。

この長所って、ナショナルチームを率いるにあたって、全く役に立たないですよね。日常的なコミュニケーションのなかでチームを強化していくことに秀でた高校スポーツ界の名将に、ナショナルチームを託す。このことに、そもそもの無理があったのではないかと思うのです。布さんの長所って極言すれば、「生徒の才能を極限まで伸ばすこと」だと思います。でもナショナルチームの監督に必要なのは、「選手の長所を的確に組み合わせること」ですよね。高校スポーツの指導者は「農家=素材を作る人」。選抜チームの指導者は「料理人=素材調理する人」、そんな風に例えられるかもしれません。

ここまで長い旅路になりましたが、問題は、布さんではなく、布さんをチョイスする側にあったんだと思うということです。

話題を変えます。布さんに足りなかったものが、もう一つあります。ズバリ、国際経験ですね。ごく単純な話でして、高校サッカー部の教員にとって重要なのは、「全国制覇」なわけですよ。「国際舞台で活躍すること」に対するプライオリティは、極めて低い。

例えば布さんが市船で森崎とか西とか中澤総太とか増嶋とかカレンとかを指導していたときに、彼らがインターナショナルで活躍できるような指導をしていたかと言えば、そうではないでしょう。なぜならば、そんなことは高校サッカーの指導者には求められていないからですね。そんな夢見事よりも、「青春を輝かせること」を求められていたはずです。

だから、布さんは、協会に入って初めて、世界なるものを意識したんだと想像されます。布さんは韓国戦の後、敗因にフィジカルの差を挙げました。それに対して、「そんなことに今まで気づかなかったのか」みたいな安直な批判が寄せられました。

布さんともあろう人が、日本人と韓国人とでは、一般的に韓国人の方がフィジカルに優れていることの多いことを知らなかったわけはないんです。部外者の我々ブロガーや、それに対するコメンターにも分かることを、当事者が理解できていないわけはない。

ただ、「(理屈の上で)知っている」と「体感する」の 間には、「知っている」と「知らない」以上の差があるわけです。つまり、布さんのコメントは、「私は今まで国際経験がなかったので、フィジカルの差を実体験として体感したのは、今回が初めてでした」と解釈すべきなんだと思います。

問題は、国内でのド根性養成に長所のある人材に、なぜ国際舞台を押し付けたんだ!ってところにあるんだと思います。

結局、ワタクシが言いたかったのは、布さんを「無能」なんていう視野狭小な感情論は論外である。しかし、適材適所という観点に立ったとき、ナショナルチーム指導者というポジションが、布さんにとって最も輝けるポストだったのか?

そういうことです。

農家に料理人役を押し付けて美味しいディナーが出来上がるわけがありません。布さんには、そのスペシャルな才能を生かして、未来のサムライブルーを「育成する」役割で辣腕を振るって欲しいと願っております。

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最近の某御法川さんへの報道を見ていると、‘もともと彼を嫌っていた人々’がここぞとばかりにバッシングしているように思えてならないわけですが、当時の過剰な布さん批判も、布さん的指導スタイルを好まない人々が鬼の首を獲ったかのように騒いでいたように、今となっては思えてくる。指導者としてのキャリアであるとか、選手の使い方(選手をコンバートしたがったり、背の低い選手をCBで使いたがる、など)を見ていると吉武さんと布さんには非常に共通項がある。やはり、当時横行していた「プロとしての経験のない指導者にナショナルチームを率いさせるなんて・・・」とか、「選手起用が素人」みたいな批判は、正直、的外れだったというしかないでしょう。「指導者としてのキャラクターが、結果として選抜チームでなかった」、これ以外に、布さんについて指摘したり非難するポイントは存在しないと思います。