関塚ジャパンに対する期待値の周辺をウロウロと…

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重要なのは「国民の期待に応えること」ではなく「選手本人の人生にとって素晴らしい経験になること」だと、ここ20年くらいずっと考えていることに改めて思いを馳せる今日この頃、皆様におきましては如何お過ごしでしょうか?

ワタクシは別館4thDayMarketCentreをアップしております。

前半の湘南はいつも通りだった、とかなんとか言っちゃって湘南vs山形(07月22日)その1

前半の山形はシステムのギャップを突いたり突かれたりしていた、とかなんとか言っちゃって湘南vs山形(07月22日)その2

後半の湘南は下村が輝いた、とかなんとか言っちゃって湘南vs山形(07月22日)その3

いよいよ全体に先だってのサッカー開幕が秒読み段階ですね。ということで、女子サッカーがメダルを期待されているのに対し、男子については、どれくらいを期待すべきか、ってことを述べたいと思います。

数年前、浦和とガンバが立て続けにACLを勝ち抜き、CWCでも3位決定戦を制するということがありました。

そのときマスコミ(要は日テレ)が盛んに「世界で3位」と煽っていたのに対し、西野監督などが「CWCの3位であって、世界3位では決してない」と語弊を正していました。

つまり、クラブ世界一を決めるトーナメントの3位決定戦を制することと、世界で3番目に強いこととは全くイコールではないということですね。

WCにおける日本代表の成績についても同じことが言えると思います。前回の南アフリカWCで日本代表はベスト16に入りましたが、では日本という国が総体として保持する「サッカー力」が、世界で上から16番目に入っているからと言えば、そうとは言えないでしょう。

「サッカー力」とは、つまり競技人口であったり、国内リーグの充実度であったり、国民の「サッカーという競技」そのものに対する関心であったり、そういうものをひっくるめて、「サッカー力」という言葉を使います。

特に日本の場合、「日本代表というお祭り」に対する関心は高けれど、「サッカーという競技そのもの」に対する関心は絶望的に低いと考えていますので、とてもとても、世界で上から16番目に入ってますとは、口が裂けても言えない。少なくとも個人的には。

ワタクシの主観的な感覚では、「日本はWCで決勝トーナメントに進出する資格を十分に備えているが、下手さえしなければ当然のように予選リーグを突破して然るべき、って程でもない」ってくらいかと位置付けてます。

何が言いたいかと申しますと、決勝トーナメントに進出できなくても、別に関塚さんは批判されなければならないってこともないだろう、と個人的には考えている、ってことです。

そして、関塚さんには、「五輪の位置付け」なる厄介なハンデを抱えていることも無視できません。

エルゴラッソ』の社説(に相当する文章)などでも繰り返し述べられているように、オリンピックを「育成の場」と考えるか、「問答無用の本番」と考えるか、未だ意見の大勢が固まっていません。

戦後復興の過程でオリンピックに「世界に追いつけ追い越せ」を託してきた日本人としては、どちらかといえば本番として成績を重視する世論が強い。メダルの獲得により、日本人が世界に互しうることを確認したがるという五輪全体に対する風潮が、そのまま男子サッカーにも敷衍されがち。一方の欧州では、サッカーに限定した場合、「あくまでU23WCの代替大会」と見做す傾向が相対的には強いように思います。

ただ、FIFAだか、UEFAだかが各国リーグだかクラブだかに「全面的に協力するように!」とお触れを下したように、近年に至りヨーロッパでも五輪を成績に「こだわるべき本番」と位置付ける方向に、徐々にとはいえ、シフトしているようです。仮にお題目に過ぎなくとも、そのお題目が唱えられているってところが重要ですよね。

特にスペインなんて、ジョルジ・アルバを当然のように召集し、オーバーエイジまで各種取り揃え状態。ウイイレ上のベストメンバーではなくとも、ある程度、当初の目論見に沿った人選が出来ていそうです。とはいえ、欧州においても足並みは必ずしも揃っておらず、全ての欧州クラブが五輪協力に積極的とは言い切れず、香川は不参加となりました。これが、どういう「大人の事情」なのかは当面明らかにされないでしょうが、一般的に考えればファーガソンの意向である可能性が高いですよね。

日本の場合、世界のスタンダードと比較したとき、オリンピックに対する情熱が異様に高いですから、少しずつ「男子サッカーについては、オリンピックといえども、究極的には23歳以下の年代別代表の公式戦に過ぎず、Aマッチではない」という認識が高まることは健全なことですし、イコール、世界のスタンダードに近づくことでもあります。

実際にヨーロッパに移籍する該当年代の選手が増えるにつれ、否応なしにそのことを実感させられ、そちらの方向にシフトするのも致し方ないと思われるのですが、関塚さんにとって気の毒なのは、フル代表の監督がザッケローニだという点ですね。

先ほど香川の召集見送りの背景にはファーガソンの意向があるのではないかと推察しましたが、そもそも香川って、これまでのプロセスにおいて、ほとんど関塚JAPANに絡んでいませんよね。勿論そこには本人の意志を含めた、さまざまな利害が錯綜しているんでしょうが、たぶんザックの意向が全く関係していないってことはないでしょう。

ザックは手腕も素晴らしいですし、若手を抜擢するのも上手です。ただ、これまでの歴代監督と比較したとき、「フル代表に相当する選手は、五輪代表の活動より、フル代表に専念すべきだ」というヨーロッパで主流であろう考え方を強く持っている印象があります。

つまり、五輪の位置付けという点に限れば、スペインなどのような「可能な限りフルメンバーで臨む、タイトルを目指すべき大本番」と位置付ける新潮流に対し、それほど敏感ではないのではないかと思われるわけです。

ファーガソンにせよ、ザッケローニにせよ、失礼ながらサッカーの指導者としてはベテランというか、老境の域に突入した監督さんって、どうしても、これまでの主流的考え方である「五輪は所詮、年代別選手権であり、育成の場」という価値観を相対化しづらいんだと思うのですよ、人間のサガとして。

何が言いたいかと申しますと、世界の少なくない強豪国では「五輪におけるベストメンバー」をフル召集するハードルが低くなっている反面、日本に限っては、香川の処遇に象徴されるように、そのハードルが高くなっているということです。

あくまでも香川については、その一例に過ぎず、五輪準備へのプライオリティが二の次にされてきた面は、いろいろと我々に知り得ない部分であったものと想像されます。おそらく関塚さんにとっては誠に気の毒な状況となっている可能性もあるわけで、そういう環境面でのマイナスを正当に斟酌した上で、関塚ジャパンへの期待値は決めなければなりません。翼の折れたエンジェルが飛べないエンジェルであったとしても仕方ない部分もあるじゃないか、みたいな。

てなことをひとしきり考えて参りますと、決勝トーナメントに進出したら万々歳、予選リーグで勝ち点4なら健闘、勝ち点3がノルマ、くらいの期待の仕方をしようかな、ってのがワタクシ結論でございます。要するに「スペイン戦はともあれ、モロッコorホンジュラスのどっちかには勝ってくれ、出来ればどっちにも負けないでね!(はあと)」ってくらいのテンションで応援しようかなと。