審判問題の周辺をウロウロと…

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というか、なんで最近になって改めて「本田と香川、トップ下はどっちにすべきか?」みたいな議論がホットになっているのか、今ひとつ「なぜ、このタイミングで?」って部分を理解しかねる今日この頃、皆さまにおきましては如何お過ごしでしょうか?

ワタクシは別館4thDayMarketCentreをアップしております。

□松本も意地を見せた、とかなんとか言っちゃって松本vs京都(09月08日)その5

□松本はいろんな意味で完敗だった、とかなんとか言っちゃって松本vs京都(09月08日)その6

イラク戦に前田遼一の好調さを感じる、とかなんとか言っちゃって。

□この試合の構図は両外国籍選手の空回り対決にあった、とかなんとか言っちゃって、ヴェルディvs福岡(09月14日)その1

別に今になって始まったことではありませんが、2012年シーズンになって、特に序盤においては、やたらとカードトラブルが目立ちましたよね。

例えば03月31日の浦和vs川崎。この試合では阿部・槇野という守備の二枚看板を退場で失いながらもドローに持ち込んだ浦和の健闘が賞賛されました。

川崎は翌週のvsFC東京でも1人少ない相手から決勝点を奪えず、それが相馬監督解任の引き金を引いたわけですが、そのFC東京にしとも、04月28日には、ジミーフランサ・アレックスを失い9人になった清水を相手に失点してしまい、敗戦の憂き目に遭います。

・開幕して1ヶ月ちょっとの間だけですよ。・・多いですよね、コレは、割合的に。

じゃあ、これは偶発的な現象なのか、必然性が裏に隠れているのかってところに興味が向きまして。で、ワタクシ的に考えると、これは必然なのではないかと。

2011シーズンまでと2012シーズンで、レフェリングに関して大きな変更点がありました。それは即ち「サッカーコンタクト」に関しては適正に評価し、その限りにおいては笛を吹かない、という方向性への転換です。

確かに、Jリーグって競り合いにおいて、「倒れたもん勝ち」って要素が非常に強かった。だから、この転換自体は至極まっとうなことかと思われます。

ただ、このような方向転換には必然的に副作用が付随します。

ボディコンタクトに対して、これまでよりも容認するということは、選手からすれば、相手選手とハードにぶつかり合う機会が増えるということで、それはすなわち、「イラッとする」機会が増えるということです。

どうしても、ガッツンゴッツンすれば、人間というものは、ヒートアップしやすくなる。瞬間的に頭に血が登り、周囲に対して紳士的な態度を維持できなくなるってことも発生しがちになる。

また、ボディコンタクトを仕掛ける側も、「これくらいまでなら大丈夫」って範囲が拡大するわけだから、より一層エグいプレーも増加することになります。要するに「普通のファール」という範疇が非常に狭くなり、「ノーファール」と「イエロー」に二極化したわけです。

「ノーファール」と「イエロー」が紙一重になった結果、「エグいプレー」→「ノーファール」→「さらにエグいプレー」→「イエロー」であるとか、「エグいプレー」→「ノーファール」→「両者ヒートアップ」→「試合が荒れる」という図式が続出するに至ったんだと思われます。

とはいえ、上述の図式というのは、サッカーという競技には、もともとつきまとっているわけで、それを回避するためにレフェリーがいるといって過言でない。

もしヨーロッパにおいて激しいボディコンタクトにもかかわらず、警告が乱発されていないとするならば、やはり、そこにはレフェリーによる働きが大きいと思われます。

欧州の審判って、「物理的に正確」なジャッジではなく、「選手とのコミュニケーションにより円滑に試合をコントロール」ことを重要視してるんじゃないかと思うのですよね。試合が荒れないためのミソは「コミュニケーション」に尽きると思います。

なので、日本の審判も、ヨーロッパのレフェリーと同じような立ち居振る舞いをすれば、あまり問題は発生しないのかもしれない。

しかし、例えば「民主主義」ってものが導入されても、平気で「政治が悪いのは、有権者ではなく政治家に責任がある」と発想する文化が根付き続けているように、ヨーロッパのスタンダードを輸入したからといって、それをそのままの形で日本においても再生産できるわけでは決してない。

「ヨーロッパではこういうレフェリングしているから、日本でも同じようにやりましょう」といっても、そうそう都合よくはいかないわけで。

例えば、それまではギリギリOKとされていたボディコンタクトが、たまたまファウルと認定されたとしましょう。当然、ファウルを取られた側の選手は、それに抗議をします。ここまでは洋の東西を問わない普遍の現象。

ただし、その「抗議」なるものに対する社会的認識には大きな隔たりがあるように思います。

少なくとも数百年前から「個人」というものを社会の基本単位としてきた欧州では、「抗議」を「当然の自己主張」として受容し、互いの意見を戦わせることで最大多数の最大幸福を実現してきた。選手とレフェリーのやりとりにおいても、それは徹底していて、「1人の人間が1人の人間に対し平等の立場から意見をぶつけ合いながらコミュニケーションを成立させる」という構図が成り立っている場合が多い。

一方で、「自己主張をしないこと」で最大多数の最大幸福を実現し、かつ身分差を正当化する儒教道徳の影響を今なお色濃く社会に引きずっている日本の場合、そうはいかない。ついつい無意識のうちに「試合を取り仕切る最高責任者(相対的上位者)である審判に対して、一選手(相対的下位者)ごときが意見するとは何事だ!」ってことになりかねない。

Jリーグの試合を見ていればわかるかと思いますが、選手の抗議を受けたとき、審判はまるでタチの悪いクレーマーの対応をしているみたく、ニコニコ営業スマイルで適当にあしらっているだけとか、露骨に高圧的に対応したりとかってことが、非常に多いですよね。

これでは「試合をコントロール」するも何もありません。ただ、繰り返しになりますが、基本的に日本人は「1人の人間が1人の人間に対し平等の立場から意見をぶつけ合いながらコミュニケーションを成立させる」ことを是としない文化を構築してきたわけですから、おそらく今後も、カードが出たらすぐに選手も審判もヒートアップという現象は少なからず出現するのではないかと考えます。

少しでも、よりよいジャッジングを実現したいならば、レフェリーが、日本文化、日本の生活習慣といったものを正しく認識し、その上で意識的に、そこを超克するための努力を不断に行っていくしかない、そう思います。ただ、相当に難しいことですけどね。