西野さんとモウリーニョの周辺をウロウロしていたら、いろいろと「東西差」ってありますよね、ってことになりました。

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いろいろと不穏な動向がありますが、幸か不幸か、Jリーグ勢はACLで既に全滅しているので、そう言う意味での「アウェイの洗礼」をさしあたり、このタイミングでモロにかぶらずに済んだのは、不幸中の幸いというか何というか・・・みたいな今日この頃、皆さんにおきましては如何お過ごしでしょうか?

ワタクシは別館4thDayMarketCentreをアップしております。

□序盤のアビスパはひどかった、とかなんとか言っちゃって、ヴェルディvs福岡(09月14日)その2

□古賀ってあんなだっけか?、とかなんとか言っちゃって、ヴェルディvs福岡(09月14日)その3

ヴェルディのキーマンは中後なのかもしれない、とかなんとか言っちゃって、ヴェルディvs福岡(09月14日)その4

前回のエントリーで、審判問題に関して「洋の東西における差」を強調しました。それで、遙か昔に書いたままお蔵入り状態にしてあった文章があることを思い出したので、引っ張り出してみてアップします。そう、今回もキーワードは「東西差」。

我々の世代、70年代生まれの人間って、幼心に「憧れの国アメリカ」っていうイメージが強烈に植え付けられています。アメリカというのは、何事についても、「世界の最先端、輝く未来の理想像を体現している」という漠然とした信仰を持っていました。

ところが、少しずつ大人になるにつれ、アメリカというのはヨーロッパ諸国と比べても、かなりヘンテコな国だということが理解できてきました。

昔、両親に「何かにつけ、すぐに謝るのは日本人だけで、アメリカとか外国では、〈謝ること=過失を認めること〉だから、100%自分が悪い交通事故でも、絶対に自分からは謝らない」なんてことを言われました。

でも、「謝る=過失を認める=訴訟で敗訴=賠償金」みたいな安直な構図がまかり通っているのは、たぶん、アメリカだけなんですよね。

ヨーロッパ諸国で「コーヒーが熱くて火傷したから、マックに賠償金100億円」なんてバカバカしい判例が出たなんてことは聞いたことがありません。「自分は常に100%正義」と信じて疑わないのは、世界でアメリカ人だけでしょう。

そうです、今回のテーマは「謝罪」(の「東西差」)です。

話は何年か前のガンバ大阪。ガンバは、西野体制になって以降、10年前後に渡って、「日本人による中盤と外国人による強力FW」というスタイルで、攻撃陣を構成してきました。

マグノ・アウベスアラウージョなど、当初は、その戦略が大当たりでしたね。ところがバレーあたりから、なんだか微妙な空気が流れ出し、2010年シーズンは、これでもかってくらいのグダグダになりました。確か、アジア枠やらなんやらを駆使して、5人も外国籍FWがいて、実戦力になったのは1人もいないときた。

その最大の要因はペドロ・ジュニオールでしたね。

「前線のサイドで好き勝手にやっててね」って感じだった新潟から、既にスタイルが完成されていて、それ故に何かと制約も大きくなるガンバにやってくるや、全くもってフィットできずに、出場機会も限定されてしまった。

ようやく途中出場の機会を与えられながらも、せっかくのチャンスで全く良いところを見せられず、途中出場ながら途中交代を命じられる。指揮官からの冷遇に業を煮やしたペドロ・ジュニオールは、その不満を爆発させ、西野監督に露骨な挑発的態度を示してグランドを去っていった。

結局、この一件が決定打となり、ペドロ・ジュニオールはガンバとの契約を解除されます。

このとき興味深かったのは西野さんの対応ですね。

周囲の人にアドバイスされたのか、本心から悔い改めたのかは知りませんが、とりあえずペドロ・ジュニオールは、西野監督に謝罪の機会を申し出ます。

しかし、この申し出を受けた西野監督は「謝るも謝らないも、今後、彼は使わない」と言い放ち、やり直しのチャンスを与えませんでした。

この西野さんのスタンスについては賛否両論あるかもしれませんが、ワタクシ的には、いかにも日本人らしいなぁなんて、むしろ関心さえしました。

この出来事に関連して連想したのが、インテル時代のモウリーニョバロテッリの関係です。

なにぶん欧州サッカーに疎いもので詳しいことは存じ上げませが、ガンバでペドロ・ジュニオールがやらかしていたのと同じようなタイミングで、悪童バロテッリも、何やらモウリーニョさんなりクラブやらに例によって粗相を働かせたらしい。

規律にうるさいモウリーニョですから、当然、毅然とした態度でバロテッリを処します。そうしたところ、それに懲りたバロテッリは、改心したのかしないのか、とにかくモウリーニョに謝罪をし、モウリーニョもそれを受け入れて、チームへの合流を許可する、なんて出来事がありました。

謝罪を受け入れたモウリーニョと、謝罪を拒絶した西野さん。非常に対照的な対応になったわけですが、その背景には、両者のパーソナリティの差異に加えて、日欧社会における文化の差があるのかなぁなんて思うのですね。

聞くところによると、おフランスで、カフェーやらパブやらに入ると、いっつも、誰かと誰かが議論を交わしているらしい。

フランス人に限らず、たぶんヨーロッパ人は議論が好きなんだと思うのですね。

だから彼らは、「良好な人間関係を構築するためには互いの意見をぶつけ合わなければならない」という考え方をする。議論があることを前提とする文化を築いてきたんだと思います。

それに対して日本人は基本的に議論が好きくない。

「良好な人間関係があれば意見はぶつかり合わないはず」という考え方をする。議論にならないことこそ理想的であるという価値観を持つ文化が日本では築かれてきた。

どっちが良いとか悪いとか、そういう問題ではないのですが、とりあえず謝罪を拒否した西野さんの発想の背景には「謝罪しなければならない状態になることが既にダメ」っていう考え方があるわけですね。だから、「西野さんはプライドの高い選手の扱い方が下手」なんて評価があって、それは、たぶん、その通りなんでしょうが、それ以上に、ペドロ・ジュニオールへの対応は西野さんがベタな日本人であるってことを証明しているように思います。

と、まあ、例によって「だから何?」っつう話をしてきましたが、少なくとも、「対人関係に対する考え方」という観点からすれば、日本人よりヨーロッパ人の方が、自己主張を必要とするサッカーというスポーツには向いているのかもしれませんね。