「岡ちゃんゴメン」の周辺をウロウロと南アフリカWCの日本代表を振り返る、番外編

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先週は何かと生活のリズムが一定しなかったので、かなりムリクリですが、一応、4thDayMarketCentreもアップしております。例によって、お暇なら来てよね状態でございます。

岸野監督の界隈をサラッと。

アウェイ北朝鮮戦の界隈をサラッと。

巻と京王線の界隈をサラッと。

ハーフナーの界隈をサラッと。

川澄ヘアバンドの界隈をサラッと。

天才柿谷の界隈をサラッと。

さて、季節外れの2010WCを振り返るシリーズも、いよいよ今回を含めて、あと2回。しかも番外編でございます。 番外編ですので、ホント番外な内容になります。

ワールドカップ南アフリカ大会が終わった7月前後、「岡ちゃんゴメン」って言葉が一世を風靡しましたね。それこそスポーツ新聞など大手マスコミから、我々ブロガーまで、一種の流行語となりました。

実はワタクシ、この「岡ちゃんゴメン」って言葉が、余り好きではありません。一口で言えば、なぜ「岡田さん、すいませんでした」って言わないんだ?って思っちゃうわけです。

それで、その理由をつらつら考えてみるに、結局、「岡田さん、すいません」とは言いたくない、でも結果を出された以上、何らかのリアクションをしなければならないって葛藤の中、「岡ちゃんゴメン」という表現に落ち着いたんだろうと思います。

「岡ちゃんゴメン」と同じ時期、やはり、WC開幕前は岡田さんに対して懐疑的だった人々を中心に「今回はたまたま運に恵まれただけ。内容的には全然満足できない」みたいな言説も見受けられました。

この言説と「岡ちゃんゴメン」って、本質的には全く同じだと思うんですよ。「満足できない」発言は、結局、「岡田さんは素晴らしい」と言わないための理由探しでしょう。「岡ちゃんゴメン」も「ちゃん」とか「ゴメン」なんて言葉に象徴されるように、敬語や丁寧語などの改まった表現を避けて、どちらかといえば目下の存在に対して用いる言葉を敢えて使っているわけですね。

つまり、両方ともに「岡田さんが尊敬すべきである」ことを認めたくないって意識で共通しているんだと思います。言い方を変えれば、必死になって「上から目線」を維持しようとしているわけです。

そんなタイトルの新書がベストセラーになったように、「他人を見下したがる若者」っていうのは、現代社会の特徴なんだそうです。スポナビブロガーさんの中にも「サッカーは世を写す鏡である」と、お考えの方も少なくないと思いますが、そういう意味では、「岡ちゃんゴメン」によって、そのことが、図らずも証明されたと言って良いかもしれません。

もう一つ、サッカー(取り巻く環境、人々)って世相を反映しているなぁと思うことがありまして、WC開催直前の岡田さんとか、ザックを掘り当てるまでの期間なかなか新監督を決められなかった原さんとかに対して「無能」って言葉が飛び交っていたように記憶していますが、これは例外的な事態でもなんでもなくて、スポナビブロガーも含めて、サッカー系ブロガーって「無能」って言葉を簡単に使いますよね。

冷静に、自分を含めた身の回りの実社会を見渡せば、代表やらJリーグの監督になったり、ヨーロッパでの交渉事を一身に任される時点で「無能」なわけないんであって、もし、身の回りに、そういう基準でも「有能」な人ばかりってことがあれば、それは奇跡ですよね。そういう奇跡的な環境にいる方が「無能」って言う分には一向に構わないんですが、今回は例外として扱います。

で、なんで、「無能」なんて言葉が簡単に使えてしまうのか。それは、「上手く行って当たり前」という発想があるからだと思うんですね。

こういう言い方をすると反発を受けそうですが、実生活において苦労した経験のある方は、そうそう気安く「無能」なんて言葉を使わないと思うんですよ。「世の中は、そんなに上手くいかないらしい」ということを実感されているでしょうから。

逆にいうと「基本的に自分の思い通りにいく(はずだ)」って思える、恵まれた環境におられる方々が、「自分の思い通りにいかない現実」を目の当たりにして、「そんなことはありえない。自分の思い通りにいかないなんて、岡田が無能だからに違いない」って評価を下すんだと想像してます。

ここまで書いてきて、勘の良い読者の皆様ならお気づきになったかもしれませんが、これって「キレる若者」と同じ精神構造ですよね。「基本的に自分の思い通りにいく(はずだ)」という前提で生きているから、「我慢をしなければならない」という発想がない。だから、すぐにキレる。やはり、サッカーは世の中を写す鏡のようです。

さて、ここで一つ疑問が浮かびます。最近、どなただったかのブログを拝読して、「あぁなるほど」と勉強させていただいたのですが、その方が仰るには、或いは常識的な言説なのかもしれませんが、「サッカーは脚で行う以上、上手くいかないことの多い競技だ」とのこと。つまり、サッカーって、「基本的に自分の思い通りにいかない(はずだ)」という前提で成り立っている競技なんですね。だから「他人を見下したがる」「キレる若者」との相性は、本来すこぶる悪いはずなんです。

にもかかわらず、なぜ、サッカー系ブロガーにそういう人たちが目立つのでしょうか?

たぶん、それは、「自分はランクの高い人間である」と思い込みたい人が、自己陶酔に浸るべく日本代表に自己を仮託しているのではないでしょうか。つまり、「やっぱり日本代表(=俺様)は凄いんだい」と思いたいがために、常に代表に対し、そういう自己満足を充足させてくれるような状態であることを望む。そして、それが「日本代表は俺様を満足させるためにある」との無意識的な勘違いを発生させ、その意味での理想的状態から矛盾する現実を突きつけられたときに、「無能」だとのレッテル貼りを行い、ゆえに「さん、すいません」と言えなくなる。

「岡ちゃんゴメン」の背景には、そんな、あれこれ閉塞感漂う若者(及び元若者)の鬱屈したメンタルコンディションが見え隠れしているのかなぁなんて思った2010年の夏でした。