企業とか、ソシオとか、中年オヤジ下心とか、の周辺をウロウロと…2012年シーズンのJリーグを振り返る・サッカー界を彩る人々

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女子サッカー関係者も女子は女子[ベレーザvs伊賀(10月06日)]

2012年の日本開催ワールドカップですっかりお茶の間の人気者となったヤングなでしこ。その爽やかさ、若々しさが、我々中年オヤジの下心を鷲掴みにしたわけですが、ベレーザにもヤングなでしこは複数在籍しております。

なかでも一際、目を引いたのが、中里選手。同じくベンチスタートの土光選手あたりとハーフタイムにはキャッキャとアップしていたのですが、彼女はズルい。ご存知の通り、彼女はアンダー150cmのちびっ子選手ですよね。そんな彼女が、男女兼用と思しきビブスを羽織ってアップをするわけですよ。もうね、若かりし頃、夢にまで見た、‘男物のワイシャツだけ着た状態’みたいな感じになっちゃうわけで。少年の心を忘れない永遠のピーターパンとしては、ヘンテコなテンションが収まりません。

一方、そんな‘坊や’には手も足も出ないオーラ全開だったのが、ベレーザ監督(当時)の野田さん。セミロングの髪型、スラッと伸びた長い脚、威厳溢れる後ろ姿、鋭い眼光、どれを取っても‘できる女’そのものです。‘できる女’どころか、あれじゃ単なる‘男前’です。そう野田さんは、男物なんですよ。少女マンガが飛び出てきたような。

ただ、そんな野田さんも乙女要素を完全には捨てきれないらしい。13時00分キックオフの試合でしたが、前半はパラパラ小雨が降ったりしつつも、徐々に天気は回復し、後半が始まる頃には、かなり西日が強くなっていました。そうしたら、前半は半袖ポロシャツで仁王立ちしていた野田さんが、ハーフタイム明けには長袖のジャージを羽織って出てくるじゃありませんか。

そう、紫外線は乙女の大敵、日差しが強まれば長袖を着るというのが、女子たるもの心得なのですね。男前野田も、そういう部分は永遠の乙女のようです。

■実業団チームへの期待[FC鈴鹿ランポーレvsアイン食品(10月13日)]

「高度成長期やバブルじゃないから」という理由で「不景気」とされてきた時代が続いて、もう20年くらいになりますかね。その間、多くの実業団チームが廃部の憂き目に遭ってきましたが、アイン食品にはサッカー部があるんですね。というか、アイン食品って、何をしている企業ですか?

失礼ながら、その程度の知名度の企業でもサッカー部は維持できるらしい。身の丈に合わせてやっていけば、移動用バスの車検代くらい払えるのでしょう。野球と違ってサッカーの良いところは、プロリーグを頂点とする単一の階層性があることですよね。強ければトップリーグへの道も開けてくるし、経済的に潤沢でないなら、ないなりの居場所を下位リーグに見いだせる。何も全ての企業が莫大な強化費を捻出して、J1を目指す必要は何もない。身の丈相応に経営していけば良いのです。だから、もっともっと、中小規模の実業団チームが増えるといいなあ、と。

やはり「諦めの悪い23歳」の受け皿は、多ければ多いほど良い。勿論それはクラブチームでも構わないんですけど、ワタクシも経験ありますが、23歳を越えて月給取りでないことに対する社会的プレッシャーというのは、なかなかヘヴィですからね。

正直な話、23歳を越えてプロになれていない選手が、その後、プロになれる可能性は、かなり低いわけで。でもゼロではないわけで、ならば、最低限の月給(身分的な安定)を保障しつつ、自分が納得できるまでサッカーを続ける環境があるというのは、日本サッカー界の分母を増やすという意味で、とても大切なことなんじゃないかな、と考えるのです。

底辺の拡大こそ日本サッカー界躍進の近道だと思いますが、底辺の拡大とは何も育成年代に限ったものではないでしょう。

■日本版ソシオの誤算[横浜FCvs千葉(11月18日)]

横浜FCと言えばバルサなどをお手本にして、日本で(たぶん)初めてソシオ制度を導入したクラブです。おそらく、その際の理念は、〈広く市民社会に開放され、愛されるクラブを目指す〉とか、そういうところにあったものと推察されます。ただ、その理念は結実することなく、運営主体が変わり、ソシオ制度も事実上、解体されました。そして、この試合、運命のプレーオフにも関わらず、駆けつけたサポーターは、実見した限り、アウェイのジェフより少なかった。

横浜FCが目指した日本版ソシオは完全に失敗に終わった」と言って良いでしょう。その要因を考えると、おそらくソシオというものが、〈広く市民社会に開放されたもの〉として市民に認識されることなく、むしろ〈一部の熱心な人々によって構成される会員制団体の会員証〉としてしか機能しなかったということではないかと思います。つまり、ソシオというものが目指すところの‘開放性’とは真逆の‘閉鎖性’の象徴となってしまった。そのことが〈‘市民クラブ’を標榜しながらも、アウェイサポより少ない動員しかできない〉という現状をもたらしてしまったのかな、と。

こういうことをツラツラと考えてくると、何か、‘国民的アイドル’に昇華する前のAKBが思い浮かびます。AKBというのは、当初、おニャン子クラブ松田聖子的なビジネスモデルが崩壊したことを受け、「ならば、究極のニッチ産業を目指そう」ってな方向性にあったものと考えます。‘会いにいけるアイドル’を標榜するということは、〈会いにくるヤツのみを顧客(=ターゲット)とする〉ということですから、まさに‘会員制’だったわけです。そして握手券が‘会員証’だった。

ただ、AKBは、というか秋元康は、‘会員制’を‘国民的’に昇華させるノウハウを持っていたんですね、現況から判断する限り。一方で、残念ながら、横浜FC(の旧経営陣)には、それがなかった。そこに横浜FCの理念が頓挫した最大の要因があるんだと思います。