ベルデニック解任の周辺をウロウロと…

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■事の発端と、ワタクシなりの理解

いやぁ解任されましたね、ベルデニック。ひょっとしたら熱心な大宮サポ的には予感もあったのかもしれませんが、そうじゃないワタクシなんぞには、まさに青天の霹靂。ビックラこきました。一応、公式アナウンス的には「目標である勝ち点53が怪しくなってきたから」というもの。まぁ、公式ホームページに一から十まで本音を書く、脳ミソお花畑な組織なんて存在しませんからね。「決してウソではないが、‘大人の表現’を用いています」ってところでしょう。

ただ、当然ながら釈然としません。というわけでワタクシも数年ぶりに某巨大掲示板群などで情報収集。ネット上の情報なんて九分九厘、主観による仮説提示ですからね、自分なり再構築してみるしかないわけですよ。「きっと、こんな感じなのかなあ」みたいに。

で、ワタクシの解釈としては

ベルデニック・小倉体制で好調維持

ベルデニック・小倉間に亀裂

○当然の処置としてベルデニックの意向に添った人事(=小倉左遷)を行う

○そうしたところ、選手のイキイキ感も成績もウナギ下がり

○成績にこだわるどころの騒ぎじゃなくなり、チーム崩壊という最悪のシナリオだけは避けるべく、恥を忍んでベルデニック更迭

こんな感じかな、と。

■批判的反応について

で、この更迭劇に対して、どのような反応があったか。ここスポナビブログのブロガーさんたちの意見は、総じて、「4位でクビは如何なものか」といった感じ。まあ、ごく常識的な反応ですよね。ワタクシも、全く同じ印象を持ったからこそ、某巨大掲示板群なぞを覗いてみたわけで。

ワタクシにとって興味深かったのは、その後の追加リリースで「監督の方針に選手が疑問を感じるようになったことも一因」との情報が流されると、某巨大掲示板群において、「それは選手を甘やかしすぎだ!」との反応が目立つようになったこと。

いや、ですね、だいぶ昔(まだ某巨大掲示板群が社会的関心事になりつつある最中の時期、5年ちょっと前か、もう少し前か)に読んだ本だか記事だかによると、ネットを舞台に批判的言説(感じ方によっては‘中傷’)を展開したがる人々の一類型として、「教育ママに育てられた、‘元’優等生」というのがあるらしい。

なるほどな、と。確かに教育ママに育てられたコというのは、〈ママにとって都合の良いコを演じること〉を強制された存在、すなわち見えない鎖でがんじがらめになって、自由な意思表明を制限されて育ったわけですから、どうしても〈本来逆らうべきでない相手に自己主張すること〉を毛嫌いする。それは、つまり嫉妬なわけですが、本人にはその自覚がなく、ただ無性にムカつくってことになる。そういう‘元’優等生たちからすれば、〈監督に従順じゃない選手たち〉など批判の対象でしかなく、ベルデニック云々とは無関係に、〈自由な自己表現が可能な選手たち、憎し!〉との反応を示すのも、尤もだなぁ、などと、図らずも数年前に読んだ説の確かさを再認識することになりました。

■類例〜清商トリオ

話が思いっきりズレました。ともあれ、よく分からないですが、報道内容を信頼するなら、ベルデニック退任による選手の動揺は少なかったらしい。つまり、〈ベルデニック・選手vs小倉〉ではなく、〈ベルデニックvs小倉・選手〉という構図だった可能性が高い。一口に〈選手〉として十把一絡げにしちゃいけないですけど、それはともかく。

で、これによく似た出来事が、その昔にあったなぁと。90年代よりJリーグに関心を持っていた人なら覚えているかと思いますが、かつて名古屋グランパスというクラブで、〈選手vs監督〉という構図の内紛が繰り返されたことがあります。いわゆる‘清商トリオ’事件ですね。このときは、今回の大宮と反対に、まず監督を切り、その次に選手を切るということになりましたが、いずれにせよ、結局、‘段階的喧嘩両成敗’で決着したという点では酷似しています。

■元凶はNTT?

そもそも、〈選手vs監督〉なんて構図は、これまで色んなチームでいくらでも起きてきたはずなんですよ。それが表面化し、監督人事まで発展した(世間的にバレないような退任のさせ方ができなかった)のが、清商トリオのときの名古屋と、今回の大宮なわけです。ここにワタクシは非常に興味が湧くのです。つまり、名古屋はトヨタ自動車サッカー部であり、大宮はNTTサッカー部なわけですが、内紛が表面化した両クラブとも親会社が〈超日本的な巨大企業〉というのは、全くの偶然なのか、何らかの必然性があるのか、というところに興味を持ってしまうのです。

古典的な日本の企業の場合、リーダーは調整型でなければならず、平社員(サッカーチームの場合、選手)の一揆結合を乱す上司は、その時点でリーダー失格なわけですね。そのあたりの気質と、今回のベルデニック更迭劇に、なんらかの相関関係があるのか、ないのか、現時点で成案はありませんが、興味が尽きません。もっとも、そもそもベルデニックが祖国においても〈優秀で結果を残しながらも選手に追放されるタイプの指揮官〉というキャラクターだとしたら、国民性云々とは全く関係のない出来事ということになりますけどね。