少し間が開いてしまいました。この間も4thDayMarketCentre
においてはイロイロ更新しておりますので、よろしければ足をお運び下さい。面倒なのでエントリーごとのリンクは貼りませんが、代表のこととか「なでしこ」のこととか、Jリーグのこととかに触れております。
さて、ということで
ワールドカップにおけるブルーを振り返る、第二弾は引き続きアラサー、と言うか、年齢に関する内容になります。
南アフリカ大会で、期待外れだった選手は森本と内田だと考えてます。だって出番がなかったんだもん。評価のしようがないじゃないか。
内田について言えば、「俊輔とセット」での抜擢だったわけであり、「玉砕プレスとポゼッション原理主義」戦略のなかでクローズアップされた選手ですので、戦術上の理由が大きいのでしょう。また慢性的な体調不良が要因だったのか、もともとそういう体質だったのかは分かりませんが、高地馴化に失敗したとかどうとか。
なんか、内田って「紅顔の美少年」というか、色白というか、「王子様」系なんで、妙に「体調不良」って言葉が似合いません?ルックス的に。そんな見た目に騙されて、Jで痛い目にあった左サイドの選手は数知れずなのですが、ともあれ出番がなかった。
森本については・・・
よくわからないですが、「前線で待っている役割なら、本田のが良くね?」ってことになったんでしょうね。誰か詳しい人、森本が使われなかった理由を教えてください。
ともかく前回の話に関わらせて述べるなら、二十歳前後の選手は活躍しなかったわけです。
ここで、ついつい我々は「まだ若いし、次回に期待しよう!」ってことになります。そうすると、セルジオ越後さんあたりが、
「若手って誰?ウチダやモリモトみたいな選手は若いって言わないよ。」
と突っ込むことでしょう。「サッカーの世界ではハタチはもはや若いとは言わない。15歳くらいの選手を若手という」、よく耳にする言説ですよね。
確かにメッシは10代にして既に世界最高峰のクラブの中心選手でしたし、ヨーロッパを見ていると、1718歳でトップリーグのレギュラーなんてことは、特別に珍しいことではない。とゆうことは1516歳で普通にプロ契約(に準ずる扱い)を受けているわけですね。
だからセルジオさんみたいな意見は、世界基準に照らし合わせれば、至極真っ当な正論ということになるかと思います。そう考えると、森本にしても内田にしても、「ハタチを超えて代表のレギュラーじゃないなんて…」みたいな批判を受けても致し方ない部分もあるのかもしれません。
ただ、個人的には、そういう考え方に対して、あまり共鳴できなかったりします。
以前、何だったかのエントリーで、「サッカー選手とて社会の一員だから、社会的価値観から自由になるのは不可能」みたいなことを述べました。ここでも、その脈絡で考えます。
突然ですが、皆さん、(経験された方は)どんな大学生活をお送りになりましたか?
失礼ながら、他人に誇れるほど立派な大学生活を送った人は、どちらかといえば少数派なんじゃないでしょうか。なんで、こんなことを述べるかと言うと、誰あろうワタクシがダメ学生だったからですね。ただ、身のまわりを振り返ってみても、やはり少数の「ちゃんとした人たち」を除き、総体として大学生って、「ちゃんとしてなく」ないですか?
つまりですね、高校までと違って大学生って自由ですよね。しかも、その自由には責任が伴わないんです。半期に10日くらい勉強すれば単位はとれますし(=身分は保障される)、ぐうたら過ごしたからといって、餓死することはない(=基本的には親が経済的基盤を与えてくれる)。
もう、ただただ自由でしたよね。堕落することのデメリットも、「ちゃんとする」ことのメリットも、それほどないわけです。だから必然的に多くの日本人は「ダメな大学生活」を送ることになります。
そこで「だから大学生はダメなんだ」なんていっても、何一つ生産的でない。「大学生の自覚が足りないから」ではなく、「社会が大学生に1人前たることを要求していないから」、そういう現象が発生すると考えるべきでしょう。
日本人選手がハングリーでないのは、「ハングリーさがなくても生きていけるから(=社会が構成員にハングリーさを要求していないから)」なのと同じ理屈です。
何が言いたいか。つまり、日本という社会は「22歳までは見習い期間」という価値観によって成立している、ということです。
そこが南米などの諸外国とは決定的に異なる。南米の、古めかしい言い方をすればプロレタリアートに属する人々は、おそらく1617歳になったら1人前の労働力として家計を支えることが望まれるでしょう。そういう社会で生まれ育った選手が1718歳で成熟したプロ選手になるのは、当然でしょう。
繰り返しになりますが、「サッカー選手だから社会の価値観、影響から隔絶して育て」というのは、個人的には暴論だと考えてます。日本人サッカー選手が2223歳になっても若手扱いされるのは、過保護でもなんでもなく、「日本はそういう社会だから」ということでしょう。内田や森本が、あたかも「見習い要員」のような帯同の仕方になってしまったとしても、それはそれで仕方ないんだろう、と。
で、前回の内容と関連づけるならば、他の国々は知りませんが、日本国籍保持者(その多くが日本で生まれ日本で育った人)により構成される日本代表については、25歳くらいの「若手」がヤンヤと勢い任せに突撃し、アラサーがそれを支えるというのが、社会的背景を踏まえたとき、最も合理的なあり方なんじゃないかと考えるわけです。
そういう意味でも、南アフリカの日本代表のバランスは、非常に理にかなっていたのかなぁ、なんて考えます。