春秋制の周辺をウロウロと…問題なのは秋春制ですか?

                                  にほんブログ村 サッカーブログへ
にほんブログ村

先週末はお盆休みの帰省を満喫していてサッカーは観戦しておりません。ゆえに特に記事はアップしていませんが、別館4thDayMarketCentreも宜しくでございます。

本シリーズの前エントリーに引き続き、犬飼さんと秋春制に関する内容をです。

秋春制の議論って、そもそも、いつから始まりましたっけ?

ワタクシの子どもの頃のうっすらとした記憶では、サッカーって「ウインタースポーツ」にカテゴライズされていたような気がします。

普通に、ウインタースポーツって言えば、「スキーとかスケートとかサッカーとか」みたいなことを小学校の先生が言っていたような(当時、「スノボ」なんて概念は存在しなかった)。高校生のときの体育の授業では、夏はソフトボールorバレー、冬はサッカーorバスケってパターンでしたねぇ。これは今でも変わらないんじゃないでしょうか。というよりも野球部の連中は、冬の間、専ら体力作りを兼ねてサッカーをやっていたような。

そう考えれば、なぜJリーグが発足にあたって春秋制を選んだのかってところが問題なのかもしれません。ただ、少なくとも、Jリーグが誕生してからは、なんとなく春秋制が当然の前提として考えられてきた。

もちろん、秋春制を模索する声が一部に存在し続けていたことは存じ上げてますが、本気で「今すぐにでも秋春制に移行すべきだ」という論陣を張ったり、実際にアクションを起こしたって動きは、事実上、無視して構わない程度だった。

そんな状況の中で、犬飼さんは、突如、大真面目に秋春制の議論を始めました。

言葉の上では、「可能かどうかシミュレーションしてみて、アリかナシかを決める」というスタンスだったかと思いますが、誰がどうみても、犬飼さんは結論ありきでした。プロジェクトチーム的なものも発足したように記憶してますけど、省庁の予算ブン取り合戦と同じで、プロジェクトチームといっても、実態はボスの意向に添った結論に理論的な裏付けらしきものを与えるための機関に過ぎなかったり。

で、世論はどのように反応したか。

世論といっても、世間的にはサッカーが春秋制だろうと秋春制だろうと、どちらでもよいわけで、ごくニッチな世界における世論なわけですが、ともかく、そのニッチな世界の住人=サポーターは、ほぼ犬飼総攻撃体制を取りました。

もちろん、コンサドーレモンテディオベガルタアルビレックスや、今ならガイナーレも、ここに加わるかもしれませんが、雪の多い地域のサポーターはじめ関係者にとっては、切実な問題だったでしょうし、スポナビブログさんの中でも、上記クラブのサポーターさんのご意見は大変に説得的で、今でも密かにリスペクトしています。

ただ、それにしても、見事なまでに犬飼総攻撃だったなぁと。

犬飼さんが秋春制という結論ありきで議論をふっかけ、サポーターは春秋制という結論ありきで応えた、どちらも結論ありきという点では、同じ穴のムジナだったように思えなくもない。

では、何故そこまでサポーターは過剰ともいえるほどにアンチテーゼを呈したのか。その答えは、犬飼さん退任直後の状況にあるのではないかと思います。

犬飼さんの退任直後、少し興味深い現象が起きました。スポナビブログさんの中にも、幾つか、「秋春制もなくはなかったんじゃね?」って意見が散見するようになったんですね。

シーズン移行の現実的可能性が事実上なくなったからこそ出てきた意見かと思いますが、それと同時に、シーズン移行反対論陣というのは、秋春制そのものに対する反対意見ではなく、犬飼さんの独善的ワンマンに対するアレルギーだったのではないかと思うんですね。

繰り返しますが、雪の多い地域のサポーターさんにとっては死活問題だったでしょうし、そういう人々のご意見は秋春制そのものを真剣に考えたものだったと思います。

しかし、それ以外のクラブのサポーターは、少なからず犬飼アレルギーに突き動かされた結果、シーズン移行反対の陣営に加わったように感じるのです。

そして、世間に犬飼アレルギーが蔓延したことにより、犬飼さんが頑張れば頑張るほど、世論は反対方向に流れていくという、犬飼さんにとっては皮肉としか言いようのない状況が発生したんだと考えます。

犬飼さんが本当に秋春制を実現したいなら、犬飼さんは黙りこくるしかない、そんな雰囲気がありました。そして、ホンキで秋春制を是と考える人は(一部の花火師的評論家を除けば)日本国内に犬飼さんしかいなかったわけですから、どうやっても秋春制は実現しないっていう構造が出来上がってました。

犬飼さんの失脚とシーズン移行計画の頓挫は必然だったと言って良いでしょう。

ただ、では秋春制移行という犬飼さんの打ち上げ花火が、単なるあだ花に過ぎなかったかと言えば、そうでもないように思います。

犬飼さんが花火を打ち上げた結果、秋春制あるいは春秋制に関する議論は飛躍的に深化しました。

そして、真剣に議論を進める中で、多くの問題点が析出されています。それまでは、半ば動くはずのない絶対的前提であったカレンダーを多くの人が見直したことにより、いかに現在の日程に無理があるのか、果たして天皇杯の元日決勝というのは合理的なのか、てゆうか日本の夏って暑すぎね?とか、やっぱりヨーロッパとシーズンが異なるとデメリットもあるよね、とか、そういういった、うすうす感じていたけど自覚することのなかった不条理を客観視できるようになった。これは非常に大きいと思うんですね。

そういう意味では、シーズン移行を論議の俎上に載せたこと自体は犬飼さんの功績と言って良いんじゃないかな、なんて考えます。

いずれにしても、犬飼さんの御乱心で右往左往した経験を、我々はポジティブに生かしていかなきゃ仕方ない、そう思います。